1: 2012/01/11(水) 21:37:58.36
どっちがすごいのか日本史的な意義を語るスレッドです。

引用元: ・清盛と頼朝はどっちがすごいの?

3: 2012/01/12(木) 03:22:08.80
相国様と右大将では格が違いすぎるだろ

4: 2012/01/12(木) 03:37:27.61
清盛に決まっとるがな

5: 2012/01/12(木) 03:52:52.67
天寿を全うした清盛と、北条に馬ごと突き落とされあえない最期を遂げた頼朝。
ともに子孫が族滅してしまったことを考えると、一時でも栄耀栄華を極めた清盛の方が上だな。


6: 2012/01/12(木) 04:39:33.03
すべてにおいて清盛が上だな

7: 2012/01/12(木) 07:17:42.90
実績や知名度において断然頼朝だろう。

8: 2012/01/12(木) 10:21:35.64
幕府機構を作り上げたパイオニアとして日本史の偉人五指に入るよね、頼朝は。

10: 2012/01/13(金) 00:06:22.09
海外に視野を広げて、断絶していた中国との
貿易を始めるとか、スケールが違うよな。

坂東に篭って武家だけ相手にしていたのとは。

89: 2012/05/18(金) 10:10:10.91
>>10
その頼朝に負けるようじゃ、国を開いたって、
中国に食い物にされるだけでない?w
頼朝も天下取っても後が続かなかったし、
どっちも大した人でないように思えてきた。
二人がいなくても、きっと代わりの人が必ず出て来るんでしょ。

11: 2012/01/13(金) 00:38:03.15
頼朝って結局「北条家の御輿」に過ぎなかったのかも…


義経含む弟達への粛正は兎も角
息子一族達も北条家の策略にハマったようなもんだし

12: 2012/01/13(金) 01:47:47.53
>>11
北条氏というより坂東武士団の神輿だね。
罪人の身であった頼朝には、経済力もなかったしね。

13: 2012/01/13(金) 02:09:26.22
清盛の日本国全体からみた業績
+神戸建設
+日宋貿易
+律令に近い政権
-平家専横
-東大寺焼きなど

頼朝
++最初の東国政権
++最初の武家政権
++東北征服
+鎌倉建設
-令外の二重政権

頼朝のように見えるが実は清盛

14: 2012/01/13(金) 15:51:45.55
清盛は何事に付けても私利私欲の強欲爺だからな

15: 2012/01/13(金) 19:08:46.30
一騎討ちなら狩猟経験豊かな頼朝の勝ち

17: 2012/01/14(土) 00:44:33.31
圧倒的に清盛だろ

18: 2012/01/14(土) 01:57:44.48
そりゃ頼朝のほうが上だよ
親父からの財があった清盛に比べて頼朝にあったのは貴種という生まれそれだけだもの

19: 2012/01/14(土) 01:57:44.83
子孫を残せなかった頼朝は負け組。

20: 2012/01/14(土) 04:26:06.55
源氏は3代で 終わったからな

21: 2012/01/14(土) 09:15:16.79
島津家>>>織田家、で頼朝の勝ち

23: 2012/01/14(土) 16:38:35.36
>>21
両方とも詐称じゃないか。

22: 2012/01/14(土) 09:20:05.89
顔のでかさと腕力は頼朝の勝ち

25: 2012/01/14(土) 17:52:57.71
武士の大きな可能性を示した清盛、のちの世に幕府という武士の活きる道を拓いた頼朝社長

どっちが上かと聞かれたら、頼朝社長かな。

26: 2012/01/14(土) 18:26:02.83
>>25
頼朝は歌舞伎町に幕府を開いた人だろ。

27: 2012/01/14(土) 20:15:44.28
頼朝はヒドイ奴です
ある青年が女性にラブレターを送ったら獄門ですよ獄門。
同じことをした江間小次郎は仲人になってまで結びつけたのに

28: 2012/01/14(土) 22:55:42.54
生涯、嫁の政子に頭が上がらず、女遊びさえままならなった頼朝を
あまり羨ましいとは思わないな。
最期は、嫁の実家の連中に川に突き落とされて殺され、子や孫も殺されてしまうんだから、
哀れすぎる。

平家は、まだ敵と戦って滅ぶ分だけ武士らしい最期を遂げる事が出来た。

29: 2012/01/14(土) 23:27:16.40
歌詠みの坊さんに弓について質問した頼朝

30: 2012/01/15(日) 03:01:19.32
頼朝って最近テレビにちょいちょい出ているけど
そんなにすごいやつなのか?

31: 2012/01/15(日) 03:40:27.54
清盛は貴族制に乗っかっただけ
頼朝は関東の武士に担がれただけ

後白河こそ貴族から武士への権力移譲を全部仕掛けたすごい人物

32: 2012/01/17(火) 09:00:14.52
>>31
それは後白河法皇を過剰評価し過ぎているのでは…

33: 2012/01/17(火) 16:22:49.44
後白河法皇は武士の台頭という事態にただ流されてるだけのように見えて
実は日本を破綻させないように清盛、義仲、義経、頼朝を誘導しつつ軟着陸させたんだよ。
俺はそう思ってる。

34: 2012/01/18(水) 02:22:16.75
清盛の功績って良く考えたら自分たちのことだけだよな
貿易は私的利益のみだし、官職を独占して貴族と武士の両方から総すかんを食らったし、
武家政権を制度化した頼朝はその点ではまだまし

