引用元: ・古代出雲王朝は実在した

601: 2017/04/02(日) 21:39:09.14
大国主命は殺されたなんて伝承があるみたいだけど、実際は、どうだったんでしょうか!?

602: 2017/04/03(月) 21:34:52.60
>>601
第8代オオナムチ(大国主命)のヤチホコ命がいわゆる祟る大国主命(渡来した侵略者らが巧みに取り入り、媛と婚姻して縁戚となり油断したところを誘拐~猪目窟に幽閉して殺害。

同じく、第8代少彦(後にスクナヒコナにされた)/副王のヤエハツミ(後にツミハ八重事代主命にされた)も三保の関に行っていたところに族らが急行して言葉巧みに謀り、誘引して中海の志都の窟に幽閉して殺害された。)
出雲帝国の祖法に則り、ヤエハツミ命の御子の鳥鳴海命が第9代オオナムチ(主王/大国主命)に踐祚。

616: 2017/04/09(日) 07:34:02.24
>>602
レス有り難うございます。しかし、何千年も前のことなのに、具体的すぎて
近年に創られた感、半端ないのですが…

620: 2017/04/16(日) 10:36:15.11
>>616
三保神社のあの場所は第8代少彦(副王)ヤエハツミ命の后、沼名河媛命の屋敷(宮)跡らしい。
そのお二方の間に生まれた御子が
建御名方命(ミナカタ、、、ムナカタ(音韻変化の範疇))と三保ススミ媛命。
三保ススミ媛命は三保神社の元来の祭神(だと言われています)。
三保津媛、、、三保の媛さまぐらいの意味っすから、間違いではない事になります。

沼名河媛はヤエハツミ命が謀略により殺害された事から、建御名方命を連れて実家の越国(第6代オオナムチ(主王)八束水臣命(出雲風土記の国引き(領有地域を一気に拡大)をなさった英雄)の時に支配下に入った?)
に帰郷なさったらしい。
建御名方命は長じて信州、諏訪方面に進出なさって周辺を開発、平定なさって出雲第二王国を建てた。
その名残が諏訪大社の祭り。
(出雲帝国の)危機神話の惨めな姿は微塵もないのは地元民の伝承(開発の祖神。常勝の武神)からも明らかです。
また、別后の三嶋(摂津)の玉依媛命も御子の天日方奇日方命らを連れて実家の三嶋(摂津)に帰郷。
天日方奇日方命が葛城地方に進出して登美王家と号して神祠に父のヤエハツミ命を祀り一族の氏神となさったらしい。
、、、鴨都波神社/都美波八重事代主神(ヤエハツミをツミハヤエと改竄させられた?)
後に北進して磯城や三輪山周辺を本拠とする王家が出た
(三輪山の神の祭祀を太田田根子(奇日方命(ヤエハツミ命の御子)の子孫)が管掌できた訳もここにあります
(神祀りとは子孫末裔らによる先祖祭祀が基本。余人に入り込む余地は無いし、他人がヤラカスと祭神は荒び祟りを為す))
因みに、建御名方は大国主の御子の筈では?
、、、カラクリは出雲帝国は祖法により東西二人の王家が歴代の主王オオナムチと副王少彦(スクヒコ/スクナヒコ)を交代で就任して連合して統治する慣わしでした。
故に、どちらもオオナムチ(大国主神)の家であり少彦(少彦名命(粟島神(ヤエハツミが粟島の志都の窟で殺害された故?))や事代主神)の家。
外野側(危機神話を編纂させた権力)からみれば一からげ。また、敢えて曖昧にする事でてんこ盛りの不都合な真実を不明~改竄できる

603: 2017/04/03(月) 21:55:00.99
いや、もう考古学的に証明されているから
べつにいいよ

605: 2017/04/04(火) 07:14:56.66
卑弥呼=ヒメタタラは古代出雲・鴨族の女性です。

606: 2017/04/04(火) 13:30:36.19
カモ族と関わる地名、名前

カモ (鴨 加茂 賀茂)
カミ (神)
カン (神)
カム (神)
コウ (神)
クマ (熊 隈)
ミワ (三輪 美和 三和)
オオ (大 太 多) 太田 大田 多田 大野 大谷 大原
タダ (多田)
スガ (須賀 阿須賀)

609: 2017/04/05(水) 13:30:59.39
>>606
カモ族と関わる地名、名前

カモ (神(かも)。蒲生、鴨 加茂 賀茂、嘉門、)
カミ (神)、 上、可美(ウマシ)、頭、守、紙
カン (神) 寒、菅、冠、汗(ハーン/大陸遊牧民の王)、串、甲、桓
カム (神)
コウ (神) 高、甲(、、、加太)、向(出雲大王家)、篝、岬、崗
クマ (熊 隈)
ミワ (三輪 美和 三和)
オオ/オホ (大 太 多) 太田 大田 多田 大野 大谷 大原
タダ (多田)
スガ/ソガ (須賀 阿須賀)

610: 2017/04/05(水) 20:59:47.57
>>609
>可美(ウマシ)

それは物部系。
ウマシマジ、ウマシニギタなどの名前で分かる。
鏡祭祀、前方後円墳文化。
むしろ鴨(銅鐸)と最も対立していた側だ。

614: 2017/04/08(土) 06:47:01.65
>>609
>上

わしも神=上だと思ったのだが、どうやら語原は違うようだ。

語原厨に突っ込まれかねないので書かなかった。

あとカミに大阪市平野の加美も加えよう。

607: 2017/04/05(水) 07:58:55.12
思いつくままカモ族と関わる名称(地名・人名)

カモ (鴨・加茂・賀茂) 蒲生「滋賀県・伊勢遺跡」
カミ (神)
カン (神)  神原 蒲原 神門(カンド)
カム (神)
コウ (神) 神於山「岸和田」
クマ (熊・隈)
ミワ (三輪・美和・三和) 上神谷「堺市」(旧名ミワダニ)オオタタネコの出身地か
ミ  (三) 三河 三ケ日 
オオ (大・太・多) 太田 大田 多田 大野 大谷 大原
タダ (多田) 御所市 川西市 
スガ (須賀 阿須賀)須賀神社「茨木市」須賀神社「和歌山太田」 
クシ (櫛 串) 櫛羅(御所市・旧名クシウラ〉 久代

608: 2017/04/05(水) 11:35:39.66
王朝という概念は当時存在しないだろ
だが、出雲に大きな勢力があったことはもはや、神話でも何でもなく
考古学的に実証済み

611: 2017/04/07(金) 01:21:57.84
>>608
概念は、今我々が当時の体制をそのように捉えて概念定義しているから、王朝でかまわない。

612: 2017/04/07(金) 07:39:23.09
107年              238年  266年
帥升----------------------------卑弥呼-------台与
                         
スサノオ------------------------ヒメ---------トヨ


倭国王帥升とはスサノオである。

613: 2017/04/07(金) 07:39:51.84
あ~少しずれた。

615: 2017/04/09(日) 07:29:20.79
結局、崇神によって出雲王朝は断たれたわけだな。

出雲振根事件もそうだし、
大和にいた最後の大物主も殺されたのだろう。
もちろん記紀には殺したなんて書かれてないが、
崇神があれほど大物主の霊を恐れ、大神神社を建て、
手元にあったヤタの鏡を放逐し狼狽してることで分かる。
記紀はその部分を潤色している。

