1: 2012/03/21(水) 06:40:17.85
古代から近代までの通貨の歴史を語りましょう。
江戸時代もう既に為替や小切手で決済していた日本。
はたまた中国から通貨を輸入していた時代もあり
通貨から見た歴史ってやつを見て行きましょう。

引用元: ・【皇朝十二銭】通貨の日本史【藩札】

2: 2012/03/21(水) 07:00:54.52
金銀複本位制で藩札が流通していた日本は
明治維新でアメリカの中央銀行制度取り入れざるを得なかった。
日本はずっと管理通貨制度みたいなもんだったなぁ。

5: 2012/03/21(水) 15:28:19.22
江戸後期の一文て今で言う何円?

6: 2012/03/21(水) 17:18:57.67
>>5
一両が10万円から20万円だから100円くらいじゃね

7: 2012/03/21(水) 20:46:13.33
>>6 二八そば(16文)があちこちにあったくらいだからその計算じゃ高すぎる。
1文=20円くらいだと思う。
それで計算すると
1両=8万円

10: 2012/03/22(木) 13:21:23.67
>>7
ヒント 金相場と銀相場は変動性

でなきゃ両替商が流行るわけがない。

しかも、それら相場は米相場に連動してる。

122: 2014/07/12(土) 22:36:27.91
>>7
二八蕎麦って小麦粉と蕎麦粉の含有率だろ

12: 2012/03/22(木) 20:41:36.74
>>6はなんで金一両を銭一貫文程度のレートで計算してるんだ。

ちなみに、公式レートは金一両が銭四貫文だけど、江戸後期には鉄銭が出回って
銭相場が下落し、金一両が銭六貫文程度。

13: 2012/03/22(木) 20:46:23.94
>>12
悪銭とか鐚銭も銭として流通してるし。
藩札も通用してるから。一両現在の価値でいくらとはいえんのだよね。
幕末の動乱で金は流出してしまったし。
日本がアメリカの中央銀行制度になったのは金銀複本位制だから。
実際は流入した銀による銀本位制だったわな。

14: 2012/03/22(木) 22:37:45.89
>>13
普通は購買力で比較する。当時は今と比べて人件費は激安、食料は高めだった。
概ね一両は5万から20万円とされる。研究者は10万円としている例が多く、
小説家は小判を大金とみなしたがって、20万円と設定したがる人間が多いようだ。

金銀レートは、幕末の開国で銀の価値が極端に下がった以外は、大体公定レートの
一両六十匁から1割2割程度しか振れてないしね。

飢饉では食料価額が極端に上がるけど、飢饉は当然別の話として議論する。

8: 2012/03/22(木) 08:20:21.58
後醍醐天皇が乾坤通宝を発行していたらどうなっていただろうか。

9: 2012/03/22(木) 11:22:18.14
>>8
普通に渡来銭に混じってその後も使われたことだろう

11: 2012/03/22(木) 17:53:39.42
日本では米も通貨だよな?そうでないと8代将軍吉宗公があんなに苦労しなくてもすんだのに

15: 2012/03/22(木) 23:57:13.94
豆板銀や二朱金は安く買えるけど、丁銀や小判はむりぽ

16: 2012/03/23(金) 13:16:00.80
>>15
江戸期では金銀の貨幣がまだ流通してるけど
明治には金貨、銀貨はほとんど流通しなかった。
みんなお札を欲しがったし田舎では金貨や銀貨を両替してくれる
銀行もなかったので札しか使えない。

17: 2012/03/23(金) 15:37:39.08
金銀貨は主に貿易用だからな。
銀行は一つの郡に数か所は最低でもあったけどね。近隣農村から買物に出るような町には
必ずといっていいほどあった。

18: 2012/03/23(金) 16:44:29.54
そもそも田舎の庶民は金貨銀貨になるような大金を扱わない。

19: 2012/03/23(金) 22:52:22.87
皇朝十二銭以後寛永通宝が造られるまで600年間は商人・都市部は外国銭、地方は物々交換だったの?

