引用元: ・古代出雲王朝は実在した

811: 2017/09/20(水) 11:18:04.89
いまどき九州説者なんて幸福の科学と変わらない。
あいつら大川隆法の言う事が真理であり絶対なのだからな。

817: 2017/09/28(木) 17:14:28.33
>>811
いやいや、大川先生は信者の意見を聞いて考えを変える事は多いんですよ

812: 2017/09/27(水) 13:19:44.06
九州か畿内かまだ確定したわけでもないのに、確定的に語るものこそ
カルト信者ではないの?(・ω・`)?

813: 2017/09/27(水) 14:24:15.40
>>812
考古学的には畿内に確定。


あきらめきれないしつこ~い九州説が頑張ってるだけ。

816: 2017/09/28(木) 16:39:33.57
>>813
>考古学的には畿内に確定。

証拠が何もない。

818: 2017/09/28(木) 17:34:06.05
>>813
>考古学的には畿内に確定。

根拠なし。

814: 2017/09/27(水) 14:33:26.91
幾内って何もないのに?

815: 2017/09/27(水) 19:09:03.92
奈良も大阪も京都も沼地でした。

819: 2017/10/22(日) 08:16:49.23
古代出雲のスレなのに何故に邪馬台国(・ω・`)?

820: 2017/10/22(日) 09:48:54.75
畿内説スレが埋まっていたから。

821: 2017/10/22(日) 11:43:56.35
出雲に海洋拠点、古代集落が有ったことは確定であって、
それを古代王朝と言うなら、出雲も九州も各地の大規模縄文遺跡だって王朝だろ。

倭人伝によって大和朝廷の九州統一が250年以降なら、
年代偽証または年号不定の記紀起源のスサノオは物証が出ない限り史実に不要。
継続王朝の正史が偽造なら、埋葬古墳出土以外の物証は出ないぞ宮内庁、あん?

822: 2017/10/22(日) 15:31:51.45
>>821
倭人伝では、倭国大乱前に男王の時代が70~80年あったとあり、少なくとも1世紀には倭国に王権が存在した。
後漢書には、倭奴国がその代表として金印を受け取っている。
だから250年ということはない。

824: 2017/11/27(月) 00:01:13.02
>>822
九州北部なら、中国から倭国の王権と認められたことを示す内行花文鏡を副葬された王墓が紀元前の前漢の頃から作られていた。
畿内では倭国大乱の前の政権の痕跡がなく、矛盾してしまう。

825: 2017/11/27(月) 00:25:51.02
>>824
>畿内では倭国大乱の前の政権の痕跡がなく、矛盾してしまう。

畿内には普通に弥生時代の遺跡があるが?
またその弥生時代の遺跡は2世紀末に環濠が埋まり須恵器や古墳時代が始まる。
これは倭国大乱の痕跡である。
この時代の北部九州は畿内系土器(土師器)を受け入れてるわけだから、
その大乱から女王擁立の震源地は畿内である。

829: 2017/11/27(月) 09:48:05.43
>>824
ただ遺跡があるという事ではなく、
倭国大乱から卑弥呼擁立という一番重要な時期2世紀末に、
九州は畿内土器を大いに受け入れている。
一方、畿内に九州土器はほとんどない。
これはその波の震源となる王権が畿内にあった証拠だ。

しつこい、あきらめろ。

838: 2017/11/27(月) 10:17:10.03
>>829
>九州は畿内土器を大いに受け入れている。

別に畿内からのだけではない。
九州は畿内だけでなく、西日本全域からの産物を受け取っていた。
それは富と権力が集中する都だったから。

842: 2017/11/27(月) 10:18:25.88
>>829
土器と王権の関係の証拠を示さずに結論だけなんて
空想ですよね。

846: 2017/11/27(月) 10:22:45.45
>>829
>一方、畿内に九州土器はほとんどない。

畿内は納税するだけの植民地。

823: 2017/11/26(日) 23:19:41.50
出雲王国も宮崎の邪馬台国も吉備国も尾張国も奈良国も同時期に各地に存在していた。
その中で出雲は吉備・奈良・尾張・信濃・その他東北までの集落国家の連合王国の
盟主だった。だから出雲王は大国主の尊と呼ばれ、全国の王(神)は出雲に集まった。
邪馬台国の神武はもう一つの戦国時代の織田信長だったのではないか?信長は途中で
殺されたが、邪馬台国の神武は統一に成功したという見方もできるのではないか。

826: 2017/11/27(月) 06:33:56.00
遺跡だけならどこにでもある。
何の根拠にもならない。

828: 2017/11/27(月) 09:30:35.78
>>826
高地性集落がある

832: 2017/11/27(月) 09:56:25.56
>>828
高地性集落は外部からの襲撃に備えたもので攻撃に曝されていた証拠
九州からの植民地者と先住民との闘いの跡。

840: 2017/11/27(月) 10:18:04.37
>>832
九州から来て山の上を占拠して支配民として振る舞った可能性は?