35: 2012/01/18(水) 03:45:07.82
>>34
不完全ながらも、公武一元の政治であったことは
間違いないと思うが。
日本史上明治維新まで、公家と武家は大体において
はっきり区別されてきた品。

37: 2012/01/25(水) 09:49:54.09
>>35
清盛までは公家と武家の分離がまだなかったということだよ
文官と武官の違いがあっただけで命令系統は朝廷に統一されていた
清盛は朝廷という組織の中で下級貴族から上流貴族にまで出世したというだけ
朝廷とは別の命令系統で武士を把握したのは頼朝の鎌倉幕府が最初

58: 2012/02/06(月) 17:20:36.25
>>34
頼朝だって自分のことしか考えてない。
兄弟皆殺しは、頼家という貴種を残す為の間引きでしょ。
息子可愛さ第一で、源家弱体化を計算できなかったもよう。
武家政権は鎌倉武士の為の政権にすぎないし、だから奥州を侵略した。
奥州には奥州の武家政権があったし、中央からの独立と自治を最初に
具現化させたのは彼らなのにね。
本音は粗暴な武士が嫌いで、京の雅に憧れてて
最期は天皇の外戚を夢見て馬落ちした・・武士の鏡とはいえない人よ。

36: 2012/01/25(水) 01:44:33.62
清盛は武士でありながら貴族の地位を極めた点が凄い。
頼朝は後に幕府と呼ばれる統治機構を初めて作った点が凄い。

38: 2012/01/25(水) 16:49:42.99
たしかに清盛は凄い人物だったのであろう。
しかし、歴史的功績からすれば、やはり頼朝社長かな?

39: 2012/01/26(木) 12:22:05.54
昔、金田が古今の選手でどっちがすごい?と聞かれて、
選手はポケモンじゃないから答えようがないと言ってたのを思い出した

40: 2012/01/29(日) 23:56:59.04
このドラマさんざん糞糞言われてるけど俺も見ていてなにか違和感をかんじていた
やっとその理由がわかった
ひとつめは源頼朝が部下の前で清盛マンセーするシーンがやたらあること
あんた部下の前でなに言ってんの、と
やっと最高に邪魔な敵を片づけてみんなが大喜びしてる席でさw
ふたつめは清盛と頼朝が2人きりでなかよくデート、イチャイチャお話してることw
この時代、隙あらば大将の首取ったろうって時代だろう
で目の前に大ボスがいるってのになにイチャイチャしてんのさ
まだそんなに犬猿じゃないのかもしれんが

43: 2012/01/30(月) 08:48:26.51
>>40
>清盛と頼朝が2人きりでなかよくデート

義朝だろ
大河の話は他でやれよ

45: 2012/01/31(火) 03:18:27.39
>>40
為義の前の源氏の棟梁叔父にあたる義忠の妻が平忠盛の兄妹(姉弟)なので
そういう事があったかもしれない

47: 2012/01/31(火) 08:58:30.20
>>40
ボスも何も平氏と源氏で明確に敵対してたわけじゃないし。
保元の乱では義朝と清盛は味方同士。

41: 2012/01/30(月) 00:12:27.24
しかし海外に対する視線は頼朝がわからんだけに清盛に分があるしなぁ

42: 2012/01/30(月) 05:52:57.32
頼朝の作った幕府という
公武分離した命令系統がうまくいきすぎて
後々まで基本同じ制度になったのはマイナスも大きい
どうやったって正統性に瑕疵があるわけだし、
基本的には武士のための政権

そういう意味で
清盛-秀吉ラインの方が
頼朝-家康ラインよりも好きだ
上記は海外にも積極的だし

49: 2012/02/01(水) 09:28:53.09
>>42
それは思い込み
鎌倉は明らかに海上の支援を期待した都市
家康は海外交易に秀吉以上に積極的

53: 2012/02/01(水) 16:52:02.83
>>49
だって実際に海外交易したのは
清盛≫頼朝
神戸≫鎌倉
じゃん

54: 2012/02/02(木) 19:02:28.17
>>53
鎌倉も六浦の湊に船を入れてるよ。もともと三浦氏や房総水軍の協力がないと海が危なかった都市だから
太平洋岸だから瀬戸内海より航路的に難しかったのは確かだが

44: 2012/01/31(火) 02:33:50.40
武士が王朝貴族の傭兵から軍事貴族に成り上がる先鞭をつけたのは八幡太郎義家
恐れをなした朝廷は伊勢平氏を重用、しかし結局は清盛に政治的主導権を明け渡すことになった
半公家、半武家になった清盛だがそれに見合う統治機構を創出できず、かっての摂関家的方法を踏襲
(地方を重視したが結局は従来の知行国、受領によるしかなかった)
清盛の成果をふまえ頼朝はより純粋な武家政権を成立させることが出来た
ただこれも頼朝の個人的能力に負うところが大きく政権としての完全な確立は承久の乱以降

46: 2012/01/31(火) 08:49:57.33
頼朝は源氏の代表でも何でもなく関東武士の神輿だけど組織運営においては個人的能力があった。
頼朝が死んだら源氏など何の意味もなくなって滅びた。