21: 2012/03/24(土) 06:18:19.54
>>19
蝦夷地でさえ渡来銭の埋蔵例がある。地方でもかなり銭が出回っていたことは間違いない。
永楽通宝は西日本よりも関東でむしろもてはやされたというしね。

49: 2012/04/07(土) 08:58:33.73
>>21
皇朝十二銭は、北海道の胆振国千歳郡あたりからも出土してるよね

飛鳥時代から平安時代初期に築かれた茂漁古墳群(柏木東遺跡)からは律令時代の六位以下の位階を示す帯金具などとともに和同開珎出てるし
その近辺の数か所の遺跡からは隆平永宝や富寿神宝などの皇朝銭数種も見つかっている

当時、蝦夷征討や粛慎討伐が盛んに行われていたから位階のある人も北海道にいたんだろうな

22: 2012/03/24(土) 08:56:09.78
埋蔵銭の内訳調査はかなり面白い。

どこでも大体北宋銭が主体だが、唐の開元通宝もけっこうな勢力だし
珍しいものでは漢の半両銭や西夏の漢字銭、後代のものでは琉球銭、朝鮮銭、安南銭も出る。
蕃字銭(西夏文字銭)の出土例があるのかは気になるところ。

渡来銭の流通は寛永通宝李発行後の天和2年(1682)に一応停止されているが
その後も寛永銭の銭棹に混じって幕末まで少量の流通はあったらしい。

古銭系の書によると、明治初年の新貨体制下でも上記の事情を勘案して
一部の渡来銭での決済が認められたとあるんだけど、その詳細な内容がわからない。
誰か知らない?

多分寛永鉄銭(0.0625厘扱、銅銭なら1厘扱)より評価高かったんだろうな。
単なる両替保障なのか上記の決定の効力の範囲と期限も気になる。
渡来銭が厳密にはいつまで日本の法定通貨だったかにも係わるからね。

23: 2012/03/25(日) 11:06:13.72
寛永銭の新貨評価は地金での評価だからな。金貨流出で痛い目見てるだけに慎重だったんだろう。
朝鮮併合後は常平通宝が2厘で交換されたという記事を見たことがある。蔵二つ分出てきたとかで、
相当な額として交換されたそうだ。常平銭も種類があるだろうに、それぞれがどの交換比率だったかは
記事になかった。

ちなみに銭形で有名な観音寺市では今でも寛永通宝が地域通貨として使用可能。町おこしの一環らしい。

24: 2012/03/25(日) 20:32:52.30
みんな、博識だね。

25: 2012/03/26(月) 07:18:48.51
慶長通宝、元和通宝、平安通宝。
この辺の放つ怪しい香りに惹かれる。
鋳銭記録とかまともに残ってないのに、現物は存在するんだよね。

26: 2012/03/26(月) 10:18:37.98
>>25
私鋳銭のびた銭だろw
鐚銭も半分の価値で流通したからな

江戸幕府が通貨鋳造始めるとやっと日本にも通貨制度が

27: 2012/03/26(月) 12:18:19.19
>私鋳銭のびた銭だろw
>鐚銭も半分の価値で流通したからな

これは2行とも間違っている。

まず私鋳銭=鐚銭ではない。

そもそも皇朝十二銭以降公鋳銭のなかった日本には
贋金という意味での私鋳銭はない。
私鋳銭の品質はまちまちだったが必ずしも悪いと決まっていたわけではない。
良質銭として高く評価されていた永楽通宝も実は明製より
良質の日本製私鋳銭の方が多かったという説もある。

そして交換レートは、
良銭2=鐚銭1ではなく永楽銭4=鐚銭1=寛永通宝1。

室町時代には既に銭(庶民)、銀(商人)、金(武士)それぞれの
通貨体制は確立していた。

江戸幕府がやったのは発行元の幕府への一元化と
3種の通貨の交換レートの保証。
だからそのためにまず先に良貨だが通貨量の不足する永楽銭の
流通を禁止する一方で鐚銭の金銀との最低交換レートを保証して、
さらにそのあとに鐚銭と等価を保証しながら寛永通宝を発行した。

これによって幕府は経済恐慌なしにくたびれた渡来銭を良質の寛永通宝に
交換することに成功した。

30: 2012/03/26(月) 15:22:18.08
>>27
西日本が銀本位制で東日本が金本位制じゃなかったのか?

32: 2012/03/26(月) 15:28:03.89
>>30
商人⇔武家
西日本⇔東日本

別に境界線とかないから同じことだよ。

大名や江戸の幕府は金取引中心。
大坂や堺を頂点とする商人は銀取引中心。


34: 2012/03/26(月) 15:31:19.34
>>32
道理でアメリカの中央銀行制度取り入れなきゃなわん訳だ。
しかも藩札もあるからな。
陸軍(フランス式後ドイツ)海軍(イギリス)憲法(ドイツ)中央銀行(アメリカ)
明治の人は頭いいなおい。

36: 2012/03/26(月) 18:28:59.89
東国の金遣い、上方西国の銀遣いってのはごく一般的な常識のはずなのに、
>>32はどういう認識でいるんだろうか。
大名は江戸に参勤するから小判遣ってたっていうぼんやりしたイメージで、
西国大名が国元でどうだったとか思いが及んでないだけか?

