Time After Time

ブックマークしてね~! http://news.blogo.jp/


1: 2017/10/06(金) 19:11:36.53 ID:CAP_USER9

かつて野球グラブの生産量で国内シェア9割を誇ったのが奈良県だ。中でも一大産地として知られるのが同県三宅町。最盛期の1970年ごろには、多くの職人たちで町は活況を呈した。この地でグラブ作りが地場産業として根づいた経緯を調べてみた。

奈良盆地の中央に位置する三宅町の面積は4.06平方キロメートル。全国で2番目に小さい町だ。近鉄田原本線で但馬駅に向かう途中、「スポーツ用品工業の町」の看板が目に入る。町内には、この地にグラブ製造の技術を伝えた坂下徳治郎の名を刻んだ石碑も立っている。

三宅町史によると、1902年に同町で生まれた坂下は皮革関連の技術を身につけるため、大阪に住む義兄の見習いになった。美津濃運動具店から野球グラブ用の革の裁断を頼まれ、初めてその存在を知る。グラブ作りを仕事にできないかと解体して仲間と製法の研究を重ね、地元に帰って21年に生産を始めた。

当初は数軒で推移していたグラブ製造業者だが、戦後に野球人口が増えて需要が拡大すると、雇われていた職人が次々と独立。米国メーカーから注文を受けて56年に始めた同国向けの輸出が急成長を後押しした。

三宅産グラブの輸出量は当初の165万個から、最盛期の70年には587万個にまで増加。地元には北海道から沖縄まで全国から労働者が集まり、三宅町商工会などによると、同町だけで全国シェア6割を誇った。近隣の河合町、桜井市を含む奈良県全体では実に9割を占めたという。

52年に創業した三宅町のグラブメーカー「吉川清商店」の2代目、吉川雅彦さん(59)によると、今はワンマン運転の無人駅である但馬駅が当時は通勤する職人であふれかえり、工場は受注に追われて早朝から深夜までフル稼働。多くの職人を雇うため、長屋の社宅を用意した業者もいた。

「ピーク時には町内だけで120軒ぐらいの業者がいた」と、三宅町商工会会長の置本佳司さん(71)。だが、70年代に入ると苦境に陥る。1ドル360円の固定相場制が終わったことで、米国の輸入先は価格競争力で勝る台湾や韓国に取って代わられた。

国内大手メーカーも主要な生産拠点を海外へと移し、受注は減少。後継ぎがなく高齢のため廃業した業者も多い。現在も「シェアは最も高いのでは」と置本さんは語るが、商工会によると、三宅町の業者は十数軒にまで減ったという。

吉川清商店には4年前に長男の誉将さん(31)、3年前に次男の正敏さん(29)が3代目を継ごうと会社員を辞めて戻ってきた。大手からの注文を大事にする一方、2年前には一家で独自ブランドのグラブ作りにも乗り出した。「高品質のグラブを作ってきた歴史と誇りを引き継ぎたい。将来的には海外にも輸出して、三宅産の良さを発信できれば」と誉将さんは力を込める。

使い手の細かい要望に応えたオーダーグラブが浸透してきたこともあり「この2、3年で10人以上の若者が職人になりたいと訪ねてきた」と置本さん。鹿児島県喜界島出身の朝日郁弥さん(22)は通っていた福岡県の専門学校の教員に頼み込み、紹介を受けた家族経営の工場に昨春、弟子入りした。「グラブ職人になるのが高校球児の頃からの夢だった。腕を磨き、いずれは独立開業したい」

地元業者が独自ブランドで出すグラブは2015年度から、三宅町のふるさと納税の返礼品にもなっている。昨年度は寄付者の4割強にあたる309人がグラブを求めた。特産品として注目を集めつつある追い風を生かそうと、町はグラブ製造開始100周年となる21年に向け、記念イベントの開催を検討していく。

「日本の野球界を確かな技術で支えてきた『グラブの町』を全国にPRし、地域の活性化につなげたい」と町政策推進課長の林田忠男さん(48)。伝統を次代に託す挑戦が続いている。

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO21929740V01C17A0960E00/
【【野球】野球グラブの一大産地 奈良・三宅町 120軒いた業者は10数軒にまで減少!後継ぎが無く高齢の為廃業した業者も】の続きを読む

1: 2017/10/06(金) 18:46:18.52 ID:CAP_USER9

プロ野球では両リーグの優勝も決まり順位も決まった。これからポストシーズンのクライマックスシリーズ、日本シリーズへと盛り上がりをみせる。

その一方で1日から戦力外通告がスタートした。第1次通告期間は1日からCS開幕前日の13日まで、第2次通告期間はCS全日程終了翌日から原則として日本シリーズ終了翌日までとなっている。各球団とも数人から育成選手を含めると10人を超える選手が戦力外通告を受ける。入団数年の選手や10年以上在籍した選手も含まれている。ユニホームを脱ぐ者、トライアウトに挑戦する者など厳しい選択を迫られる。

先日、独立リーグ、四国ILp・高知の駒田徳広監督がブログを更新し、来季に向け秋季練習を開始した直後に「飯、奢ったって」と題して戦力外通告者についてつづっていた。「練習に参加していない選手がいます。引退、もしくは解雇になった選手達です。この選手達を解雇したのは僕です。技術、選手の家庭環境など、いろいろな事を考えて判断するのですが、辛いですね」と、監督として来季の戦力分析をしてチームを離れる選手を選別したことを記していた。