古代出雲族の痕跡が今でも残ってるのが葛城という事になる。
高鴨神社、御歳神社(中鴨)、鴨都波神社(下鴨)、一言主神社などなど。

これらの神々に比べれば伊勢神宮など新興宗教だ。

617: 2017/04/09(日) 12:23:50.26
崇神時代に

・崇神の時代に大物主を祀る大神神社創建、オオタタネコが鴨氏を継ぐ
・ヤタノ鏡放逐、
・出雲振根事件、
・出雲国造家(天穂日命の11世の孫である宇賀都久怒)を国造に定める

・出雲に前方後円墳(4世紀後半)

これだけでもほぼ前王朝(出雲・鴨)へのクーデターと言える。

619: 2017/04/15(土) 18:02:43.17
地方なんで制作局わからんが
40年ぐらい前に「三日月情話」って昼ドラ
やってたな。古代先住氏族の末裔の話。
当時小学生だったが通院とかナントカ適当
に理由つけて学校サボって視てたっけ。

622: 2017/04/18(火) 07:55:07.13
征服者が祟りや反逆を恐れて被征服者の王家を祀ることはあり得る。
神が基本的には先祖を指すのはその通りだが、(先代を含めた)王家を指すこともある。

623: 2017/04/20(木) 16:37:13.24
古代、王朝というほど人口が有ったんでしょうか?

624: 2017/04/20(木) 18:03:03.82
人口云々は問題ではない。
その地域を統括する一族がいたかということ。
あとは、東アジアの国際政治の枠組みとしては、中国から王として冊封されたかどうか。

626: 2017/04/20(木) 18:08:26.51
×ヒメタタライスズdearu

〇ヒメタタライスズである

www

627: 2017/04/20(木) 18:20:58.63
姫多々良五十鈴姫のところを加筆したのかと思ったら卑弥呼のところかよ。
バカ言ってんじゃないよ。
そもそも五十鈴さんと出雲の関係をもっとしっかり証明するところから始めろよ。
あと、多分卑弥呼とは別人。

628: 2017/04/20(木) 18:58:49.47
>>627
大国主→大物主→ヒメタタラ

>多分卑弥呼とは別人

多分かいw

629: 2017/04/20(木) 19:18:42.58
大物主と大国主はそもそも別人だし。

630: 2017/04/20(木) 21:08:10.21
なんらかの独立した地方政権は存在していたと思うけど
それがどのくらいの規模なのかはわからん
ただ、神話は神代のもので、現実界で起こっていた話ではないよ
漫画的世界だから当たり前だけど

632: 2017/04/21(金) 00:56:30.95
>>630
>神話は神代のもので、現実界で起こっていた話ではないよ

現実にあった話を神話化したとは考えた事ないか?

631: 2017/04/20(木) 21:57:59.59
神代とは、奈良に都が作られるより前の上代のこと。

633: 2017/04/21(金) 01:19:32.60
そもそも神話と我々が勝手に呼んでいるだけなんだよ。
古語では神とは王族のこと。
神社神宮はそもそも王宮だった。
神輿も本来は王族が乗る御輿だった。
国生み神話も国譲り神話も、倭国創成期の征服譚に過ぎない。

634: 2017/04/21(金) 08:47:42.73
神武が熊野で道に迷って高天原からヤタガラスが道案内役として派遣される話。
高天原が九州にあったなら何で紀州・熊野の道案内ができるのだろうかと思ってた。
違うのだ、高天原は葛城であって、だから道案内ができたのだ。
タカミムスビも高天原=金剛山に住んでた高天彦という実在の人物がモデルだろう。
アマテラスは葛城にいたシタテルヒメ=タカヒメがモデルだろう。
すべて実在の人物を神話化したのだ。

639: 2017/04/27(木) 23:11:07.26
>>634
地元の伝承によるとヤタガラスと呼ばれた人達は、神武軍と戦った人達に、
山奥へ追いやられてた元々の少数の土着の先住民だと言う話。

649: 2017/05/28(日) 13:00:15.44
>>639
出雲帝国の第8代少彦(副王)で有った八重波津身命(出雲帝国東王家、向/富家の当主)が
渡来した秦人(徐福)らに謀殺され国が混乱したたため、
后らは御子を連れてそれぞれの故郷の実家へ逃避なさったらしい。
摂津三嶋の生玉依姫も同様(事代主神が八尋鰐と成って通った云々はでたらめ)で、

御子の天日方奇日方命ほか(ヒメタタラヨリヒメ、イスケヨリヒメ、大屋姫ほかも)を連れて摂津三嶋(大阪府の高槻~茨城辺り)の実家へ多くの出雲人らと共に帰りました。
その天日方奇日方命が長じて大和の葛城地方北部にお付きの出雲人や家臣らと共に
移住し、 登美(富、外山、鵄(金鵄/金鳥)、飛鳥)家を号して、
神祠に亡き父君、八重波津身命を祀り、氏神としたのが
後の鴨都波神社(葛城の下鴨神社)なのだそうです。

また、これに少し前後して登美家を頼って
同じく渡来した秦人らに謀殺された第8代オオナモチ(主王)で有った
(出雲西王家、神門臣家の当主)八千戈命(いわゆる祟る大国主神)の
御子、阿知須気高彦(祖法により第9代の少彦(副王)に為られたかと。同じく第9代のオオナモチ(主王)は八重波津身命の御子の鳥鳴海命が即位。
二王は渡来人ら賊にひっ掻き回されて帝国の基盤が揺らぐ中(簒奪される危機)、
迅速かつ適切な処置、施策により帝国は再び安定をとりもどした。
そうなると謀略を巡らした徐福ら渡来人勢力は大逆無道の大罪人として出雲兵らから執拗に狙われ
僅かに得た領土(丹波)や保身もままならず妻子(出雲西王家の血筋)を放置して
慌てて中国へ逃げ帰った。、、、イザナギの国生みの失敗に相当)

の御子ら(出雲西王家、神門臣家の子孫)が葛城の南部に移住してきて
高賀茂家(神をカモと発音した)を号して 神祠に父祖の阿知須気高彦ほかを祀り
氏神とした(高賀茂神社(上賀茂神社)。御歳神社(中賀茂神社))

、、、

650: 2017/05/28(日) 13:40:39.45
>>649
そうこうしていると、今度は丹波王国の天村雲命らが大勢の丹波人らと共に大和に流入してきて
勢力を拡大。
それを見た先住の葛城の登美、高賀茂の王家らは人品骨格賎しからず、勢力強大なるを認めて
大王に推戴。
天村雲命(父(徐福。天火明/ニギハヤヒ。/スサノオ/イザナギ、天照大神、天御中主神、、、)は天香語山、母は穂屋姫(同父、異母兄妹の夫婦。
穂屋姫の母は出雲王家分家のカタアタスが建てた宗像王家の三ノ姫の市杵島姫))
は大倭国の初代大王に即位。(一人目の神武。ホホデミ)
此に依り丹波、葛城(大和)連合王国=大倭国が成立。