39: 2012/03/26(月) 18:43:48.99
>>36
あんたこそなに「中心」と言っている大筋の話にドヤ顔で突っ込んでるんだ?
金取引圏と銀取引圏で境界でもあったようなイメージなのか?

武家⇔商人の対照はおおむね東⇔西の対照と符合するという話で
誰も金ないし銀「だけ」使ってたなんていう話はしていない。

大名や大商人レベルなら普通金銀両方の勘定で取引があるが、
当然その比率は東西でも異なってくる。

東国の金遣い、上方西国の銀遣いってのは取引の
比率の話でしかない。
西国大名は小判の一枚も持ってないようなイメージなのか?w

42: 2012/03/26(月) 19:20:26.00
>>27に立ち戻れば、

>室町時代には既に銭(庶民)、銀(商人)、金(武士)それぞれの
>通貨体制は確立していた。

だもんな。室町時代って金銀鉱山がそこまで発展してないだろうに。

43: 2012/03/30(金) 18:12:52.16
>>42
室町時代が一番鉱山開発が盛んだったと言っても
戦国時代の室町後期だが。

28: 2012/03/26(月) 12:21:58.87
あ、いけねレートのとこの数字が入れ違ってる。

永楽銭1=鐚銭4=寛永通宝4ね。

永楽通宝1000文=小判1個が保証相場だったのが
幕末までの銭4000文=金1両の
公定保証レートのはじまり。

29: 2012/03/26(月) 14:59:22.52
>>28
そのレートも国際標準からかけ離れていて
幕末の金流出だろ?
欧米の商人はろくな事しないな。
ハゲタカファンドといい勝負。

31: 2012/03/26(月) 15:23:40.36
金流出がらみは金銀のレートであって銭のレートは関係ないよ。
それに当時は国際標準などというものはない。形成前。
強い方の武力付きの言い値がまかり通ってただけだ。

幕府だって当然気付いてたが、当然の是正措置に対し
パークスとかは何の正統性もない「抗議」をねじ込んでる。
その辺の連中の行動はただの野蛮人そのもので、
きちんとした記録を突きつけられると今の英国人の顔が赤くなるレベル。

33: 2012/03/26(月) 15:29:03.25
>>31
スナイドル銃だっけ?規格化されてたのでエンフィールド銃からの
改修を幕末から明治維新後もやってたらしいが。
アホみたいに銃輸入してたからな。
しかもちょうど銃が発展期だったし。

35: 2012/03/26(月) 18:21:51.36
>大名や江戸の幕府は金取引中心。

諸大名が発行した藩札の額面をみれば分かるように、西日本の諸大名は銀遣いだ。
つーかそもそも大名の年貢米や産物などの取引相手は商人なんだから、大名と商人で
別の通貨を使うわけがないだろう。

大坂商人は全国の大名を相手にしてるけど、東国の大名に対しては金貨で決裁していた。

37: 2012/03/26(月) 18:34:46.18
>>35
現金決済だったっけ?

38: 2012/03/26(月) 18:41:58.12
決裁が手形であっても金単位銀単位は当然明記される。

40: 2012/03/26(月) 19:12:14.86
まぁ現在でも揉めるくらいだから明治維新後の当時の政府は大変だったろうなぁ
日銀券が全国で通用するようになるのに20年くらいかかってるし。
太政官札も乱発してインフレになったらしいし。

41: 2012/03/26(月) 19:16:40.69
商人が銀遣いという主張なら、江戸の商人をどう説明するつもりなのか。
商人が銀遣いなんて主張は明らかに変だよ。全く実情を反映させられていない。

>西国大名は小判の一枚も持ってないようなイメージなのか?w

例えば日本人が日本国内でドルやユーロを持っていたら、「日本の通貨は円」と
主張できなくなるとでもいうのかね。君の主張はそれくらいの極論だ。

44: 2012/03/30(金) 18:17:15.89
戦国期から安土桃山期にかけてをあえて室町時代と表現する感性はどこか変。

45: 2012/04/02(月) 21:34:12.32
金山銀山ってでもいっぱいアッたんでしょ?