843: 2017/11/27(月) 10:18:44.98
>>832
そんな空想は反論にならない

829: 2017/11/27(月) 09:48:05.43
>>826
ただ遺跡があるという事ではなく、
倭国大乱から卑弥呼擁立という一番重要な時期2世紀末に、
九州は畿内土器を大いに受け入れている。
一方、畿内に九州土器はほとんどない。
これはその波の震源となる王権が畿内にあった証拠だ。

しつこい、あきらめろ。

846: 2017/11/27(月) 10:22:45.45
>>829
>一方、畿内に九州土器はほとんどない。

畿内は納税するだけの植民地。

827: 2017/11/27(月) 08:59:00.25
弥生時代の遺跡なら九州の方が多いし密度も高い。

830: 2017/11/27(月) 09:53:23.80
土器とか交易で運ばれてただけでしょ
王権が畿内にあった証拠とか理論が飛躍しすぎでしょ。

831: 2017/11/27(月) 09:55:35.38
>>830
そんな空想は反論にならない

833: 2017/11/27(月) 09:57:54.39
>>831
土器と王権の関係の証拠を示さずに結論だけなんて
空想ですよね。

836: 2017/11/27(月) 10:11:39.37
>>830
>土器とか交易で運ばれてただけでしょ

胎土分析により、土器が運ばれたのは事実として、重くて壊れやすい土器でなにを運んだんだろうか?
土器そのものを運んだんだろうか? だとしたらなんのために?

834: 2017/11/27(月) 10:09:05.28
オフトピだから細かく言わないだけだろう

835: 2017/11/27(月) 10:11:18.64
土器と王権の関係を示す証拠とかあるの?

852: 2017/11/27(月) 10:58:52.66
>>835
>土器と王権の関係

土師器と前方後円墳は一体。
那珂八幡古墳が福岡の王墓ではないというのなら話も別だが、
あれは王墓であろう、ただし福岡限定の王。
また那珂地域には土師器以前の畿内弥生土器も出てるので、
那珂八幡古墳は畿内系の王に間違いない。

853: 2017/11/27(月) 11:10:31.88
>>852
>あれは王墓であろう、ただし福岡限定の王。
>那珂八幡古墳は畿内系の王に間違いない。

根拠なし。

1号主体部が発掘されていないので、副葬品の全容なども不明。
2号主体部からは、木棺槨なし、三角縁鏡(岡山、京都、奈良に同范鏡)、麻と絹。

神武の親戚?

837: 2017/11/27(月) 10:16:01.03
何か入っていたかもしれないし
税として徴収されたとかもあるな。

844: 2017/11/27(月) 10:19:55.37
>>837
>税として徴収されたとかもあるな。

土器を? 土器ばっかり徴収しても仕方がないのでは? 

846: 2017/11/27(月) 10:22:45.45
>>844
土器に食べ物とかを入れて運んだんだよ。
博多には全国の産物が集まっていたのだろう。

847: 2017/11/27(月) 10:23:17.58
>>844
交易の為に持ち込まれた可能性もありますね
鉄を手に入れる為に大量の土器が必要だったとか
鉄斧1つに土器1000個とか。

851: 2017/11/27(月) 10:58:36.01
>>847
朝鮮半島との交易のためなら、畿内の土器が朝鮮半島で見つからなくてはいけないはず。
そうではなく九州で見つかるので、その仮説は成り立たないように思います。

855: 2017/11/27(月) 12:08:12.35
>>851
九州の勢力が朝鮮半島を抑えていたんだよ
畿内は九州を通さないと交易できなかったんだよ。

839: 2017/11/27(月) 10:17:30.48
単に物と物の交換もあるかな。

841: 2017/11/27(月) 10:18:18.72
空想ですな

845: 2017/11/27(月) 10:20:51.63
土器の広がりは王権の広がりは空想ですよね。

848: 2017/11/27(月) 10:25:28.55
>>845
>土器の広がりは王権の広がりは空想ですよね。

軽量薄型土器製法の広がりは、拓殖地域の広がりですね。   @阿波

849: 2017/11/27(月) 10:53:23.97
北部九州は倭国大乱の2世紀末から畿内土器(土師器)を受け入れはじめ、
やがて在地の西新土器が終わり、すべて土師器に変わる。
簡単に言えば畿内に屈服した。
つまり卑弥呼は畿内。

850: 2017/11/27(月) 10:57:21.56
>>849
便利だったから採用したんでしょう。
土器の流れは九州への権力の集中を示しています。

854: 2017/11/27(月) 11:12:50.42
根拠に「根拠なし」とレスするだけの簡単なお仕事だね。

時給はいくら?

860: 2017/11/27(月) 13:22:22.37
>>854
根拠なし

856: 2017/11/27(月) 12:31:32.31
証拠なし

857: 2017/11/27(月) 12:41:56.13
そもそも畿内に鉄ががが

858: 2017/11/27(月) 13:09:44.29
壊れた・・・

859: 2017/11/27(月) 13:13:37.66
思わずワロタ

861: 2017/11/27(月) 13:27:42.04
ががが、って妨害電波でも受信したか

862: 2017/11/27(月) 16:16:06.25
もとから電波

863: 2017/11/29(水) 07:44:58.57
学術的に不確かなのはスサノオ出すからです。
馬鹿の見本。

864: 2017/11/29(水) 08:05:44.47
畿内には朝鮮半島との交易や中国との外交の痕跡が希薄ということだね。

865: 2017/11/29(水) 08:33:40.83
>>864
ウワナベの鉄挺くらい?コナベだったか。

866: 2017/11/29(水) 08:50:46.63
>>865
無知乙

867: 2017/11/29(水) 14:00:30.27
>>864
中国製の小札革綴冑。

九州・石塚山古墳の1点を除き十数点がすべて畿内。
台与の朝貢時期に入手したとしか考えられない。
台与は畿内におり王権が畿内にあった証拠。

868: 2017/11/29(水) 14:47:15.94
出雲と大和では本来神に対する信仰が異なっていたが出雲の信仰が大和に入り込み混ざり合ってわかりにくくなっている。

869: 2017/11/29(水) 16:01:59.61
大和のそもそもの信仰なんてない。
出雲と高天原からの流入だけ。

870: 2017/11/29(水) 16:14:25.79
なんか証拠でも?