48: 2012/02/01(水) 09:08:48.61
どう考えても頼朝だろう。
日本史上、頼朝まで東国の反乱軍が官軍になった例はないんだから
それ以前でも「関東」を経由して都を攻め落としたのは壬申の乱の大海人くらいじゃないか
(厳密には木曽義仲が最初の東国の官軍だけど)

50: 2012/02/01(水) 12:35:49.36
>>48
頼朝は後白河法皇から平家追討の院宣を受けてただろ
反乱軍ではない

日本史上初めて朝廷の勅や院宣に逆う軍事行動によって朝廷に
東国反乱軍が勝利したのは、頼朝死後、執権北条義時が率いた承久の乱だよ

54: 2012/02/02(木) 19:02:28.17
>>50
寿永2年宣旨までは、あくまで位置づけは反乱軍。だから頼朝が早く上洛したがったの
それに「頼朝まで」日本史上で反乱軍が官軍になりあがって内戦に勝利したことはないと指摘したんだが
もちろん承久の乱は独自の意義がある。官軍との大規模な戦闘で勝利するまで反乱軍だった事例はないし、
地下人が天皇上皇以下を流罪に処するという前代未聞の事態が発生している。

55: 2012/02/03(金) 00:02:31.60
以仁王の令旨って、やっぱ無効かね?

56: 2012/02/04(土) 20:54:50.15
以仁王は親王を勝手に名乗って出してるから、正当性がはなはだあやしい
ないよりはあるほうがいいという程度

57: 2012/02/05(日) 09:05:47.83
討幕の密勅みたいなもん

59: 2012/02/07(火) 15:29:15.88
吾妻鏡が28万対17万。兵力で5:3、かなりの激戦になると言うのが鎌倉の大方の認識だったんだろう。
阿津賀志山の4日がかりの決戦に勝利した後も、用心深く掃討しながら平泉に進んでる

川合康は前九年合戦の厨川柵の戦いの9月17日から逆算して頼朝が軍を発向したと書いてるが、
それが事実だとしたら本拠地制圧に2か月は要すると考えてたわけだ。
頼朝のそれまでの平氏との合戦で最大の山場だった一の谷でも1日で決着がついてるからな

60: 2012/02/07(火) 16:35:50.87
ぶっちゃけ一番すごいのは清盛でも頼朝でもなくて後白河だよw
あんなアホみたいなのが偶然生き残って平氏、木曽と次々に勝てない喧嘩売ったから
最後に打つ手がなくなって頼朝の占領地をまるっと追認してしまったんだから

61: 2012/02/07(火) 22:13:15.99
院の深謀遠慮なのだよ

62: 2012/02/08(水) 13:51:54.32
後白河が単なるアホだというのは定説化してるだろ
九条兼実がはっきりこいつ一番アホと言ってるんだから

63: 2012/02/08(水) 16:47:37.16
>>62
後白河が本当に政務が取れない冷泉みたいな痴呆だったら兼実もかえって都合よかっただろ
後白河はあの時代には珍しい絶対君主
摂関家も幕府も憚らない変わり身の早さに振り回される周囲が愚痴を言うだけ


64: 2012/02/08(水) 18:42:04.95
上手い言い方を思いつくもんだな。それを単なるアホと言うんだよ
もう後白河暗主説は学界の定説になってる

頼朝が進軍する前に自分から武装して木曽に喧嘩売って
ぼろ負けして近臣の首晒されてるような男のどこが「変わり身が早い」んだよw
平治の乱の時も、信西を排除したはいいが二条が逃げちゃったから、
大慌てで自分も清盛の所に駆け込んで知らんぷりしてやっと助かったというのが真相だろ。

義経ごときに簡単に院宣与えちゃったり、頼朝に付け込まれるようなことばっかりやってる男のどこが
「変わり身が早い」「絶対君主」なんだ?単にそそっかしいDQNな男だったんだよw

66: 2012/02/09(木) 08:52:05.97
>>64
>学界の定説

誰が出してる学説?
論文と学者の名前を出してくれるかな?

65: 2012/02/08(水) 18:47:20.94
後鳥羽は武芸の達人、後醍醐は半生、ゲリラ戦を戦い抜く強靭な意志があったが、
後白河は今様に狂ってた意志薄弱な単なる馬鹿だよ。
賢い奴、少しでも分別のある奴なら、貴重な繋ぎ役だった重盛の知行国をわざわざ取り上げて
清盛の神経を思いっきり逆撫ですることはあり得ない。
清盛はあれで完璧に切れてたからな。文句言ってる中で半分くらいは重盛問題だろ

67: 2012/02/09(木) 16:43:11.22
上横手雅敬の任意の著書を読めば、はっきり後白河暗君説を採っているのが分かる。
管見の限りだが、それ以降の研究者で後白河を英主評価してる学者はいないね。
せいぜい猿知恵扱い。

69: 2012/02/10(金) 14:33:01.47
>>67
上横手雅敬は後白河を暗君だとは言ってない
むしろそれ以降の学者も後白河が英知の人だとは言わないまでも
「天皇家が滅びなかったのは後白河のお陰」としている
後白河が死ぬまで頼朝が征夷大将軍になれなかったことを見れば一目瞭然

70: 2012/02/11(土) 02:01:33.59
>>69
言ってるよ。従来の後白河評に対して
「木曽に一時の感情で当事者として合戦を挑むような人間のどこが政略家なのか」と
後白河の行動が単に一時の感情に駆られたものが多かったことも指摘してる
後白河暗主説の決定版。