46: 2012/04/05(木) 14:52:29.95
領主が認識しなければただの山。

47: 2012/04/05(木) 20:53:21.34
甲州露金だっけ?
あれが流通してたのって甲斐一国のみ?
秋田藩の銀のかけらみたいな扱い?

48: 2012/04/06(金) 21:03:32.07
甲州金は地元ニーズにより特例で導入されたものだから、他所にはあまり流通しなかっただろう。
大和吉野の御免銀札みたいな幕府公認の地方通貨の類。

50: 2012/04/07(土) 09:11:58.38
>当時、蝦夷征討や粛慎討伐が盛んに行われていたから位階のある人も北海道にいたんだろうな

戦利品が蝦夷の首長の間で取引きされたのかもよ。

51: 2012/04/07(土) 12:48:58.67
蝦夷(えみし)の人の墓と、江別古墳群や茂漁古墳群の構造は違うから
道外から渡った役人や有力者の可能性あるけどね
飛鳥時代の阿倍比羅夫は郡領を置いてるし

古墳の副葬品も土師器や須恵器などもあり
一方、蝦夷の人たちは当時擦文土器を用いていたそうな

52: 2012/04/07(土) 18:58:06.18
大和朝廷は一旦は沖縄まで統一してるんだよな。その後放棄しちゃったけど。
済州島や鬱陵島も大和民族だったという話もある。

53: 2012/04/08(日) 00:26:36.40
>>52
そんな話は初耳だが(笑)

54: 2012/04/08(日) 07:33:27.76
阿倍比羅夫の蝦夷征討や粛慎討伐、
北海道の古墳から皇朝銭や律令制の位階を示すものが出土してるのは事実だけど

済州島や鬱陵島の話は聞いたことがない

55: 2012/04/08(日) 07:52:08.87
遣唐使の頃は大和朝廷と沖縄住民との間で交流があった。支配はしていない。

済州島は耽羅国で、建国神話では三柱の神人がいて、東方から流れてきた人たちの中から
三人の姫を娶って五穀栽培を始めたとある。この東方を日本と比定する説がある。

鬱陵島は于山国。512年新羅が征服。11世紀初頭に女真族の侵略で滅亡。のち空島政策で
無人島になった。おかげで新羅征服以前のことは不明。海洋民族日本人と大陸民族朝鮮人という
大まかな線引きからの連想か。

56: 2012/04/08(日) 20:20:14.63
>>49-51
平安時代初期の天長3年(826年)、
胆振国有珠郡では慈覚大師円仁が堂宇を建て阿弥陀如来を本尊とし有珠善光寺を開山している

室町時代、応仁の乱の10年ほど前に有珠善光寺はコシャマインの乱に害されたが、
慶長18年(1603)松前藩の祖、慶広公が松前の祈願所として再興され、
文化元年(1804)等澍院(後述)や釧路国厚岸郡の国泰寺とともに蝦夷三官寺に指定された

円仁は日高国様似郡でも修行したと伝わり、江戸時代この地には等澍院が建立されている
等澍院は蝦夷三官寺の筆頭寺院であった

坊さんが足を踏み入れるくらいだから、皇朝銭持った和人が平安時代の北海道にいても不思議じゃないわな

57: 2012/04/10(火) 20:30:52.29
>坊さんが足を踏み入れるくらいだから、皇朝銭持った和人が平安時代の北海道にいても不思議じゃないわな

修行僧は人跡未踏の地に好んで足を踏み入れるけどね。寺を建てたなら技術者は足を踏み入れただろうけど。

58: 2012/04/12(木) 22:49:37.25
扶桑国からやって来たのも僧侶だったな

59: 2012/04/13(金) 12:58:09.41
北海道の場合は、円仁が足を踏み入れる前の飛鳥時代に比羅夫の遠征があり郡領を置いてるけどね

60: 2012/04/17(火) 01:53:05.03
富本銭をお守りに欲しいんだけど古銭ショップで売ってるの?