、、、

651: 2017/05/28(日) 13:58:00.69
>>650
大倭国も時代が下り、第8代孝霊天皇(母はヒミコ=大倭媛命(宇那比媛命(意味は大国霊媛命))の女)の頃に
同祖(徐福。×出雲系)で遠い縁戚の九州の物部王家が
大倭国(蘆原中国)に触手を伸ばして侵攻を開始。
大阪から上陸侵攻をを試みた緒戦は完膚な迄に迎撃されて完敗。
紀伊半島を南に迂回して紀伊熊野から再度上陸侵攻を開始するも
高倉下の子孫勢力に阻まれ、執拗なゲリラ戦に遇って進退窮まる。

迎え討つ大倭国側は実は内乱、権力闘争に明け暮れ内実は一枚磐とは言えない状態。
其処に付け入る余地ありとみた侵攻軍側は
大倭国内の揉め事に嫌気が注していた
葛城の登美家当主に密使を送り
内応(裏切り)と手引きを要請。
受託した登美家当主側が自領域内を通して侵攻軍を吉野へ誘引。

635: 2017/04/21(金) 08:55:45.18
モデルがいるという話はいまでも映画などで普通にあるからね。
「猿の惑星」は旧・日本軍に奴隷にされた白人の話だしね。
宇宙人グレーというのも体が小さくハイテクで頭が良く目が吊り上がっていて、
いつもグレーのスーツを着てる日本人がモデルだしね。

「猿の惑星」を見て、
人間の言葉を話す猿なんていない!と当たり前の事を言ってるやつってダサいよねw

636: 2017/04/21(金) 08:58:19.57
サルのはクセエ

637: 2017/04/21(金) 13:36:33.51
文献史学的アプローチもいいけど、考古学アプローチもね。
荒神谷遺跡の大量の銅剣銅矛、加茂岩倉遺跡の大量の銅鐸、
山陰~若狭まで分布する四隅突出型弥生墳丘墓。
ムキパンダ遺跡や青谷上寺地遺跡等々
出雲の文化だけれど、文献とどう整合させていくか?出土物から情勢をどう構築するか?
まだまだ、不十分だよね。
魏志倭人伝にも記載されなかった文化だから、謎だらけ。

640: 2017/05/02(火) 23:09:53.09
あと、私見だけど出雲系の人達は朝鮮半島からの移住者ではないかと思う。
荒神谷からの多数の銅鐸の出土が国譲り後の出雲族の祭祀の仕方の変化を物語っているのかなと

641: 2017/05/11(木) 18:13:15.15
出雲の人が新羅に移り住んだんだよ

642: 2017/05/11(木) 18:18:30.17
その出雲へは、阿波から出雲忌部一族が移り住んだんだよ

643: 2017/05/12(金) 13:08:50.28
忌部という地名は島根県松江市にある。
忌部に補任した人物が忌部氏を名乗り阿波に移った可能性はないの?
徳島にも忌部って地名ある?

648: 2017/05/28(日) 12:42:09.60
>>643
忌部氏は、、、秦人の徐福らが連れてきた3000人余の海童集団の中の一団だとか?

644: 2017/05/27(土) 18:56:42.81
当時の下朝鮮は、縄文人の子孫が住む地域だけどな

645: 2017/05/27(土) 20:02:18.43
そもそも、民族がいてから国ができたんだから、朝鮮と倭を分ける意味はないと思う。
環日本海で大陸の南北から渡ってきた人たちが最終的に住み着いたのが日本ってだけで、
当時の人に「日本」と「朝鮮」なんて認識はないだろ。

646: 2017/05/27(土) 20:20:07.99
海峡があるからさすがに意識するだろう。

656: 2017/05/28(日) 14:29:42.65
ところで、阪神地域は元来は出雲王家の領地だったのでは無かろうか?
神戸は神門(出雲西王家、神門臣家)の転嫁にも思えるし、
六甲山のロッコウサンは正式な名称ではなくて通称(国土交通省国土地理院の地図に六甲山の名称はありません)。
ムコウノ山、ムコノ山、、、向山。
西宮廣田神社 の主祭神は天照大神荒魂。、、、ツキサカキイヅノミタマアマサカル「向」津媛命
およそ、向(富、トビ)大王家の優れた大巫女さま位の意味かと。
向/富家は出雲東王家で分家(天日方奇日方命流)が阪神(摂津)~葛城(大和)に勢力を張ったかと。

657: 2017/05/28(日) 14:38:53.77
>>656
三輪山、大三輪神社の初代神主に太田田根子命が成れた由縁も
鬼気神話に伝えている通り、血筋が天日方奇日方命の直系子孫=登美王家の末裔。
大三輪の神が実は天日方奇日方の父君の事代主神こと、八重波津身命だから。

神祀りとは要するに先祖を祭祀する事に他成りません。
鬼気神話の崇神天皇は子孫でも何でもないので祭神を祭祀出来ず荒び祟りを為した

658: 2017/05/28(日) 14:42:44.41
>>657
また、崇神の血筋(九州物部王家)から祖先らは三輪山の神、事代主神こと、八重波津身命らを謀殺したので大いに祟る理由にもなります。

661: 2017/05/30(火) 11:29:36.94
徐福が出た時点でアウト。

そんな考古学的証拠も痕跡もどこにもない。

664: 2017/05/30(火) 18:10:11.82
>>661
否定する根拠がない。

662: 2017/05/30(火) 13:32:13.33
1世紀になると、出雲は四隅突出型墳丘墓に代表されるようにローカル色が強まるからな。

紀元前後に何かあったんだろうな。
畿内倭国の拡大だと思うけどね。

1世紀は、天孫降臨に代表されるように、倭国が各地の首長と血縁を結んだ時代かもしれないね。

665: 2017/05/30(火) 18:13:18.08
>>662
>1世紀になると、出雲は四隅突出型墳丘墓に代表されるようにローカル色が強まるからな。
>紀元前後に何かあったんだろうな。

出雲の国譲りだな。
四隅は筑紫の影響下で作られたんだろう。
同じ頃に筑紫では伊都国が成立するので、そちらでは天孫降臨があったのだろう。

>畿内倭国の拡大だと思うけどね。

畿内ではない。
倭国とは、筑紫、出雲、越など日本海側の地域を言う。
畿内はまだまだ辺境の地。
考古学的に甚だ不毛だよ。

663: 2017/05/30(火) 14:41:48.62
倭面土国王帥升が漢王に会いに漢に行ったのに謁見してもらえなかった史実があるところから見て、
倭面土国=ヤマト国支配による連邦の成立は1世紀頃だったんじゃないのかな?

この帥升という謎の王がヤマト国支配を進めた王だったんじゃないかな?

神武天皇か??