そもそも文治勅許の段階では後白河は完全に頼朝に振り回されて弱気になってるし、
上洛で関係は修復してる。頼朝が欲しがったのは大将軍号であって征夷に特段の意味を認めがたい
さらに頼朝は征夷大将軍と言う称号にさほど意味を認めていない

後白河と頼朝の関係は、混乱してアドホックな判断を下しまくる後白河に対して、
頼朝がとりあえず尻拭いをやってたというのが正確なところ。最後には頼朝に泣きを入れることになる

68: 2012/02/09(木) 16:55:44.55
上横手は後白河を「直情的で抑えが利かない性格」と評してるんだな。
法住寺合戦で自ら木曽と合戦に及ぶという好悪の情むき出しの性格を指して。
結果的に承久の乱を40年先取りして、上皇が合戦の当事者になって明雲が殺害されるという失態を演じている
結局、本命じゃない中継ぎだから政治のド素人

後白河自身も義経に院宣を下した時はバッシングを浴びて相当神経が参ってて、
政界引退の意向をほのめかしてる。頼朝の征夷大将軍を認めなかった神話は完全な誤りだよ
頼朝が望んでいたのは大将軍号であって征夷の職権には特段の意味を認めていない

71: 2012/02/11(土) 02:06:02.54
>むしろそれ以降の学者も後白河が英知の人だとは言わないまでも
>「天皇家が滅びなかったのは後白河のお陰」としている

誰が言ってんだそんなこと?
無能な後白河以外に適当な治天がいなかったから武士に散々に食い散らかされたわけなんだが。

72: 2012/02/12(日) 22:32:46.86
頼朝公が圧倒的にすごい

73: 2012/02/16(木) 22:05:20.44
頼朝は凄い
源氏はすごくない

74: 2012/02/18(土) 21:46:24.58
>>62-63
後白河は「一度決めたことは人が静止するのも聞かず絶対にやり遂げる」人だとも言われてるぞ
後白河は暗主は暗主でも扱いやすいタイプではないかも

「よくよく謹みて、いみじく計らいて、彼方此方しける」清盛と
「威勢厳粛、その性強烈、成敗文明、理非断決」な頼朝とでは凄さのベクトルが違うように思うが

清盛と頼朝ってテーマのせいなのか後白河スレになってきてるな

78: 2012/02/22(水) 07:49:30.72
>>74
それは玉葉の伝聞証拠ね。兼実が直接信西から聞いたわけじゃないが、
そこだけ引っ張ってくるのはフェアじゃないよ
信西は「和漢の間、比類少きの暗主」と酷評した上で後白河の頑固な性格を
「褒めるとしたらそのくらいだね」とフォローしてるのだから
しかもこの時期、後白河がそのような政治的頑固さを発揮するとしたら、
二条への譲位の際にぐずったくらいしか考えられないでしょ。

欲の皮が突っ張ってるだけの馬鹿、と言うのが、おそらく信西の後白河評なんだよ

75: 2012/02/21(火) 15:16:24.16
後白河院があまりにも統治能力がないから、
武家にいいようにされてしまったんだろうがw

皇室と朝廷の権威を地に落とした張本人だよ
もう凡愚すぎて歴史に名前を残しちゃったタイプ
同じ時間軸で登場してくる人物が清盛だとか頼朝だとか大物すぎて、
そのあげく、「なんかこの院もすごいんだろう」と、みんなが勘違いしちゃっている

その後の天皇家は、後鳥羽院をみても、後醍醐院をみても、
王政復古が悲願となっていて、その苦労は本当に涙ぐましいものがある
そこまで貴族社会を自壊させた後白河院は、朝廷にとっては完全に「0点」君主

後白河院をあたかも時代に翻弄された名君がごとく扱うのは、
あまりにも、うがった見方だろうよ
過大評価にもほどがある

76: 2012/02/21(火) 17:27:55.45
清盛はカエサル
頼朝はアウグストゥス

79: 2012/02/22(水) 07:55:32.37
>「よくよく謹みて、いみじく計らいて、彼方此方しける」清盛と
>「威勢厳粛、その性強烈、成敗文明、理非断決」な頼朝とでは凄さのベクトルが違うように思うが

清盛の武断的なイメージは、意外と重盛のそれが反映してるんじゃないかと思われる。
重盛は戦闘では必ず前線に出たがるタイプだし、殿下乗合事件みたいな狼藉も平気で起こすしね…



96: 2012/05/21(月) 13:22:55.65
>>79
殿下乗合事件でムチャをしたのは清盛。それを聞いて「当家の滅亡は近い」
と嘆いたのが重盛。重盛は「わが命を縮めて一門の繁栄を永らえさせたまえ」
と神に祈ってそのとおりに早世した義人。法王を幽閉しようとした清盛を
「忠ならんと欲すれば孝ならず孝ならんと欲すれば忠ならず」と泣いて諌めたのが
重盛の真骨頂。重盛死去の後に清盛は、重盛生存中にはできなかった法王幽閉を
強行してしまう。

97: 2012/05/21(月) 14:00:46.71
>>96
殿下乗合事件で基盛に報復をした人物は
「平家物語」では清盛だとし「愚管抄」では重盛としている。
平家が軍記物語で清盛悪で一貫していることを考えれば
殿下乗合事件の首謀者は重盛だろう。


80: 2012/02/29(水) 19:10:42.57
一門の結束を保った点では清盛。
頼朝は息子も兄弟もバラバラな印象。
平家は一門が一辺に没落した感じだが、源氏は同族のつぶしあいで衰えた。

84: 2012/03/03(土) 04:28:57.24
>>80
頼朝は源氏の代表ではない。
関東武士の代表だ。

90: 2012/05/19(土) 01:38:25.79
>>84
頼朝より身分が上の人がいたということですか?