61: 2012/04/17(火) 02:09:14.55
宋銭なら中国行けば100円とか500円で売ってるよw

62: 2012/04/17(火) 11:47:19.04
偽物のがw

63: 2012/04/17(火) 19:07:27.79
状態の良くない物なら本物もそれくらいの値段
宋銭は数千億枚も造られてるから偽造する意味が無いw
美品や銀銭はウン十万、極美品や金銭はウン百万の世界だけど

64: 2012/04/18(水) 11:00:22.67
銭種ならともかく状態でそんなに価値が開くかよ。
富本銭は江戸期にも発掘されたものがごく少数ながら出回ってるからな。
数十年単位で金を貯めつつ待てば、運が良ければゲットできるかもよ。

65: 2012/04/18(水) 22:15:26.98
だって、本物よりも品質のいい偽銭が出回るのは普通だったんだぜ>宋銭。
そもそも、中国の前近代の造幣コストには中央に運ぶ輸送費が込だったから、時代と場所によっては本物と全く同じ品質の偽銭を作っても採算が取れたケースすらあった。

66: 2012/04/18(水) 22:28:37.50
>>65
それは無いな、宋代の銅銭は直接製造費の時点で額面とほぼ同額
あやふやな知識と妄想で出鱈目書いてるサイトをあまり鵜呑みにしちゃ駄目だよ。

私鋳が盛んだったのは秦よりも後、唐よりも前の時代、その時代には冶金の施設と
技術を持つ者の私鋳は、許可されたり禁止されたり偽銭という概念が乏しかったからね。

86: 2013/02/11(月) 18:22:49.78
>>66
製造費に輸送代が含まれないってのは珍説
材料の銅にだって輸送費が含まれてるのに

90: 2013/02/12(火) 01:11:37.47
意味不明な事を主張しない様にな>>86>>88
そこから更に政府の利潤を上乗せした額面にはなっていない

88: 2013/02/11(月) 18:49:33.67
>>66
確か、宮澤知之氏が著書でコスト計算して鋳造地から長安への輸送コストが原価を押し上げて逆転現象が起きたと論じていた筈なのだが。

67: 2012/04/18(水) 22:53:45.38
江戸時代の日本でも寛永通宝銭は私鋳だろうと普通に出回っていたりする。

68: 2012/04/18(水) 23:13:10.14
>>67
ところが江戸時代の大阪では手形決済が普通で
現金決済なんぞしてない。銭は庶民向けだね。

更に面倒くさいのはコメ相場と金銀相場が連動していて
今で言うヘッジファンドみたいのが大阪にも居たので
投機で米相場暴騰させたりしてる。
8代将軍吉宗は資本主義経済と最初に向かい合う君主となったのであった。

72: 2012/04/19(木) 06:36:16.26
>>68
反論の形になってるけど全く話題がずれてるよな。なんで私鋳銭流通の話題が上方の手形流通の話に摩り替わるんだ。
かじった知識をひけらかしたかっただけか?

69: 2012/04/19(木) 01:25:15.99
ガキの頃に集めてた銅銭(渡来銭・寛永銭など)が数百枚あるんだけど
銅相場が暴騰すれば銅銭を高く買い取ってくれるのかな?

76: 2012/04/21(土) 09:58:31.15
>>69
その状況だと、まず十円玉が消えるな

70: 2012/04/19(木) 02:50:45.05
金が流出して国内にあまり無いのは解るんだが、代わりに増えた銀って
主に何になって残ってるんだ??

72: 2012/04/19(木) 06:36:16.26
>>70
貿易銀になって中国とかに大量に流れたよ。

71: 2012/04/19(木) 04:05:31.69
GHQに没収されて米政府や米人大富豪の金庫で延棒になってるよ

73: 2012/04/20(金) 14:21:51.25
銅も国外流出してますやろ
寛永通宝なんか、支那や越南はおろか遠くインドネシアあたりからも出土してるらしいし

明治以降はバンバン掘りまくって銅の輸出が盛んに行われた(関連する足尾鉱毒事件はあまりにも有名)

74: 2012/04/20(金) 15:50:43.95
わざわざオランダのために長崎貿易銭を鋳造したくらいだしね。

75: 2012/04/20(金) 16:01:57.10
ところで太閤円歩金って誰が作らせたのか知ってる奴って居る?
やっぱり金の大好きな秀吉なのか・・・

77: 2012/05/30(水) 09:00:39.01
銀の高騰で昭和四十一年までの百円銀貨(鳳凰・稲/ばりばりの現役貨幣)が
鋳潰されて問題になったことはあったな。