666: 2017/05/30(火) 18:14:57.14
>>663
帥升は博多湾沿岸の勢力を代表していたと言うのが定説。
なぜなら考古学的にまだ博多湾沿岸にしか王権が存在していなかったから。

671: 2017/06/03(土) 21:04:21.71
>>666
>帥升は博多湾沿岸の勢力を代表していたと言うのが定説

博多湾沿岸なら「漢委奴国王印」がすでにあるよね。
帥升の50年前だ。
なんで50年の間に2回も貰いに行くのかな。
つまり帥升は北部九州ではない。
おそらく畿内か出雲だ。

672: 2017/06/03(土) 21:50:58.85
>>671
だよな。

やはり倭面土国(ワメトコク)という響きから、素直にヤマト国と考えるべきだろう。

しかし、スシ王は漢に行ってビックリこいたと思う。

漢の文明水準は日本で言うと鎌倉時代頃の文明水準だからな。

タイムマシンで千年後の世界を見にいったようなもの。

673: 2017/06/03(土) 22:28:47.14
>>672
記録が抹消されているだけで、倭国の王族たちも元は中国のエライ人だったのではないか。
呉の太白とか。

667: 2017/05/31(水) 00:41:40.57
銅鐸の製造法、用途は、シナの祭祀文明から来たとしか思えない。

669: 2017/05/31(水) 02:06:28.99
>>667
殷→箕子朝鮮→出雲という伝播ですね

668: 2017/05/31(水) 00:48:13.73
銅鐸は朝鮮の銅鈴がルーツ

670: 2017/06/03(土) 21:00:51.00
佐原真さんの編年では朝鮮銅鐸は最古ではない。
はっけんされた場所は単なる倭人の移住地だろう。
だいたい朝鮮で出土した銅鐸の量は少なすぎる。

672: 2017/06/03(土) 21:50:58.85
>>670
だから銅鐸のルーツは朝鮮の銅鈴なんだろうが。

銅鐸じゃないぞ。

銅鈴な。



676: 2017/06/07(水) 14:21:37.58
西暦の元年。
中国では前漢帝国の外戚で実力者で有った王莽が前漢帝国を簒奪して
「新」帝国を樹立。(歴史年表的に非常に分かりやすい事象)
しかし、「新」帝国の皇帝となった王莽は遥か昔、500年前の古代の聖王の理想的な治世?を懐古して実勢と解離した政策、思想を断行した為に
帝国成立から間もなく歪みが顕在化~怨嗟の声が高まり早くも各地に反乱が頻繁。
新帝国は僅か十五年で瓦解。
その反乱革命軍勢力の連中による「中原に鹿を逐う」レースに勝ち抜き
前漢帝国劉氏の皇室の分家の末裔の更に末席で有った劉秀が漢帝国(後漢)を復興して光武帝と成った。

宗教的にはキリスト教が1世紀前半のこの時期(光武帝~第2代明帝期に)に早くも後漢帝国の都、洛陽に到来。
中東~西洋のようなキリスト教(景教と号した。イエスキリストは同じく(スペルは同じで読み方が異なる)イーサ、イシェ等と言う(石、磯、伊勢、イザ(なぎ)))にたいする禁圧や弾圧は全く無く。
到来するやいなや京師の洛陽は云うに及ばず漢帝国全土に展開して教会を建てて盛んに布教活動をしていた云々。(後漢書)
歴史書(正史)に記述される程ですからキリスト教団はかなりの信者と規模と成っていたと思われます

677: 2017/06/07(水) 14:33:40.18
>>676
前漢末期~王莽の新帝国建国当初の混乱期に生きる場を求めて民が流民化して
玉突き現象どその一部?が日本列島に渡来したと考えてもおかしくはありません。
そうなると、先住民との間に生きる為の争い事は起きて然るべき問題。
ひょっとしたらこれにより九州がワヤクチャな状態になったのを忌避して(玉突き現象で)東の新天地の畿内へ触手を動かした?

678: 2017/06/07(水) 16:44:31.86
>>677
>東の新天地の畿内へ触手を動かした?

あんな沼地へ?  莫迦ですね

679: 2017/06/07(水) 17:35:33.52
博多湾沿岸から西日本各地への播種は断続的に繰り返されたのでしょう。
最終的に、たまたま奈良盆地の勢力が天下を握る結果となり、その祖先がクローズアップされただけだと考えられます。

680: 2017/06/07(水) 17:42:41.69
>>679
>最終的に、たまたま奈良盆地の勢力が天下を握る結果となり、

沼地の奈良盆地では、天下は握られまへん。

682: 2017/06/07(水) 18:54:35.42
>>680
筑紫倭国が白村江で大敗してしまったから。
唐の傀儡政権として天智天皇が即位した。

684: 2017/06/07(水) 19:33:30.21
>>682
だ・か・ら・ 沼地の奈良盆地では、天下は握られまへん。 と言ってんの!

685: 2017/06/07(水) 19:42:34.71
>>684
という根拠は?

686: 2017/06/07(水) 21:25:10.81
>>684
戦勝国である唐の意向が働けば可能。

687: 2017/06/08(木) 00:51:36.58
沼には必ずほとりがあるという事を理解していないのだろうか

山形県の山形市は沼のほとりに出来た都市なので山形盆地の中心からかなり東に外れた所にある

688: 2017/06/22(木) 16:24:30.86
(2世紀から4世紀まで)
スサノオ(帥升)107年




ヒメ踏鞴  (3世紀初)神武 
ヒメ踏鞴        綏靖  
ヒメ踏鞴        安寧  
トヨ津         懿徳 孝昭 
トヨ津         孝安    ​     
     磯城の台頭  孝霊 孝元 開化
    崇神(4世紀初~前)

689: 2017/06/22(木) 16:49:52.69
【エリザベス女王】「エジンバラ公」

これが今のイギリス。
これに「天皇・皇后」の称号を加えるとこう変化する。

【エジンバラ天皇】【エリザベス皇后】

そしてエジンバラ天皇の武勲をこれでもかと強調、
エジンバラ天皇の記述を9、
エリザベス皇后の記述を1にする。

いつしかエジンバラ天皇だけが記憶され、エリザベス皇后が忘れ去られる。

これと同じなのだ。

普通の日本人で初代天皇の名は答えられても初代皇后の名は答えれる人はいない。

卑弥呼は忘れ去られた。

700: 2017/06/24(土) 00:46:51.76
>>689
いや、おまえ、共同統治者の称号をもらってないフィリップ殿下を天皇とか
不敬にもほどがあるぞ

690: 2017/06/22(木) 20:27:40.23
弥生時代に皇后なんて制度はありません。

691: 2017/06/23(金) 10:57:21.98
スサノオ伝承のある神社、文献ってあるの?

701: 2017/06/24(土) 00:48:13.74
>>691
そもそも出雲大社は、江戸時代は素戔嗚が主神扱いだったりした

702: 2017/07/01(土) 23:08:31.27
>>701
何故、スサノオから大國主に変わったのでしょうか!?
元々が間違っていたのでしょうか!?

692: 2017/06/23(金) 11:34:52.17
須佐神社

693: 2017/06/23(金) 11:35:18.66
昔の中国は本当にすごいな。

1900年前の倭王の訪問記録まで残ってるんだから。

弥生時代の倭人のファッションまで知る事ができるのはひとえに中国の絵図のおかげ。

694: 2017/06/23(金) 11:42:25.58
>>693
>弥生時代の倭人のファッションまで知る事ができるのはひとえに中国の絵図のおかげ

出典は?