91: 2012/05/19(土) 23:44:44.54
>>90
オレは84じゃないけど、頼朝の頃の源氏長者(源氏の代表者、
源姓で一番位の上の人)は、村上源氏の源通親でしょ。

81: 2012/02/29(水) 21:29:40.72
頼朝の開いた鎌倉幕府は源氏のイメージが有るけど、源氏の将軍家は三代で自然消滅的に終了。
後は頼朝の嫁さんの実家(平氏)が執権となって実効支配。

てことは、支配者/為政者や体面、形態は変わっても
平清盛が開いた平氏一門による実効支配が鎌倉幕府滅亡まで続いた事に。

87: 2012/04/25(水) 16:08:07.79
>>81
北条が平氏だったというのは政子従位の際に
急に朝廷に提出した史料からだろ
信憑性は低い

82: 2012/03/01(木) 10:15:27.92
後に実権を握った北条氏が平氏だっただけで
そのことと清盛は関係なくない?
そもそも北条氏はじめ頼朝を担いだ坂東平氏は
平氏一門だからといって清盛に優遇されたわけでもなく
むしろ平家が送り込んだ目代や平家と手を結んだ勢力に圧迫される立場だったんだから

83: 2012/03/01(木) 20:44:31.66
秩父氏はそうでもないんじゃないの?武蔵は平氏の金城湯池でしょ
(もっとも河越、畠山、江戸らは勢力そがれてしまうが)
房総、相模や知行国主が変わった伊豆はそれに該当するけど

85: 2012/03/15(木) 22:08:32.66
先生、頼朝の息子頼家の嫁の実家の
比企氏ってどんな氏族なんですか?

86: 2012/04/25(水) 15:31:48.86
比企は野人の子 草莽よりいづ

系図詐称なんて信用しないったら信用しない

88: 2012/04/26(木) 17:25:12.17
坂東八平氏

92: 2012/05/20(日) 11:18:10.83
村上源氏と清和源氏は同族という意識があったのかね?
源融なんかは完全に貴族だけれど、清和は「王家の犬」©NHKだろ

93: 2012/05/20(日) 18:25:10.22
同じ「氏」という意識は当然あったでしょ。だからこそ「氏の長者」と言うわけで。
室町時代は、村上源氏と清和源氏で長者を交替で分け合ってるしね。

それに、頼朝の時代、武者と貴族は別に対立概念じゃないよ。
関東武士団が担ぎやすい貴族として頼朝が選ばれたわけだし。

94: 2012/05/21(月) 02:50:15.29
信頼除目とはいえ、「佐殿」は田舎武士にとっては
けっこうなブランドってことだね。

95: 2012/05/21(月) 12:58:32.20
源氏重代の太刀・友切

99: 2012/07/25(水) 04:19:30.26
頼朝はなぜ奇人変人なのか

100: 2012/07/25(水) 12:49:07.93
朝廷とは別の「幕府」を作ったのは、古今東西例はなく、見事というほかない

107: 2012/07/26(木) 07:21:56.39
>>100
幕府を作ったのがみごとなことだとすれば、それは北條氏の功績だろ。
頼朝はただ担がれていただけの御輿。

101: 2012/07/25(水) 17:41:30.17
皇帝の下の王が実権を握る程度のものだけどね。
みかどが持つべき実権を臣下が世襲で持つのも前例があるし。

102: 2012/07/25(水) 19:24:21.61
>>101
NHK清盛の頼朝談じゃないが、清盛の時代がなければ、頼朝の活躍はなかったと思う
従って優劣をつける意味がない

103: 2012/07/25(水) 21:30:09.55
清盛のどうしようもなかった点は、門閥貴族化し、武士から離れたこと。
つまり、武士(荘官)の領有の概念への要求に答えず、武士から離脱
したこと。ある意味、平将門よりも失格。

もちろん、頼朝公と比較するのは、頼朝公に失礼。

104: 2012/07/25(水) 21:32:27.53
頼朝はなぜ日本中から嫌われているのか

105: 2012/07/25(水) 22:43:39.10
義経好きからは嫌われてるがその他には嫌われてないだろ
好きでも嫌いでもない無関心が圧倒的

106: 2012/07/26(木) 03:50:15.52
義経は室町時代にはすでに産まれた場所などが観光地になっていたにも関わらず頼朝は日本中から相手にされていなかったのは何故だろう やはり奇人変人のためか

108: 2012/07/26(木) 08:04:02.47
ここではなんでこんなに頼朝は嫌われてるんだろう。自称頼朝の隠し子の末裔ってな戦国大名も
いくつかいるくらいで、幕府の初代将軍のイメージは武士の憧れだろ。

北条氏は軍事力で支えただけで、朝廷に対して東国政権を認めさせた政治力は頼朝独自。
承久の乱は、既に朝廷側のコンセンサスが得られた段階で、それが永続化することを恐れた
後鳥羽が慌てて起こしたもの。北条は既に固まった組織を維持する程度の政治軍事力を
持っていたに過ぎない。