871: 2017/11/29(水) 16:19:55.99
大和の信仰って何さ。
三輪山の神は出雲の事代主の末裔だろ?

872: 2017/11/29(水) 22:21:18.32
出雲は神奈備信仰、大和は三輪山信仰(ミモロ)信仰。

873: 2017/11/30(木) 01:53:56.32
三輪山を神奈備としただけだよ。

874: 2017/11/30(木) 09:14:49.61
出雲に伝わるクナトの神と幸神、その子のサルタヒコ。
大国主の前に信仰されていたらしい。
クナトの神、渡来人を思わせる、文物をもたらした神。
ある伝承では、東から来たらしい。
元々出雲にいた幸神と結ばれたのだろうか?

西ではなく東からというのが興味深い。

876: 2017/12/06(水) 23:32:14.68
>>874
幸神と表記して、サイの神。
太陽の女神/大日霊女貴命の神格を有した。

出雲の東の王家、富家(向家とも)から分家独立した登美家(初代は天日方奇日方命)が三輪山に父祖の御霊を大物主神と奉り、出雲族の信仰(国教)で有ったサイの神をも併せ祀った
三輪山(三室山(=御陵の山))の祭祀を管掌する初代の祭主/神主には
登美家の媛鞴踏五十鈴日女命が就任して奉仕なさった。
(要するに祭神の娘が(渡来人(天津神ら)により)無念の死を遂げた父の御霊(いわゆる事代主で大物主。スクナヒコ(出雲の副王の称号))を祭祀して慰霊をした)

漏れ聞く伝承から、葛城に移住して登美家を号して分家独立した時期はおよそ紀元前2世紀前半と推定できます。
が、そうなると、困った事に他の系譜(先代旧事記。海部氏勘中系図、尾張氏系図。、、、)等共に世帯数が足らない問題が浮上してしまいます。

出雲族のルーツは南インドのドラビタ族(現在も同地域にはドラビタ族が住む)で
四千前アーリア人の侵入により故郷(エデンの園?)を逐われて流浪の民となり
一族の首長、クナト大神(大王)に導かれ誘われてアフガニスタン辺り~バイカル湖、、、、北回りで日本列島に渡来して日本海側を徐々に南下して出雲地域に定住化したのが三千年前という。
やがて勢力を強め我が国で最初の国を建国(歴代首長をクナト大神と奉った?)。
王政を開始したのが2600数十年前。(神武の即位時期は出雲の王政開始時期を横領したモノか?)
出雲風土記に国引きの英雄として描かれた八束水臣津野命は、
出雲王国第6代のオオナモチ(主王/帝王)で実際にその治世に支配領域を一気に北陸(古志の国)~九州北部にまで拡大なさった英雄なのだとか。
その手法は武力に訴える強引なものではなくて、
父祖伝来の国教、幸神三大神を説いて話し合いにより平和裏に出雲王国に加わることを勧めたという(大国主の各地に赴いての妻問婚に反映)

877: 2017/12/07(木) 07:59:15.45
>>876
>漏れ聞く伝承から、葛城に移住して登美家を号して分家独立した時期はおよそ紀元前2世紀前半と推定できます。

根拠が不明確。
多分1~2世紀だと思う。

878: 2017/12/07(木) 08:01:34.84
>>876
>一族の首長、クナト大神(大王)に導かれ誘われてアフガニスタン辺り~バイカル湖、、、、北回りで日本列島に渡来して日本海側を徐々に南下して出雲地域に定住化したのが三千年前という。

妄想。
スサノオや大国主は稲作を広めた農業の神でもあるので、稲作がない北方から来るわけがない。
中国大陸の江南からの移民だよ。

902: 2017/12/20(水) 07:20:19.53
>>876
妄想。
インド、ドラビダ族の由来のY染色体遺伝子をもつ人は現在、日本では確認されていません。
また出雲国造家のY染色体遺伝子も中国人のそれではなく、1万年以上前から
日本に住む縄文人の遺伝子であることが現在判明しています。

875: 2017/12/05(火) 00:04:45.08
クナトとか言ってる奴って
あの新興宗教の信者さんかな?