695: 2017/06/23(金) 12:45:53.17
後代の想像図を当時の描写と勘違いしてるんだと思う

696: 2017/06/23(金) 13:06:20.97
梁職貢図なんですが、6世紀のものでした。

古墳時代の倭人のファッションみたいですね。

でも、弥生時代とほとんど変わらないんじゃないでしょうかね。

非常に原始的なファッションですよ。

697: 2017/06/23(金) 22:25:02.38
古代出雲は意宇と杵築で権力争いがありまとまっていなかった。
結局、意宇の勢力が勝利した。

698: 2017/06/23(金) 23:46:41.01
原始的なファッションを想像して書いたんだから
原始的なファッションだろうよ

699: 2017/06/24(土) 00:21:03.02
にしてはリアル過ぎるが。

705: 2017/07/02(日) 14:34:08.96
>>699
ミケランジェロのダビデ像だってリアルだが後世の想像で作っているから
実際のダビデとは違うだろう

706: 2017/07/02(日) 14:37:27.60
そもそもスサノオは大国主や月読と伝説が重なる事が多い

707: 2017/07/02(日) 14:43:21.55
カラスの紋、マークは何なんだろう、
あのキュウリの話?

708: 2017/07/02(日) 14:46:23.21
ガガイモなのか、何なのか、知らないけど

イモ類の葉だよと言っていたり

家の先祖の写真

709: 2017/07/02(日) 15:19:08.22
ガガイモの実か葉か忘れたけど
スクナビコナがそれで造られた舟で美保関あたりに来たって伝説あったな

710: 2017/07/02(日) 15:53:09.90
島根県安来市あたりだろ。

711: 2017/07/02(日) 16:38:09.43
『ワイによって助けられる』という記事があるけど

『ワンピース 粉雪』と同じ話

712: 2017/07/02(日) 16:41:15.47
白蛇 ひどらの市 氷の世界?

713: 2017/07/02(日) 16:56:17.85
あとカッパが出てくる『魔法のペルシャ』という作品とか

715: 2017/07/02(日) 18:37:54.75
『ボヤッキー 会津若松』でググると、
『デスラー』というキャラの画像も出てくる

キャラクター名=仮名だと思うんだけど

716: 2017/07/02(日) 18:43:05.26
Dead Or Alive『Turn Around and Count 2 Ten』

この曲を聴いてみて

718: 2017/07/02(日) 21:15:46.26
『ロシア ミサイル』とか

719: 2017/07/02(日) 21:29:21.44
むかーしの渡来、帰化人?
日本人ではないと書いてあるはず

現在の中華 半島 ロシア モンゴルの出身の人々、
ペルシャ

それと『インドの姫 機織』

720: 2017/07/02(日) 22:05:14.66
家系図など話、
なぜニセの系図だとわかるのか?

先祖の生れた地を攻撃する人はいないでしょ、
先祖だと思われる国の人々を殺したり

721: 2017/07/02(日) 22:20:36.70
そういう話(由来)すら知らなかったという事なのかな、
知っている人は戦争にも行っていない?参加していない?

722: 2017/07/03(月) 14:37:27.60
大国主 渡来系弥生の中のold comer

天孫族 渡来系弥生の中のnew comer

725: 2017/07/03(月) 20:42:35.51
百済とはまるで兄弟国のような近さだったな。

726: 2017/07/03(月) 21:23:51.99
遺物・遺跡が物語るように、環日本海文明人=倭人だろ。当然出雲族もその一派。
九州からやってきた天孫族は倭人じゃないと思う。
天孫族が出雲を征服して、倭人文明圏を侵略したけど、大陸では北方民族に負けて、
その時に大陸の倭人も日本に逃げてきたのが百済人だと思う。

727: 2017/07/03(月) 21:27:50.88
>>726
はあ?
天孫族は九州にやって来た一族だよ?
発生は対馬海峡だと思うけどね。

729: 2017/07/03(月) 22:19:20.66
民と支配層が同じ民族とは限らないからな。百済や新羅も同じ。

出雲を統一したとされる大国主が果たして、先住民系かは別の話。

732: 2017/07/04(火) 08:34:21.91
2世紀前半から3世紀後半まで続き、ヒミコやトヨを生んだ王朝を、
日本人がすっかり忘れてるわけがない。

文献にしっかり出ている。
そして彼らは神様になり今も信仰されている。

大国主、大物主、事代主、鴨王。

これがヒミコやトヨを生んだ王朝の男王たち。
もういい加減に気づけ。

これこそが葛城の「神」王朝であった。
崇神に倒された前王朝。

朝廷はさすがに神は気まずいのか彼らに「鴨」の字を当てた。

また彼らの聖地、神野を熊野にしたわけだ。

733: 2017/07/04(火) 08:37:27.86
渡来系に支配なんてされてないよ。

うちの近くに限定しますが、百済系渡来人が被差別部落を形成してます。

信太の首、林の史、都祁氏など。

個人的に来たのならともかく、
集団ですと、
どうしても日本人との生活習慣の違い、
民族性の違いなどから差別が生まれてきたのかもしれません。

江戸時代の非人頭・浅草団座衛門も秦氏の末裔で間違いないと思います。
出身地といわれる川西の火打村の川向いの池田市の伊居太神社(いけだじんじゃ)は、
渡来してきた織姫・穴織媛(あやはとりのひめ)が祭神ですから秦氏系の地域で間違いないと思われます。

734: 2017/07/04(火) 09:39:53.29
百済の王族や職人、平民では話が違うから
百済と言うだけでひとくくりにするのは問題だと思う

737: 2017/07/04(火) 14:44:35.04
>>734
百済ということは、おおざっぱに出雲より500年は後なので、事情が全く違う。

741: 2017/07/07(金) 15:51:54.55
>>737
アンカ間違っていないか

742: 2017/07/07(金) 15:56:53.35
神話の時代の系図を盲信するのは止めようよ
戦後どころか明治時代の史観だよ

744: 2017/07/07(金) 21:51:37.09
>>742
書かれたのは奈良時代だけどな。
どこが嘘でどこがどんな史実に基づいているのかをきちんと論じるべきで、貴重な文献を頭ごなしに否定するべきではない。

743: 2017/07/07(金) 15:57:13.02
中国製の小札革綴冑が3世紀後半から4世紀の畿内の古墳から出る。
十数点の出土のうち九州はわずか1点、残りはすべて畿内。

当時の日本にこんな精巧な冑は作れない。
おそらくトヨの朝貢時に入手したのだろう。

この時点で中国と通交してた主体は畿内であり邪馬台国論争は決着する。

この小札革綴冑は山城の椿井大塚山古墳から出る。

崇神に反乱を起こした武埴安彦命が挙兵した場所であり、
椿井大塚山被葬者が武埴安彦である可能性が高い。

もう一つ面白いところから出る
大阪柏原の玉手山3号墳だ。

この時代に河内の首長が中国製の小札革綴冑というお宝を手に入れていた。

被葬者の該当人物がいる。

孝元天皇の妃・埴安媛の父、河内青玉繋だ。
武埴安彦の祖父になる。

河内青玉繋→埴安媛 →武埴安彦(崇神時代)