109: 2012/07/26(木) 08:08:15.67
頼朝がいなければ東国武士は朝廷と交渉する能力を根本から欠いているから、
地頭としての収入源など得られるはずもなく、武力を使えば単なる将門の乱程度の
反乱として処理され、独立を保ててもあくまで東国の一武力勢力として存続するだけ。
北条に権力が集中することもなく、すぐに内ゲバに乗じた朝廷側に鎮圧されるよ。

110: 2012/07/26(木) 08:16:08.72
清盛は保元の乱の戦功なし おまけにヘロヘロ矢
頼朝は平家追討戦の戦功なし
北条もなし

119: 2012/07/26(木) 10:33:49.46
>>110
保元の「へろへろ矢」は『保元物語』の主人公為朝の口上だから
話半分に受け取る必要がある。それに清盛方が上皇方ではなく天皇方に付いたことで
勝負が決したので、清盛の武力は充分役割を果たしている。

『愚管抄』では平治の時の清盛がかなり好意的に描かれていて、
むしろこちらのほうが実像に近いのでは。個人の武力もそう劣るものではなかったと思う。

124: 2012/07/26(木) 21:33:20.16
>>119
『愚管抄』では泳ぎまわった挙句捕まったチキンDQNの実父だろ
たがが知れてるわ
個人の武力もそう劣るものではなかったと思う
といわれても完全に空想でしかないから

125: 2012/07/26(木) 23:44:18.05
>>124
『愚管抄』では悪源太に堂々と渡り合って称賛された豪胆な武将の実父ですが。

都落ち以降の平家方の実態がどうだったかなんて、誰にも分からない。
彼は敗軍の将だっただけに平家方の暗部を過度に背負わされている。
逃げ足が速いのが駄目ならば義経なんてもっと駄目なわけで。

126: 2012/07/27(金) 01:30:42.67
>>125
『愚管抄』には悪源太に堂々と渡り合って称賛された豪胆な武将の記述なんてどこにもないんだけど

127: 2012/07/27(金) 08:17:13.67
>>124
「愚管抄」平治の乱では平重盛の武勇がたたえられてるよ
源義朝は追い詰められて敗走した

111: 2012/07/26(木) 09:43:05.19
安定政権を作るための必須要素を語るのに、政治力より軍隊指揮能力を上に置くようなら単なる馬鹿だよ。
平家追討の軍事力は誰の政治力で結集したのか分かってないのかと。

113: 2012/07/26(木) 09:56:33.24
>>111
北條の政治力だよ。

112: 2012/07/26(木) 09:55:43.27
政治力なんざ軍事力の背景があったればこその二次的なものだよ。

114: 2012/07/26(木) 10:07:29.62
軍事力は政治力がなければ結集のしようがない。
北条は頼朝存命時には、朝廷と交渉する政治力も、関東武士を糾合する力もない。

北条は徳川家康と同じで、天下を取りまとめる能力が天下人の近くにいた結果として磨かれ、
目の前にチャンスが転がったから手に取っただけだ。

115: 2012/07/26(木) 10:16:13.61
軍事力という背景がなければ朝廷と交渉しうる政治力なんて発揮できるはずもないし、
絵を描いたのは北條氏で、朝廷と接触するのに源氏の嫡流という血筋が必要だったのは確かだが、
血筋は頼朝個人の力ではない。
まー、徒手空拳でうまく立ち回ったとは思うが。

116: 2012/07/26(木) 10:23:40.66
頼朝という旗印に真っ先に乗っかったのが北条というだけ。
北条が旗印なら決して関東武士たちは糾合しない。ゆえに、軍事力の中心は政治力を持つ頼朝。

117: 2012/07/26(木) 10:25:44.89
>まー、徒手空拳でうまく立ち回ったとは思うが。

徒手空拳で立ち回る能力を政治力と呼ぶ。単に徒党を組んで人を殺すだけなら
山賊や関東武士にもできる。

118: 2012/07/26(木) 10:33:25.08
その当時の北条は政治力も軍事力もほとんど無いじゃん
あるのは頼朝の嫁の実家という婚姻関係だけ
頼朝死後に安定させていったのは政子とか泰時の功績ではあるけどさ

120: 2012/07/26(木) 13:38:00.11
上総広常と千葉常胤が頼朝に味方したのが最大の謎だ。
この謎が解けた人はすごいと思う。

147: 2012/08/17(金) 02:46:52.53
>>120
千葉は上西門院繋がり

160: 2012/08/18(土) 11:57:23.97
>>147
千葉     vs 千田、佐竹
介八郎    vs 藤原忠清 
介八郎    vs 印東常茂
三浦、中村  vs  大庭

173: 2012/08/24(金) 09:49:59.36
>>147
息子で京都で既に従五位に叙されていた東頼胤が、常胤を説得するんだよね。
京都在勤中に平家にいじめられたりとかしたのかな。
常胤がついたことで、関東の大勢が決した。