879: 2017/12/07(木) 10:35:27.04
弥生時代は温暖だったんだよ

880: 2017/12/07(木) 11:01:04.25
弥生は寒冷期だろうに

881: 2017/12/07(木) 13:19:35.50
寒冷期に南方の植物が北方に広まるかよ

882: 2017/12/07(木) 13:21:22.38
稲作が広まった話をしてるんだから弥生時代後半の寒冷期は関係ない話だな

883: 2017/12/07(木) 13:29:47.89
上のほうの人々だけが、畿内のほうに行ったんじゃないの?
いまの奈良とか京都のほうに行き、
都を造った

884: 2017/12/07(木) 13:48:12.70
>>883
都を作れるような環境ではなかったよ。
奈良は古奈良湖の下で、京都は小椋湖の下で、人が住める環境ではなかった。

885: 2017/12/07(木) 15:48:29.68
クナトとか言ってんのはあの新興宗教の人だよねぇ多分

905: 2017/12/21(木) 06:08:36.25
>>885
あの新興宗教ってなに(・ω・`)?

886: 2017/12/07(木) 22:01:12.32
渡来人の支配

歴史を通じて、戦後まで半島に土着勢力による政権が存在したことは一度もない。

箕子朝鮮:中国人
衛氏朝鮮:中国人
新羅:秦人(中国人) 日本人
百済、高句麗:扶余(中国少数民族) 日本人
高麗:中国人
李氏朝鮮:女真族(中国少数民族)
朝鮮総督府:日本人
終戦後:アメリカ人

887: 2017/12/08(金) 08:13:48.05
日本もずっと渡来系の政権だけどね。

888: 2017/12/08(金) 13:03:35.15
家庭教師の渡来系

889: 2017/12/08(金) 21:13:13.62
今上天皇も皇太子も鼻が高いから白人の血が入っているのは確かだね。

890: 2017/12/09(土) 08:24:57.49
北方系なのは間違いないが

891: 2017/12/09(土) 08:55:04.27
騎馬民族顔だな

892: 2017/12/09(土) 11:23:14.51
日本の先祖は兀良哈だろ(笑)

893: 2017/12/10(日) 04:21:34.54
建速須佐之男→武埴安狭野王

894: 2017/12/10(日) 07:54:19.93
同一視すれば楽だよな。
でも真実はそこにはない。

895: 2017/12/10(日) 12:41:52.92
適当すぎ

896: 2017/12/10(日) 18:53:25.46
神武東征後に畿内から筑紫に連れてきた部落民が畿内式土器を
作ったのだろうな
銅鐸の消滅と時期も重なる

897: 2017/12/11(月) 08:44:26.06
天皇の先祖は兀良哈だよ
野蛮な女真野郎さ

898: 2017/12/18(月) 21:56:09.95
斎木雲州って人の本って、やはりトンデモ本だよね!?

899: 2017/12/18(月) 22:13:19.15
>>898
いいえ
トンデモ本ではないです。
民俗学的に貴重な内容です。

900: 2017/12/19(火) 08:50:45.88
東北人と出雲人は縄文系とDNA検査で判明しましたね
タケミナカタが諏訪に逃げ落ちたのも同じ縄文系の文化圏で母方の親族つながりかも
出雲系の神社は敵対関係の荒ぶる神を封じ込め慰撫するため建てられた感じですね
大陸系の民族に希少種だった縄文人がほぼ絶滅に追いやられたのは本当にもったいない

903: 2017/12/20(水) 07:35:27.73
そこに出雲と長らく黒曜石交易していた沿海州南岸の北方アジア人が定着してきた。

彼らは50年以上経つと、周辺に拡散しだして、中でも九州北部を乗っ取ったものは
ほどなく朝鮮南部から稲作をパクってきて、最古水田菜畑を開始した。

安定した食料を確保できる生産経済を獲得した彼らはその後、人口爆発して日本中に
拡散していった。

906: 2018/01/06(土) 22:37:37.60
最近、徐福がスサノオだって説をネット上で見かけるんだけど根拠って有るの(・ω・`)?

908: 2018/01/07(日) 07:31:12.96
>>906
その前に、徐福集団が渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる中国系土器と中国系農具は?

907: 2018/01/06(土) 23:15:05.15
年代が違うからありえない。

909: 2018/01/07(日) 19:53:57.85
秦なら鳥信仰かもな。

910: 2018/01/08(月) 19:43:23.27
>>907-908
有り得ないですよね!?何で簡単に信じるんだろう(・ω・`)?

911: 2018/01/08(月) 19:58:07.15
そもそも素戔嗚も含めた日本の神って、記録に残る前の複数の神が集約されて、さらに仏やアジアの神様が集合されて今の形になってるんだから、
素戔嗚の原型になった伝承の一つに徐福が大陸から日本に渡った伝承が含まれていない、とは断言できないんじゃね?
素戔嗚のコアになった神が徐福モチーフかと言われると無理があると思うけど。

912: 2018/01/09(火) 07:37:25.32
スサノヲは新羅との関係が伝えられているから、徐福の要素は少なそうですね。

914: 2018/01/09(火) 11:17:22.98
>>912
天日鉾命の半島由来(神功皇后の祖先。当然、応神朝のルーツ)と混同されてごちゃごちゃに成っているようです

915: 2018/01/09(火) 11:44:20.54
スサノオは天から追放されたときに新羅のソシモリを訪れたというだけで、
新羅と血縁関係がある訳ではない。

918: 2018/01/09(火) 14:23:45.92
スサノオは記紀の人物で神格だし年期や実存は不明ですが
徐福は秦の伝説の詐欺師なので実存する。

ただし、BC200年の日本は既に弥生時代だし、倭人伝によれば漢との交易も始まる。
日本での活躍は無いと考えた方が良いw 
蓬莱境を求めた方士なので、どこか離島で理想郷を作ってるなら遺跡位出るかもしれない。