祖父と孫、つまり同じ一族が小札革綴冑を手に入れてたのではないか。

ということは河内青玉繋はトヨの時代を生きていた。
トヨの朝貢団の一人ではないのか。

どちらにしても「欠史」などと言われてきた初期8代天皇は確実に実在した、
そして魏志の台与と大和朝廷がこの冑によって結びつくのだ。

748: 2017/07/08(土) 22:35:31.61
>>743
畿内主体なら、なぜ晋墓の鏡の3分の1を占める位至三公鏡が北部九州より少ないの?
畿内で出土してる鏡も後の時代の古墳からの物が多いし

やっぱり北部九州とは別ルートなだけだろう

745: 2017/07/08(土) 13:53:51.57
盲信以外は全部頭ごなしの否定だと思い込んでいるのか

746: 2017/07/08(土) 20:23:28.46
実際、記紀アレルギーは多いだろう。

747: 2017/07/08(土) 21:33:06.47
アレルギーというか、記紀を全否定する俺カッコイイ病、だろ。

749: 2017/07/09(日) 13:20:30.10
出雲は隠岐の黒曜石を背景に
漢四郡、馬韓、辰韓、沿海州ウラジオストック、
北九州、敦賀、七尾、糸魚川、青森等
と交易が有った、古代海洋王国だろ? 

スサノオスレだったなんて、ガッカリ杉w

大和朝廷と併合したのって具体的にいつだったんだろう?
銅鐸時代だとは思うけど、荒神谷遺跡の青銅器廃棄と関係あるかな?
記紀って、ホント役に立たないよね。

750: 2017/07/09(日) 13:39:25.86
スサノヲが息子とともに農業を教えて回った話はあるので、それに近いことはあったのかもね。
荒神谷遺跡は筑紫に負けた出雲の国譲りだろう。
大国主だけが死んで(隠れて)、あとは降伏したらしいから。
ただ、記紀は筑紫から畿内への政権交代を隠しているんだよ。

751: 2017/07/09(日) 13:46:13.29
どのスレッドだったのか覚えていないけど

日本は負けたんだよw
ちゃんと仕事をしろよw

という書き込みがあったよ

753: 2017/07/09(日) 15:06:54.00
筑紫から畿内への政権交代?

邪馬台国王権は魏使を返した266年以降、400年まで中国交易が無い。
魏が滅びた事も有るけど、司馬氏への移譲なんだから、
邪馬台国が挨拶朝貢しないのは、邪馬台国王権も終ってると思うんだけどね。

270年以降、対馬貿易が無いか、と言うと任那設立、半島進出を始めて
馬の移入と鉄の国内生産化の富国強兵政策への転換を達成している。

馬の生産は甲斐に勅営御牧、鉄も生産は中国地方や琵琶湖周辺。
これは、九州勢力に出来る事では無くて、関東北陸に勢力が有った
征東の大和朝廷と海運王国出雲の勢力が対馬航路を独占したって事だと思うけどね。

魏使に援助求めるようなヘタレ王権が半島進出なんてできないでしょw
400年以降、倭の五王時代は、建康=南京に半島利権交渉に行ってる訳で
出雲は済州島から、長江への航路も知ってたんじゃないかな。帰り早いし。

754: 2017/07/09(日) 16:18:41.41
卑弥呼は倭国の女王で、倭国は白村江の戦いがある7世紀まで存続しているけど?

755: 2017/07/09(日) 16:39:02.59
卑弥国(卑彌國)や不弥国(不彌國)ってどこでしょうか?w

756: 2017/07/09(日) 17:31:06.60
倭人在帶方東南大海之中、依山㠀爲國邑。舊百餘國、漢時有朝見者。今使譯所通三十國。

が、魏の倭国認識であって、
近隣20数国をまとめた7万戸ほどの九州の国邑、邪馬台国の王を時の倭王とした。
邪馬台国の王権は共立で世襲ではなく、魏使と言うか帯刀郡の下級武官の干渉に
隣国との軍事的衝突の解消を依存してるような王権であって、持続可能性はほぼ無い。

4~500年に存続している継続王権の倭の5王は平定したとする朝鮮半島利権の交渉で
邪馬台国当時の倭国と無縁な南朝に渡海していて邪馬台国では有り得ない。

757: 2017/07/09(日) 20:53:35.15
王統が入れ替わっている可能性はあるけれども、筑紫の主が変わっているだけで、筑紫倭国としては7世紀までは一貫しているのだろう。

758: 2017/07/09(日) 21:04:56.61
筑紫倭国が有ったとして、
半島は冊封なので百済同様に
九州は冊封だった可能性が高い。

邪馬台国当事の九州が中国史で明らかな以上、
日本神話九州起源に意味が無いのは判るだろ?

邪馬台国は記紀を否定している。

判らないならレスしないでね。

759: 2017/07/09(日) 21:43:47.07
半島も倭も、冊封するのは中国だよ。
寝ぼけんな。

760: 2017/07/09(日) 23:04:06.82
大和朝廷は九州筑紫を筑紫の君に統治させてるんだが、これは、冊封と何が違うんだ? 
この時、日本王朝は間違いなく古代中国系の立憲君主制に移行しようとしている。
まあ、記紀のおかげで現代まで継続してるのは日本だけだけどね。
おれも、韓も九州も外国とは言わん。 チベットウイグルに独立を!

765: 2017/07/10(月) 17:43:35.28
>>760
暑さで頭沸いてんのか
かわいそうに

761: 2017/07/09(日) 23:17:43.06
寝言は寝て言え。

763: 2017/07/10(月) 13:46:57.39
「熊襲の女酋説」
「本居宣長、鶴峰戊申、那珂通世らが唱えた説。本居宣長、鶴峰戊申の説は卑弥呼は熊襲が朝廷を僭称したものとする「偽僣説」である。
本居宣長は邪馬台国を畿内大和、卑弥呼を神功皇后に比定した上で、
神功皇后を偽称するもう一人の卑弥呼がいたとした。
ニセの卑弥呼は九州南部にいた熊襲の女酋長であって、
勝手に本物の卑弥呼(=神功皇后)の使いと偽って魏と通交したとした。」

帥升がスサノオと仮定すると卑弥呼は分かります。
彼らは気づいてます。
神武東征が女王国を隠蔽するため、わざと大げさに記述し、男王国に見せかけたことも分ります。

日清戦争に勝つ前はまだ中国への劣等感が払しょくされてません。
そんな時代に公に出来なかった。

そういう事でしょう。

764: 2017/07/10(月) 13:49:16.08
知らない方が良い事実もある。
知らない方が幸せである。

本居たちはわざとヘンテコな説を提起して知らない方が良い事実を隠した。

そういうことでしょう。

766: 2017/07/14(金) 23:46:35.18
八束水臣津野命が真の王

772: 2017/07/18(火) 08:44:30.16
>>766
古代出雲帝国の第6代オオナモチ(主王)が八束水臣津野命。
出身は西王家の神門臣家。御子には九州統治を委任される形で分家独立して宗像王家を建てたカタアタス命。
そのカタアタス命の三人の娘がいわゆる宗像三女神。

この第6代オオナモチ、八束水臣津野命の時代に領土、勢力を北陸から九州迄一気に拡大したらしい。

古代出雲帝国の制では東西2つの王家が主王(オオナモチ)と副王(少彦/スクナヒコ)を代替わり毎に交代して就任する慣わし。

767: 2017/07/17(月) 23:31:35.24
国を譲ったことになっている大國主之命は、結局ころされてしまったの(・ω・`)?