巨人、横浜(DeNA)で活躍し名球会入りも果たしている一流選手だった駒田監督は現役時代、毎年戦力外通告を受けた選手を見てきた。それが今は戦力外の選手を選ぶ立場にいる。「辛いのは当然選手ですよね。選手が好きな監督は、自分を使ってくれる人。嫌いな監督は使ってくれない人。究極に嫌いな監督は首にする人です。だからこっちも辛い」と現在の立場で最もつらい時期を迎えている。

選手時代のことについても触れていた。「1982年、プロ入り2年目のオフ、早くも解雇されてしまう選手がいました。当時の2軍監督の国松さんが、その選手と仲の良かった僕の所にきて『今日だけは門限を破ってもいいから愚痴を聞いてやってくれ』って。しかし、何の愚痴も言わず彼は実家の九州に帰って行った」。当時の国松2軍監督の優しさをつづった。

シーズン中の行動について「我々独立リーグは地域に根付いて存続しているもの。僕は日頃から選手達を食事に連れて行って下さるファンの皆さんには感謝しています。しかし、シーズン中は甘えも出て愚痴を言う選手もいたかと思います。強くならなければいけない選手達にとって、その愚痴はあまり褒められるものではありません」と厳しい言葉を投げかけた。

しかし、来季がない選手たちに投げかける言葉は違う。「ですが、今は違います。特に高知の皆さん。選手に飯、奢ってやって下さい。愚痴を聞いてやって下さい。彼等らはもうこの帽子を被る事もないのですから」。チーム帽子の写真を添付し、退団する選手の労をねぎらうことをお願いしていた。

戦力外の選手を選別する立場、通告する立場、そして通告される立場とすべての人たちがつらい季節でもある。(「」内は原文まま)

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171006-00000105-dal-base
【【野球】四国IL 高知・駒田監督、戦力外通告する立場の思い語る www】の続きを読む

1: 2017/10/06(金) 17:32:23.13 ID:CAP_USER9

プロ野球・ヤクルトで4シーズンぶりに監督に復帰する小川淳司シニアディレクターは、プロ志望を表明した早稲田実業の清宮幸太郎選手について、今月のドラフト会議で1位で指名する方針を明らかにしました。高校通算最多とされる111本のホームランを打った清宮選手をめぐっては、今月2日プロ野球10球団が面談を行うなど今月26日のドラフト会議に向けた各球団の駆け引きが始まっています。

清宮選手について、4シーズンぶりに監督に復帰する編成部門のトップの小川シニアディレクターは6日、神宮球場で報道陣の取材に応じ「たぶん1位指名で行きますよ」と述べ、ドラフト会議で1位指名する方針を明らかにしました。ドラフト直前に予定されているスカウト会議で決定するということです。

ヤクルトは今月2日の面談で、育成方針のほか食事や練習施設などについて清宮選手に説明していました。清宮選手をめぐっては阪神もすでに1位指名を明言し、ほかの球団も1位指名を検討しています。

これまでのドラフト会議で1人の選手に指名が競合したケースで最も多かったのは8球団で、どれだけの球団が清宮選手を1位で指名するのか注目が集まります。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20171006/k10011170331000.html
【【野球】ヤクルト 、早実の清宮幸太郎を1位指名の方針 www】の続きを読む

1: 2017/10/10(火) 05:39:22.35 ID:BUOFtLPF0
打者不毛の地
屋外なのに壁が高すぎて閉塞感がある
風がひたすら強い、寒い
駅から遠い
乗り換えが不便

【西武に比べて話題にならないがロッテも球場がそびえ立つ糞という事実 www】の続きを読む

1: 2017/10/06(金) 17:28:59.13 ID:CAP_USER9

広島は5日、リーグ連覇に貢献した石井琢朗打撃コーチ(47)と河田雄祐外野守備走塁コーチ(49)が球団に辞任を申し入れ、今季限りで退団することが了承されたと発表した。両コーチは同日のマツダスタジアムでの全体練習終了後に記者会見に臨み、石井コーチは「(東京にいる)家族5人揃って過ごしたい。今を逃すともうないのかなと考えたりする」と心境を明かし、河田コーチは「6月ごろには(退任を)考えていた。プライベートなこともあるので一身上の都合ということにさせてもらう」と話した。ともに家族を関東に残し、広島では単身赴任生活を送っていた。

リーグ連覇を達成した直後でファンにも衝撃が走ったが、このタイミングでの発表になったのはポストシーズンに集中するための配慮でもあったという。鈴木球団本部長は「(緒方)監督も『早いほうがいい』ということでこのようになった。いろんなところから話が漏れるよりは、この時期に話をしておくのがベスト」と説明した。

緒方監督は「(石井)琢朗とは選手時代(2009年)から一緒にやっているし正直寂しい。河田さんには西武を退団したとき(15年オフ)に手伝ってほしいと伝えた。ただ、本人の気持ちもあるので引き留めるわけにはいかない」と複雑な胸中を明かした。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171006-00000028-tospoweb-base
【【野球】広島カープ・石井、河田コーチ退団に緒方監督「正直寂しい」】の続きを読む


このページのトップヘ