で、中国系農具? のアラシさんも出土を期待していることだろう?
珍島犬は徐福のペットだった説 とかなwww

919: 2018/01/09(火) 14:33:14.61
南小路遺跡の伊都国初代王をニニギに比定するなら、その大叔父がスサノヲなので、実在したとすれば年代的には紀元前後。
徐福にはおそらく届かない(スサノヲの方が後)。
もちろんスサノヲを複数の人物が習合されているとは思うけどね。

922: 2018/01/09(火) 23:28:28.51
天照とスサノオ、饒速日と邇邇芸、海幸山幸など、記紀神話には兄弟相続と思われる記事が多く見られる。
記紀が書かれた時代にはすでに兄弟相続が廃れていたため、書き手もよくわからずに表面的な事象を記述しているために理解が困難になっているだけ。
上記の兄弟相続の例は、およそ一世代おきに出現しているのも興味深い。
編者たちが意識していなかったであろう類型を読み取ることができるのも、登場人物たちの実在性を示唆するものといえよう。

925: 2018/01/09(火) 23:44:50.26
いや、むしろスサノヲにも実年代を与えることができるが、それは徐福の時代とかなり違うということ。

927: 2018/01/10(水) 06:42:42.65
>>925
いや、俺が言ってるのは、素戔嗚はもともと色んな神様が集合されてるんだから、当然、それぞれの神様の成立年代も違うので、
素戔嗚の元の存在した年代を一つに特定するのは無理だろ、と。

徐福が素戔嗚のコアになったとは思ってないよ。
秦末に本当に日本にたどり着いてなかったとしても、後の後漢~隋唐の時代に「昔、日本に向けて出港した大陸の偉い人がいた」って
話が日本に伝わって、それが素戔嗚に取り込まれてんじゃないか、って思ってる。

928: 2018/01/10(水) 07:24:08.20
>>927
スサノヲをコアはアマテラスの弟だろ。

929: 2018/01/10(水) 10:25:10.06
スサノオは天津神と国津神を繋ぐために後付けで無理やりアマテラスの弟にさせられたんだと思うよ
スサノオの伝説の多くが月読や大国主と被るのはそのせいだろう

932: 2018/01/10(水) 12:52:13.04
>>929
>スサノオの伝説の多くが月読や大国主と被るのはそのせいだろう

三人兄弟だから当然では?

930: 2018/01/10(水) 11:28:04.56
月読の伝説って何に載ってる?
古事記で名前が一瞬出てきた印象しかない

931: 2018/01/10(水) 11:37:43.88
山城国風土記とか

933: 2018/01/12(金) 23:13:50.47
古代出雲はもともと少なくても吉備をも包括した地域で
魏志倭人伝の投馬国がそれにあたるらしい
当時の出雲の中心は今の岡山平野にあったと宇佐氏(宇佐八幡社家)の言い伝えにある

934: 2018/01/12(金) 23:54:16.72
>>933
宇佐氏口伝は信憑性有るのですか(´・ω・`)?

937: 2018/01/13(土) 08:17:11.60
>>933
>魏志倭人伝の投馬国がそれにあたるらしい

根拠なし。

938: 2018/01/13(土) 21:48:03.22
>>933
つか、「古代出雲」って島根県にあったの?

940: 2018/01/14(日) 07:35:16.29
>>938
いい疑問です。
福岡県の中であるという説もあります。

941: 2018/01/14(日) 07:50:05.83
>>938
>つか、「古代出雲」って島根県にあったの?

出雲は倭国(阿波)の南部臨海地域。

942: 2018/01/14(日) 12:44:02.54
>>941
狭いな、おい
つか、どうやって大陸とやりとりしたの?

943: 2018/01/14(日) 13:00:17.26
>>942
>狭いな、おい

出雲は、倭国(阿波)の一部。 倭人伝にいう狗奴国である。   @阿波

949: 2018/01/18(木) 19:19:26.26
>>943
狗奴国、、、クナ(と)国。クナト大神(最高神)を信奉する国?=出雲王国
クナト大神、、、熊野大神

935: 2018/01/13(土) 00:17:11.13
口伝の信憑性なんて現実的には測れるもんじゃない
文献も同じようなもんだがね
本が出てるから読んでみては?
そこらのトンデモ本とは次元が違う内容だと俺は感じたけどね

939: 2018/01/13(土) 22:05:12.12
出雲人は縄文人

944: 2018/01/14(日) 13:01:02.69
>つか、どうやって大陸とやりとりしたの?