773: 2017/07/18(火) 08:50:42.96
>>767
いわゆる大国主命とは、第八代オオナモチの八千戈命。

また、御子とされた事代主命は、実際には第8代の少彦(副王)の八重波津身命で出雲の東王家、富/向家の当主で在られた。

お二方共に渡来人(秦国人某)ら一味(日本史のアンタッチャブル)に拉致誘拐~岩屋に幽閉殺害された。と微かに伝わります。

768: 2017/07/17(月) 23:44:19.84
祟り神って事はそうなんでしょう

769: 2017/07/18(火) 07:27:36.39
お隠れになった、と表現されているのは、亡くなったということだね。

770: 2017/07/18(火) 08:16:19.15
>>768-769
レス有り難うございます。その辺の事情が良く分からないとこなんです。
天津神に帰順したように書かれているのに何故、死ななければいけなかったのか?(・ω・`)

774: 2017/07/18(火) 10:57:38.89
>>770
秦帝国からの渡来人一味は出雲帝国に許可を取り付け(ホヒが事前の工作)、石見国五十猛海岸に着岸、上陸。
最初こそ始皇帝の勅命を奉じて配下を全国的に遣わして不老長寿(不死)の妙薬探索を行います(多分、この時に得た各地の様々な地勢、情報等が後々貴重な原資料になった?)が、

、、、(んなモノ実際に無いのは明白)、、、次第に目はこの列島の大部分を支配下に置く出雲帝国の乗っ取り=簒奪に向いていき?
渡来人の首魁何某は王家の娘と婚姻して王族となり、
御子も産まれて出雲側の警戒心が緩んだ頃合いを逃さず、岳父のオオナモチ、八千戈命を巧妙に誘い出して(現在の長浜神社辺り)拉致誘拐。
猪目洞窟に幽閉して殺害(地元では黄泉の国の入口。近づくと×)
オオナモチの行方不明(この段階では真相不明)を伝え聞いた(三保の早船神事が遺風を伝える)三保の別邸(後の三保神社)に
逗留していた少彦(副王)の八重波津身命(東王家、富/向家当主)が探索に出かけるところを族ら一味が得意の弁舌で巧みに誘引、拉致誘拐。米子市の今は干拓地となり陸と成っている粟島の志都の窟(洞窟)に幽閉殺害。
八重波津身=少彦名(役職の少彦を改ざん)/粟島神=事代主(「積歯八重」事代主命に改ざん。ヤエハツミをひっくり返してツミ・ハ・ヤエ)=大物主神(子孫らが大物主神として三輪山に祀る)

崇神、垂仁天皇らが三輪山の神を祭祀出来なかったのは血筋が違うから。
反対に太田田根子命が三輪山の神を慰嘸して鎮祭できたのは八重波津身命(大物主神)の御子の天日方奇日方命の直系の子孫だったから、。
(根子(彌子)は王者の称号。何となれば「大倭根子とは天皇陛下の称号の一つに他ならない」)

775: 2017/07/18(火) 11:18:29.57
>>774
渡来人一味らは事が順調に進んで支配を拡げていると安堵したのも束の間、
出雲帝国の制に則り、殺害された八重波津身命(東王家、富/向家)の御子の鳥鳴海命が敢然と第9代オオナモチ(主王)に即位、
併せて、殺害された八千戈命(西王家、神門臣家)の御子、味耜高彦が少彦(副王)に就任して
早急かつ適切な善後策を施行して一旦は屋台骨が揺らいだ出雲帝国も態勢を盛りかえして磐石となり、
国を引っ掻き回され二人の王(イザナギの国生み、ヒルコと淡島に比喩)を弑逆して国の簒奪()を謀った大逆無道の大悪人どもは出雲兵に捕遂、付け狙われ僅か?に得た丹波国を放棄、妻子を置き去りにして秦国に逃げ帰った。
(イザナギの国生みの失敗。スサノオの高天ヶ原での乱暴狼藉。火之神(渡来人)を生んで死亡したイザナミ(出雲)を黄泉の国に訪問して、約束を破った(法令違反)事から追撃される行、ら)

771: 2017/07/18(火) 08:27:00.01
大将首を差し出せぱ、民の命は助けてやる。
拒否するなら血の雨が降るぞ。

こういう感じ。

777: 2017/07/18(火) 22:20:53.78
>>771
成る程。レス有り難うございます。(・ω・`)

>>772-775
詳しいレス有り難うございます。血塗られた歴史ですね。
そのあたりの史料は、どんなものが有るのですか(・ω・`)?

776: 2017/07/18(火) 17:36:44.20
文明を発明したのは縄文人
古代エジプト王国(邪馬台国)を作ったのは縄文人(シュメール人)

778: 2017/07/19(水) 09:46:47.83
>>私は探しました。
>>崇神の少し前にトヨ、その少し前にヒメがいます。

 >ひょっとすると、すごい発見かもしれません。
 >その二人は、皇室の系図にいらっしゃるのでしょうか?
 >そうであれば、どのあたりにいらっしゃるのでしょうか?

います。初代皇后と4代皇后です。ヒメ踏鞴と天トヨ津です。
そう言うと必ず反論が来ます。卑弥呼は独身だが?という反論です。

【年已長大、無夫壻】
・歳すでに長大である。夫はいない

たったこれだけです。にも関わらず卑弥呼は生涯独身であったかのようにいう人たちがいます。
ちなみに今現在、私の母親は【年已長大、無夫壻】です。
しかし子も孫もいます。卑弥呼に子がいてもいいし孫がいてもいい。

そのヒメ踏鞴の夫である神武が初代天皇です。
この天皇・皇后という称号は7世紀に出来ました。
創った理由は大王(おおきみ)ではなかった神武を新称号・天皇に繰り上げるためです。

実は神武の時代が女王国だった。
日本書紀の神武東征の大げさな記述は女王国であった事をごまかすためでしょう。

ではなぜごまかすのか。
ヒメ踏鞴・神武夫妻の5世代100年前、自ら海を渡り後漢の皇帝・安帝に朝貢しようとした日本の王がいました。
スサノオです。

日本の歴史が中国への土下座朝貢から始まるなんて惨めにもほどがある。

だから分らなくさせようと神武の時代をBC660年というトンデモない時代にずらし、
この史実(スサノオの朝貢)を封印したのだと思います。

782: 2017/07/25(火) 00:13:20.59
>>778
スサノオって、普通に須佐之男、じゃないの?
ルーツは知らないけど須佐に住んでたんでは

779: 2017/07/20(木) 00:27:28.45
弥生時代に皇后もへったくれもない。
神武は複数の奥さんとたくさんの子供がいた。

780: 2017/07/20(木) 00:28:44.87
イスケヨリかわいいよイスケヨリ

781: 2017/07/20(木) 00:35:17.14
頭の病院に行け

783: 2017/07/25(火) 19:06:27.38
そもそもそれは当て字だし、当時は現代語の「の」には「つ」などを用いていたから。
宇佐にいた菟狭津彦とかみたいに。