121: 2012/07/26(木) 15:33:27.63
源氏の身内争いのすごさは日本史でも異質だよ
シス暗黒卿もびっくりだわ

123: 2012/07/26(木) 15:35:44.56
>>121
東国はすぐに武力で解決しようとするDQNの巣窟だったからな。

122: 2012/07/26(木) 15:34:08.70
勝ち馬に乗っただけだろ。

128: 2012/07/28(土) 04:30:47.97
当時の大陸は宋の時代で
石炭を使用したプレ産業革命の時代が始まっていた
アジアの経済はプレ近代の様相を呈していた
これを理解していたのは清盛
彼は交易による富で日本を支配しようとした
頼朝は農村経済の代弁者
当時の日本は農村経済だった
農民の土地所有権と裁判権を勝ち取ることで
農民貴族による階級革命ともいえることをなしとげたのが頼朝の鎌倉幕府
世界が見えていたのは清盛
しかし日本の現実に立脚したのは頼朝
どちらが上かは簡単には言えない

129: 2012/07/28(土) 22:31:07.09
別に頼朝は交易を否定してないし
清盛は500か所の荘園領主でした

130: 2012/07/28(土) 23:37:08.99
確かに貿易を否定してはいないが、貿易の利益を取り込まなかったから
鎌倉時代を通してずっと辛かった。「質素倹約」は貧乏暮らしの裏返し。

131: 2012/07/28(土) 23:48:59.87
だって宋が滅んでモンゴルが攻めてきちゃったからな
交易どころじゃなかったろ

132: 2012/07/30(月) 02:21:32.79
頼朝はなぜ奇人変人なのか

133: 2012/07/30(月) 21:35:14.02
鎌倉の和賀江島にも大陸の貿易船は来てたけどな

134: 2012/07/31(火) 20:59:21.48
でも元寇のせいで交易が減ったのは間違いなかろう

135: 2012/08/04(土) 02:30:47.79
頼朝はなぜ調子のりだったのか

136: 2012/08/10(金) 12:24:27.82
勝ち馬に乗ったつもりが最後は落馬・・だからねw
清盛も頼朝とも同じく調子こきすぎた。
平氏政権の限界は、清盛の存命中にもう見えてた気がする。

137: 2012/08/13(月) 05:35:23.16
頼朝はなぜ源氏の恥と有名だったのか

138: 2012/08/13(月) 21:23:14.36
そもそも鎌倉幕府を考え付いたのは頼朝?、坂東武士?
流人の頼朝は御輿に乗っただけという説もあるし

139: 2012/08/14(火) 00:28:14.12
奥州藤原氏の体制を参考にしたという説もある

140: 2012/08/14(火) 17:35:37.50
守護地頭を提案した大江広元・三善康信を招いたのは頼朝だから、
頼朝サイドの幕府案だろ

141: 2012/08/15(水) 13:43:18.26
中央志向の頼朝と、土着志向の周囲とが綱引きしてたのが
ちょうどいいバランスの時にたまたま頼朝が死んで
以後その体制が定着したというのが実状だと思う

頼朝が長生きしてたらもっと朝廷に近づいていって
平氏政権と似たような形になってたんじゃないの

しかしそういう頼朝がトップでなければ、
諸々の制度が朝廷お墨付きにならなかったかも

鎌倉幕府と呼ばれる体制は実のところ状況の産物で、
始祖=発明者ではなく、むしろ幕府体制の利を生かして
長期政権を築いた後の世の武士達の方が偉いと思う

144: 2012/08/16(木) 04:34:22.88
>>141
頼朝がちょうどいいバランスからはみだそうとしたとき亡きモノにされたのかも

163: 2012/08/18(土) 18:30:15.50
>>141
頼朝が中央志向というのは定説なのか
個人的にはあんまりそんな感じがしないのだが

145: 2012/08/16(木) 08:47:37.79
頼朝も尊氏も家康も幕府なんか作ってないよね

146: 2012/08/16(木) 23:03:36.78
幕府という語は幕末の倒幕派の隠語だし
藩と言う語は大政奉還で主君が無くなってしまった大名を
朝廷の下に組み入れるために新たな行政組織としてつくったものだし
幕藩体制なんて明治時代もだいぶたってから東大の学者が文献で言ったものだし
歴史のなかでは幕府も藩もそんな語はないんだよね

148: 2012/08/17(金) 03:05:42.10
>>146
ほ、ほんまか!目からウロコが落ちたわ!ありがとう教えてくれて!

149: 2012/08/17(金) 08:34:40.97
これより幕府を開く!
なんて言った人はいないわな
頼朝も尊氏も家康も

150: 2012/08/17(金) 08:41:53.56
歴史がちょっと違ってたら鎌倉時代じゃなくて
藤沢時代とか逗子時代とか

151: 2012/08/17(金) 08:59:50.85
鎌倉時代は最初の立ち上げ時だけ頭に源氏をいただきはした(源氏は僅か三代で消滅)けど
実情は最初(挙兵前)から徹頭徹尾、頼朝の嫁、正子の実家である伊豆平氏の北条政権。

152: 2012/08/17(金) 09:04:54.55
とすると、源氏の衣を被った分家末端の伊豆平氏が本宗家を駆逐して取って代わっただけの構図?

153: 2012/08/17(金) 20:49:54.49
徳川は河内源氏 江戸城をつくったのは摂津源氏

156: 2012/08/17(金) 21:36:41.15
米TIME紙
1000年を代表する偉人に日本人唯一選ばれたのが源頼朝

157: 2012/08/17(金) 23:17:45.27
足利尊氏と頼朝はどっちがすごいの

161: 2012/08/18(土) 14:53:04.88
清盛と頼朝はどっちがすごいかって?