このルートで大陸とやりとりした。

末盧国(四千戸)(福津市辺り万津浦)

↓【東南】陸行500里  福津市→八木山峠越え(草木茂盛行不見前人)

伊都国(千戸)※大率が置かれる (直方辺り)

↓【東南】100里

奴国(二万戸)(田川辺り)

↓【東】100里

不弥国(千戸)(築上町辺り)

↓【南】 豊後水道 水行20日

投馬国(五万戸)(宿毛辺り)

↓【南】水行10日(太平洋ルート)又は陸行1月(旧土佐街道) 途中、阿南の若杉山辰砂採掘現場視察

女王・卑弥呼のおわす《邪馬台国 阿波》到着(七万戸)

↓【東】海渡1000里 (阿波から東へ1000里渡海)

女王国(阿波)の東、海(紀伊水道)を渡る千余里、復(ま)た国(畿内)有り、皆倭種なり。   @阿波

947: 2018/01/18(木) 13:08:32.37
>>944
周りに強い勢力がたくさんいて、阿波みたいな弱小はたどり着けないよ。

945: 2018/01/18(木) 12:32:02.82
質問
根拠ある話とトンデモ話の区別はどうやってみんなつけてるの?
歴史の話は嘘だらけなのに、古文書も

946: 2018/01/18(木) 13:07:24.98
なるべく古い古文書とか、中立の立場で書かれた中国の史書を参考にする。
あとは他の史書や考古学との整合性。

948: 2018/01/18(木) 18:51:42.62
高校生の方がおられたら、ぜひ皇學館大學で学んでほしいです

950: 2018/01/25(木) 23:48:04.66
奈良県三輪山に出雲族が住んじょったんじゃのう。

951: 2018/01/26(金) 14:09:58.33
出雲の分家。
葛城/奈良の登美家(神(かも)王家/事代主、大物主)と
高賀茂家(出雲の西の王家、神門臣家の分家。高彦(味耜高彦の御子、多岐都彦(祖母は宗像の多岐都姫命)が初代))。

摂津の三嶋家(三嶋溝杭/高槻市辺りに盤拠)は登美家の初代、天日方奇日方命の母親、生玉依姫の実家。
、、、天日方奇日方命に随絆して葛城/奈良入り。

信州の諏訪家。
ルーツは奈良の登美家と同じ八重波津見命(事代主/大物主/少彦/粟島)の御子、建御名方富命(母親は高志の沼川依姫)が初代。

(妹君の三保須須美命は殺害された父親、八重波津見命の御霊を祭祀、慰霊した三保屋敷(居館)が後に三保神社と成った。)

九州(筑紫洲)の宗像家。
出雲風土記に言う、国引き神話の英雄。八束水臣津野命。
、、、出雲王国第6代オオナモチ(帝王)で西の王家、神門臣家当主。
の御子、カタアタス命が九州地方を分治委任される形で分家独立。宇佐を本拠地とした。
その三人の姫御子が所謂、宗像三女神(スサノオの娘ではない)
1女の多岐理姫命は出雲王国第七代オオナモチ(帝王)の天冬衣命に嫁して、
所謂、事代主/大物主の八重波津見命、高光姫命(この方重要。いわゆる天照大神/イザナミほか)ほかを生む。

2女の多岐都姫命(/高津姫命/神屋楯姫命)は出雲王国第8代オオナモチ(帝王)八千戈命(神門臣家。従弟?)に嫁して高彦、神門(神度)美良姫(天日方奇日方の后)、を生む。

三女のサヨリ姫命/市杵島姫命(天照大神/セオリつ姫/イザナミ)は渡来人、徐福(天火明、ニギハヤヒ、スサノオ。、、、ほか。)に嫁して
ホホテミ命とホヤ姫命を生む、(天皇家の大御祖母で出雲族との接続役)

952: 2018/01/26(金) 14:29:37.14
【葛城鴨王家の系譜】
大和国葛城にいた古代氏族の系譜。

その祖は博多の王である大山祇の子であり、摂津に鎮座する三島溝杙耳(陶津耳)である。
その息子は登美に移住して神武と戦った長髄彦であり、娘は活玉依姫である。
出雲の国譲りの後に大和に移住していた事代主は三輪山の神となっていたが、活玉依姫に娘と息子を生ませる。
娘は後に神武の妃となるイスケヨリ姫(五十鈴姫)であり、息子は天日方奇日方(櫛御方)である。天日方奇日方はまたの名を鴨主という。
天日方奇日方の曾孫が太田多根子となる。

この家系には別の伝承がある。
飛鳥大神の娘である登美夜姫が、高天原からやってきた天照の孫であるニギハヤヒとの間に生んだ子が、物部氏の祖であるウマシマジである。
登美の長髄彦は、神武との戦いの中で「自分は天神の子であるニギハヤヒに仕えて妹をニギハヤヒに娶らせたが、どうしてまた天神の子と称するものが来て土地を取ろうとするのか」と言っている。
とすると、登美夜姫と活玉依姫はともに長髄彦の妹ということになる。

いずれにしても、大和国の主だった勢力はいずれも筑紫か出雲、高天原にその起源があることになる。

955: 2018/02/01(木) 12:08:31.09
弥生人が支配者層として渡来したのでしょう。
その代表が出雲ですね。
ただ、天孫族とは対立の結果として国譲りが成功しています。
渡来人同士であっても、敵は敵です。
破滅的決戦を回避できたのは、大国主の英断によるものです。

956: 2018/02/01(木) 13:49:28.44
山形は倭人伝の行程を説明しないんだよな

957: 2018/02/25(日) 03:03:04.06
出雲の大国主の名前は日本中に残っているが、大国主は緩やかな
集落国家連合の長をしていたのではないか?
出雲の神在月も連合の各族長が出雲に集まっていた逸話だろ?
奈良に神武が攻めてきた時、奈良に饒速日と長髄彦がいたのも、
連合国家があった証拠の一つということになるのではないか?