784: 2017/09/20(水) 00:31:47.15
高天原(海の国)のアマテラス(海の王)は、親戚の大国主が治める稲穂が豊かに茂る陸上(豊葦原中国)が欲しくなった。
そこで船で軍勢を送り脅し、降伏した大国主を殺して国を取った(出雲の国譲り)。
そして孫のニギハヤヒを関西に、孫のニニギを九州に王として派遣した(天孫降臨)。
奈良盆地には大国主の一族(三輪山の神、富美の一族)が生き残っていて、ニギハヤヒを王として迎えた(後の物部大連家)。
九州に降ったニニギの末裔であるイワレヒコは、九州倭国の戦乱(倭国大乱)で九州を逃れて、奈良にいた親戚のニギハヤヒ一族を頼って落ち延びてきた(後の天皇家)。
蘇我大臣家がいつ頃奈良盆地に来たのかは分からない。
古代のヤマト王権はこれらの家系により共同で運営されていた。
蘇我大臣家と天皇家は物部大連家を滅ぼした(物部戦争)。
次に天皇家が蘇我氏を滅ぼした(乙巳の変)。
こうして天皇家が畿内の覇者となった。

785: 2017/09/20(水) 00:52:31.34
>>779
>神武は複数の奥さんとたくさんの子供がいた。

何処にいたんだ嘘ぬかすな。
神武が大王なら先妻のアヒラツヒメも幼いキスミミも九州から呼び寄せるだろう。
しかしそんなことをしていない。
彼は大和では妃はいない。

平気で嘘を言うな。

788: 2017/09/20(水) 08:51:38.14
>>785
>神武が大王なら先妻のアヒラツヒメも幼いキスミミも九州から呼び寄せるだろう。

先妻という意識もないだろう。
妻問婚の時代なんだから。
単に各地に通う姫がいたというだけ。

786: 2017/09/20(水) 08:08:23.07
各地に妻がいた。
ちなみに弥生時代に妃という制度はない。

787: 2017/09/20(水) 08:48:42.88
>>786
>各地に妻がいた。

名前は?

788: 2017/09/20(水) 08:51:38.14
>>787

自分で書いているだろ。

789: 2017/09/20(水) 09:02:05.51
あと、神武亡き後に実権を掌握したのはタギシミミに思えるね。
だからイスケヨリを娶るという無茶が通ったのだろう。
タギシミミは殺されて、殺した方の末裔が天皇家になったから、長男でありながらタギシミミは神武の後を継いだことにはされなくなったのだろう。
ヤイミミとヌカカワミミの兄弟がその後を継ぐけれども、この二人は実際には兄弟相続だろう。
しかしヌカカワミミの末裔が天皇家になったということで、ヤイミミも実質的には相続しなかったことにされたのだろう。
つまり綏靖天皇は異母兄と同母兄に続き、実は神武から数えて第四代なんだ。
ただ、記紀が書かれた頃の価値観と合わなかったから、そうならなかった。
何度も言うようだが、弥生時代の歴史を後世の価値観で解釈すると、本質を見誤るんだよ。

795: 2017/09/20(水) 10:38:01.28
>>789
>あと、神武亡き後に実権を掌握したのはタギシミミに思えるね。
だからイスケヨリを娶るという無茶が通ったのだろう。

アホか。
熟女マニアではあるまいし何でオバハンと結婚するねん。
しかも義理母。

タギシミミがヒメ踏鞴と結婚したのはヒメ踏鞴が【女王】であったから。
男の最高位に就くには女王と結婚するのが近道だ。

796: 2017/09/20(水) 10:42:09.61
>>795
王権の権威が
皇后の血筋にあったということだろう。

799: 2017/09/20(水) 10:54:51.48
>>796
奈良盆地の真の支配者は、イスケヨリの実家の三輪山の神だった。
だから皇后という概念は正しくない。

790: 2017/09/20(水) 09:05:00.42
あと、タギシミミについてはイスケヨリをめぐるやり方が当時の人たちの目にも余ったのだろう。
亡き父の妻を娶ることは、当時の倫理観からもギリギリアウトなんだよ。
まあ、源氏物語を思い出すけどね。

791: 2017/09/20(水) 09:10:17.12
当時は九州の方が発展していたから、キスミミだって田舎は嫌だし、妻問婚の時代だからアヒラツヒメが実家を出る意味もない。
九州説なら、神武がいた筑紫日向は邪馬台国7万戸、アヒラツヒメが宮崎の方なら投馬国5万戸で、奈良盆地よりよほど都会だからね。
イスケヨリも三輪山の神の家だけど、それはかなりローカルな勢力だよ。

792: 2017/09/20(水) 09:14:44.26
イスケヨリは記紀のこの時代の登場人物の中では特に人間臭いエピソードに溢れた姫だね。
大久米との問答は、奈良盆地に刺青の風習がなく、邪馬台国畿内説を否定する根拠だよ。
魏志倭人伝には邪馬台国では皆が刺青をしていたとあるので、大久米の出身地である九州が邪馬台国と考えられる。

794: 2017/09/20(水) 10:34:42.89
>>792
>奈良盆地に刺青の風習がなく、邪馬台国畿内説を否定する根拠だよ。

久米の入れ墨をした大きな目に驚いただけ。

793: 2017/09/20(水) 10:32:33.00
>>788
宮崎にアヒラツヒメを残し、大和でヒメ踏鞴と結婚した状態が、
なんで「各地に妻がいる」になるのかアホ。
なぜヤマトで複数の妻を持たなかったのかと聞いてるのだ。

中国の皇帝は後宮に美女3千人だ。
なぜ神武はそれをやらなかったのかと聞いてるのだ。

ズレた事言ってんじゃねぇやハゲ。

797: 2017/09/20(水) 10:52:47.93
>>793
>中国の皇帝は後宮に美女3千人だ。
>なぜ神武はそれをやらなかったのかと聞いてるのだ。

後世に天皇と呼ばれるようになったが、実は神武らは奈良盆地の一部に住み着く小勢力に過ぎなかった。

798: 2017/09/20(水) 10:53:36.94
>>796

その通り。
皇后の血筋とは大和にいた出雲系鴨族。
鴨とは神だ。
つまり神族。
大和にいた出雲系鴨族なら2世紀前半からいた「其国」の男王も説明できる。
大物主、そしてスサノオに遡れる。
高天原(御所市高天)が存在するわけだから。

800: 2017/09/20(水) 10:55:42.58
鴨はトーテムに過ぎない。