全然比較にならないだろうが

162: 2012/08/18(土) 15:11:19.00
ヘソで茶を沸かした清盛と、嫁の尻に敷かれた頼朝。優劣つけがたい。

164: 2012/08/19(日) 01:47:52.12
中央志向というより中央に気を使わなければ幕府が立ち行かない
頼朝だけじゃなく実朝も同じ
幕府が中央からある程度距離を置けるようになったのは承久の変以後

165: 2012/08/19(日) 06:10:20.31
頼朝は晩年に娘を入内させようと画策し失敗していた
天皇の血筋に絡んで繁栄を築こうという
当時の権力者の常道から外れた人間ではなかったんだな

167: 2012/08/19(日) 13:03:42.65
>>165
娘の入内は中央への積極的な接近というより、
幕府を守るためという消極的な意味の方が強い

最初は幕府から朝廷に娘の入内という名目で人質を差し出すのだが
承久の変後は立場が逆転して朝廷から皇族を将軍という名目で人質をとるようになるんだが

166: 2012/08/19(日) 12:36:41.86
>当時の権力者

政略結婚なんて現代にだってあるところにはあるくらいだろ

171: 2012/08/20(月) 17:17:29.16
60年以上遅れているというわけだ。

174: 2012/08/25(土) 05:38:45.62
頼朝だろ 平氏政権は所詮朝廷内の軍事貴族の政権にすぎない
武家政権は日本固有の政権形態だからね

175: 2012/08/26(日) 02:43:40.99
今の大河ドラマの清盛と院・摂関家の駆け引きをみてると、
京都から距離を置いて新政府を作ったほうが効率的だわww

183: 2012/08/30(木) 19:05:24.80
>>175
そこらへんの平氏政権への過程は
民主党政権が官僚に取り込まれて
亜自民党政権になっていったようなものだな

176: 2012/08/27(月) 21:25:20.30
幸せの時間で親父と息子どっちが屑かを語るくらい不毛なスレですな。

178: 2012/08/27(月) 23:02:03.87
>>176
間違いなく息子の方がクズ。っていうか外道。

177: 2012/08/27(月) 22:14:44.45
歴史古い順
難波京(大阪市)(仁徳天皇などの皇居)
平城京 奈良
平安京 京都
東の京 東京
日本仏教初の寺は聖徳太子の四天王寺(大阪市)

181: 2012/08/29(水) 23:48:03.91
>>177
福原京ディスんなよ

179: 2012/08/28(火) 14:19:22.87
大化の改新(天皇制の始まり)は難波京(大阪市)で行われそれは大化元年~平成24年の今も続いている

182: 2012/08/30(木) 02:18:18.96
清盛は過去の恩を着せすぎ
だから周りから見限られる。
頼朝は若いから漁夫の利でしょ。
義経は利用されただけ

184: 2012/08/31(金) 08:56:52.35
んじゃ地方分権とか二都構想ってえのは
幕府みたいななもんを目指してるってえわけかい

185: 2012/08/31(金) 22:13:01.57
>>184
それはないだろうけど
平氏政権が武家でありながら武家の権益を保護する存在になれなかったのと
民主党政権が官僚主導打破を掲げながら官僚の言いなりになってるのと
歴史の転換点として同じようなパターンになってるのかも

191: 2012/09/11(火) 11:26:44.45
頼朝はなんで正二位大納言どまりなの?

192: 2012/09/11(火) 15:46:12.03
>>191

清盛の例を見ているから。

193: 2012/09/23(日) 00:14:15.35
頼朝(源氏政権)も実質一代で滅びてるし、頼朝も清盛も似たようなもんじゃん
中世における信長と秀吉みたいなものでは?
北条が徳川で

194: 2012/10/15(月) 08:38:01.62
自分自身が権力者だった清盛に比べて、頼朝は関東豪族に担がれた名目君主の性格が強いから、
清盛と頼朝を個人として比べれば清盛の方がすごいな。

195: 2012/12/07(金) 19:39:49.87
>>194
 よく頼朝は関東豪族に名目的に担がれていただけと思われがちだが
頼朝在世中は御家人達への支配は強固だったんだけどな
その支配も個人の力量によるものだったから 結果として頼家の末路や執権政治へと至ってしまうけど

196: 2012/12/07(金) 21:04:44.95
頼朝は奥州藤原氏を滅ばしたけど清盛は滅ぼせなかった

198: 2012/12/14(金) 20:00:22.50
>>196
奥州藤原は清盛時代、清盛や朝廷に金や財宝の納入を怠らなかったから
清盛も討つ気などなかっただろ

199: 2012/12/18(火) 21:22:50.70
>>198
頼朝に対しても義経の首を差しだしたり、恭順の意は示そうとした
それでも頼朝は無理やり難癖付けて滅ぼした

200: 2012/12/19(水) 10:57:21.34
>>199
それは平氏と源氏の違い。
源氏は源義家が奥州征討して以来、関東も奥州も源氏先祖伝来の土地という意識が強い。
源氏の土地である奥州を藤原が勝手に支配しているのはけしからんという思いがある。
一方、平氏は西国中心で奥州に兵を出したことは一度もない。
平氏に従順な奥州藤原政権の支配を許容していた。