958: 2018/02/25(日) 04:00:50.16
神宮は天皇家を祀り、大社は土着の神を祀る。
もともと奈良に土着の神様出雲族が居て土地を治めていたんだね。
そこに今の天皇家が現れて退いてくれと。へで、出雲族は出雲に国移りしたわけや。

960: 2018/02/26(月) 14:54:16.01
>>958
>神宮は天皇家を祀り、大社は土着の神を祀る。

後世の勝手な定義。

959: 2018/02/25(日) 04:01:36.79
古代に巨大階段の建造物を造れた出雲族にはすごい文明があったと。

961: 2018/02/26(月) 14:54:56.16
【葛城鴨王家の系譜】
大和国葛城にいた古代氏族の系譜。

その祖は博多の王である大山祇の子であり、摂津に鎮座する三島溝杙耳(陶津耳)である。
その息子は登美に移住して神武と戦った長髄彦であり、娘は活玉依姫である。
出雲の国譲りの後に大和に移住していた事代主は三輪山の神となっていたが、活玉依姫に娘と息子を生ませる。
娘は後に神武の妃となるイスケヨリ姫(五十鈴姫)であり、息子は天日方奇日方(櫛御方)である。天日方奇日方はまたの名を鴨主という。
天日方奇日方の曾孫が太田多根子となる。

この家系には別の伝承がある。
飛鳥大神の娘である登美夜姫が、高天原からやってきた天照の孫であるニギハヤヒとの間に生んだ子が、物部氏の祖であるウマシマジである。
登美の長髄彦は、神武との戦いの中で「自分は天神の子であるニギハヤヒに仕えて妹をニギハヤヒに娶らせたが、どうしてまた天神の子と称するものが来て土地を取ろうとするのか」と言っている。
とすると、登美夜姫と活玉依姫はともに長髄彦の妹ということになる。

いずれにしても、大和国の主だった勢力はいずれも筑紫か出雲、高天原にその起源があることになる。

962: 2018/03/04(日) 01:35:16.43
出雲大社は大国主の怨霊鎮魂のために大和朝廷が建てたものだろ?

968: 2018/03/04(日) 10:12:04.77
>>962
大国主は但馬だから

970: 2018/03/07(水) 15:36:56.92
>>962
出雲大社。元の名称は杵築大社。

キキ神話等では恰かも大和朝廷が建立したかの様にしています。
が、違います。
ヤマト朝廷側が元、出雲国の2つの王家が隠然と在ることに危機感を募り、その勢力や財力を削ぎ弱体化を狙って
祖先を慰霊する壮麗な神社を建てないか?と唆して、
出雲の元王家側(反発すれば要らぬ嫌疑や波風が立つ事は必至故に否応なしに)
が賛同して
莫大な財力を傾け元来建築には向かない軟弱な地盤に苦心して壮麗な摩天楼(伝説では100メートル超)の空中神殿を建立(「杵築」(地盤改良して建設した)大社の所以)したのが真実。

主に出雲の西の王家です有った神門臣が携わった事から、東の王家、富(向)家は杵築大社は神門臣さんの物と謙譲していたという。

因みに、熊野大社は東の王家、富/向家が大庭の神魂神社に有った宮殿を(物部/ヤマト軍に明け渡し)辞した後、居住した事によるとか?

いずれも憎っき大悪人、出雲の仇敵ホヒの末裔らに乗っ取られ現在に至るところ?

出雲大社の祭神が本当に出雲国の大国主命=オオナモチ(帝号)で在るならば、
憎んでも憎み足らぬ仇敵のホヒの末裔(出雲国造)に祭られているおかしな構図です

971: 2018/03/07(水) 15:44:00.08
>>970
神魂神社や出雲大社のあの様式は古代出雲の王宮(御殿)の様式そのものらしい。

神魂神社の本殿はマンマ富/向家の王宮の場所かつお姿だと言います。

972: 2018/03/07(水) 16:07:30.72
>>970
>キキ神話等では恰かも大和朝廷が建立したかの様にしています。

どこをどう読んだらそうなるんだ?
出雲を倒して筑紫に新たな倭国政権が誕生したんだよ。

976: 2018/04/06(金) 07:31:39.54
>>972
地元、出雲の賢き王家の末裔の密やかな語り継ぎ(口伝)

元々は出雲の元二王家の滅亡後も勢力、影響力共に隠然とある事への危機感から
天皇家、大和朝廷やその手先の出雲国造家の先祖らが弱体化を狙って画策、反対すれば反逆の下心ありとして一気に攻め滅ぼす口実となることは必定。
一応はいわゆる大国主、第8代オオナモチ、神門臣家当主の八千戈命(天皇家、実行犯のホヒ(出雲国造の始祖)らに謀殺された)を慰霊する建前故、
主に元、西の王家、神門臣家が巨万の財を傾けて造営したもの。
それが伝説の100メートル超や約50メートルの空中神殿だったのかと?

963: 2018/03/04(日) 01:38:44.08
違うよ、
お前たちは、どこの国の人間なんだ?

964: 2018/03/04(日) 01:40:42.32
『松傾』

この家の話

965: 2018/03/04(日) 01:50:48.38
そもそも中国の物語、
故事、逸話などから引用だと言っている人もいた

966: 2018/03/04(日) 03:10:55.01
老婆の川崎市という話
検索してみて

967: 2018/03/04(日) 03:39:17.57
また妖怪か

969: 2018/03/07(水) 08:15:03.69
大国主は実は博多湾沿岸。
そうでないと、大国主を倒したので、天孫が倭国王となるために筑紫に降臨しました、という後日談が意味をなさなくなる。

973: 2018/03/07(水) 16:09:48.14
あと、本来の出雲大社の本殿は高さ96メートルだったはず。
発掘された遺構は推定48メートル。自然倒壊したので半分に縮めたんだね。
そして現在はさらに半分の高さ24メートルになっているが、神社建築としては最大級。

974: 2018/03/19(月) 02:21:49.29
出雲大社は大国主の霊を慰めるものではなく
閉じ込めるためのものだろう。
諏訪大社も祭殿の四隅に柱を立てて結界を作り
タケミナカタを閉じ込めている。

975: 2018/03/19(月) 11:08:59.63
諏訪は車山山頂でも小さな神社でも祠でも
だいたい4本柱で囲んでいる

977: 2018/04/06(金) 08:50:26.43
96メートルだな。
中世に半分の48メートルになり、現在ではさらにその半分の24メートル。

979: 2018/04/11(水) 19:10:59.56
古代史を解くカギは案外、徐福かもしれない

980: 2018/04/11(水) 20:04:54.94
古代出雲王朝は存在した
同様に毛野王朝、越国王朝、丹波王朝、吉備王朝、筑紫王朝、豊国王朝、火国王朝といった各地の王朝もまた畿内王朝に併存したのだ

981: 2018/04/11(水) 23:03:45.29
大和朝廷が出雲王朝だよ。
纒向の外来系土器で一番多いのは、尾張と出雲。

出雲と尾張は同祖。

飛騨の口碑そのまま。

983: 2018/04/12(木) 00:46:45.18
>>981
出雲と尾張が大和に屈したからじゃないの?

984: 2018/04/12(木) 02:19:07.85
出雲は前方後円墳体制の範囲外
四道将軍も山陰地方は丹波(当時は但馬・丹後を含む)までで留まった
長らく独自性を保持していた

985: 2018/04/12(木) 11:03:28.85
出雲を下した筑紫が政権を取り、後に神武が大和に東征したんだよ。

986: 2018/04/12(木) 17:39:20.94
纒向遺跡は出雲山陰系の土器は尾張に次いで多いからね。

出雲は大和朝廷の主体。
出雲オオナムチ系と尾張スサノオ系は同祖だな。

本当の国譲りは神功皇后、応神、仁徳の時代。

987: 2018/04/12(木) 17:46:04.58
その出雲を下して、筑紫に天孫が王として君臨したことが記紀に書かれている。
また、考古学的にも弥生王墓は九州北部にだけ見つかる。

988: 2018/04/12(木) 20:02:46.43
>>987
待ちな!
天孫降臨は日向だろ
それは初期の纏向型前方後円墳が西都原にもあることとも整合する

筑紫由来の勢力が畿内を乗っ取るのは神功・応神の御代だ

990: 2018/04/12(木) 20:36:49.46
>>988
それは分家の耳と耳垂の墓だよ。
神武は筑紫の倭王宗家の出自だ。
宮崎県が日向国となるのは景行天皇の御代からだからな。
それ以前の筑紫の日向は福岡県。

989: 2018/04/12(木) 20:12:41.00
鉄器が無い

991: 2018/04/15(日) 03:38:32.58
そういう無根拠なウソはいいから

992: 2018/04/15(日) 09:03:36.68
ニニギ降臨の地である筑紫の日向と、イザナギが禊をした筑紫の日向(博多住吉創建の地)は同じところだろ?
福岡県西部だな。
だったら神武が出立した筑紫の日向も福岡県西部だよ。

993: 2018/04/15(日) 17:00:01.88
筑紫の日向(笑)

ここではリントの言葉で話せ

994: 2018/04/15(日) 20:15:57.51
祓詞

掛けまくも畏き 伊邪那岐大神 筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に御禊祓へ給ひし時に生り坐せる祓戸の大神等 諸諸の禍事 罪 穢有らむをば祓へ給ひ清め給へと白す事を 聞こし食せと恐み恐みも白す

995: 2018/04/15(日) 22:00:44.60
筑紫は島の名前だろ
日向にしてもヒムカシで東側という意味であって九州島の北側、いわゆる律令国の筑前筑後ではない

996: 2018/04/15(日) 22:05:12.90
>>995
それでは筑紫の日向の橘の小戸が福岡市であることを説明できないよ。

997: 2018/04/15(日) 22:08:17.95
>>996
福岡豚骨市じゃないに決まってるだろキチガイジ!

998: 2018/04/15(日) 22:20:06.32
>>995
その定義は景行天皇の時に定められたもの。

1000: 2018/04/15(日) 22:42:23.09
>>998
ウソツキは泥棒民族の始まりニダ!

999: 2018/04/15(日) 22:28:39.02
纒向遺跡の外来系土器の中心、尾張と出雲。

出雲王朝は初期の大和朝廷のこと。

飛騨の口碑そのまま。