寛永通宝の時代になっても幕末まで銭棹にはけっこう渡来銭は混じっていたが、
渡来銭時代に皇朝十二銭はほとんど混じってなかった(安南銭や西夏銭よりレア)のも
従来は皇朝銭の発行枚数や流通規模にばかり原因が求められてきたが、
それにしても少なすぎ、どうも平安末ごろの銅山枯渇で銅価が高騰し、
これが皇朝銭流通の息の根を止めただけでなく、銭の大量鋳潰し、
それでも足りずに鋳潰し用銅地金としての宋銭大量輸入と繋がったらしい。

79: 2012/07/03(火) 06:32:36.22
>>77
銭を鋳潰した銅を何に使うんだ。

80: 2012/07/04(水) 20:41:41.08
>>79
仏像・仏具

反対に唐の武宗の仏教弾圧では仏像や仏具を一部して銅銭を作った。

78: 2012/06/01(金) 07:45:12.01
数年前には同様に一円玉がって噂もあったけど、その後の流通量をみるにデマだったようだ。

87: 2013/02/11(月) 18:24:43.01
>>78
製造費と材料費は違う

81: 2012/07/06(金) 17:34:25.71
宋も一定以上の大きさの宗教的な物の製造に
銅と鉄を用いることを法律で禁じてるけど、その辺日中で真逆だなw

84: 2013/02/11(月) 14:02:18.96
二八そばって16文だが、今でいうといくらくらい?

85: 2013/02/11(月) 17:09:29.49
300円くらい。

91: 2013/02/13(水) 20:11:56.53
>>85 結構高いな
そんな値段で江戸っ子は頻繁に利用してたのか

92: 2013/02/13(水) 21:13:45.06
労賃とか安いようでいて、江戸の庶民は意外と優雅だったんだよ。

まず税金がない。町人には直接税も間接税もなかった。町単位の賦役はあったが、町役レベルで納まってしまい、八っつあん熊さんレベルに直接降りてくることはほぼなかった。
次に公共料金がない。店賃(家賃)以外にはガスも電気もないし、水道はあるがタダ。光熱費は煮炊き用の炭や薪、灯明の油ぐらい。自分で歩いてくから交通費もない。
第三に生活のバックアップが厚い。 「宵越しの銭は持たない」で暮らせるのは、万一文無しになっても、次の収入までコミュニティの中でツケやタダ飯喰いでのらくら誤魔化せる環境があったから。一生安下宿のバイト学生レベルの気楽さ。

93: 2013/02/14(木) 23:24:48.67
関東は小判、関西は銀貨といわれているが、境目は関ヶ原か

94: 2013/02/15(金) 07:26:36.10
時期によって異なる。藩札の額面などを見る限り、幕府が銀単位貨幣の極端な鋳造削減を始めるまでは、
銀単位の東限は越中、飛騨、美濃、三河あたりで、その後は徐々に金単位が西に侵食してる。
当然ながら境界付近は金単位銀単位の双方の市場と取引きするから混在していて、明確な線引きは出来ない。
大坂でさえ、東国の諸藩との取引きでは顧客サービスのために金単位貨幣での取引きを商人仲間で
取り決めているほどだ。

95: 2013/03/30(土) 00:34:06.65
江戸時代の豆板銀は買えるけど、丁銀や小判は高くて買えない…
満州国紙幣や宋銭も集めたい

96: 2013/03/30(土) 00:36:04.82
宋銭と満州国の紙屑は中国いけばゴロゴロ売ってるんじゃね?

97: 2013/03/30(土) 03:25:20.92
宋銭は美品でなければ日本国内で安く買えるよ。
結局流通してた膨大な渡来銭は鋳潰されたもの以外
今でも日本のどっかにあるということらしい。

逆に中国の美品は贋物が多いので要注意。

98: 2013/03/30(土) 08:05:03.52
まぁ、宋銭は明代に大量に偽造されて日本に大量に流れ込んだと言う説もあるし

101: 2013/03/30(土) 08:59:09.86
>>98
それは幾つかの話がごっちゃになってると思う。

宋銭
・宋末に禁止令が出されており宋銭の日本大量流出は事実
・宋や明では宋銭私鋳は官銭偽造になり犯罪
・そもそも中国側での問題は産銅減少と銅地金流出なので輸出用偽造銭鋳造はメリットがない
・日本で私鋳された「宋銭」もけっこう多い(官銭のない日本での私鋳は犯罪ではない)
・江戸時代の輸出用の「長崎貿易銭」も宋銭銘を用いた(寛永通宝の流出防止用の銭)

永楽通宝
・中国での流通を示す証拠が少なく、対日輸出用として鋳造されたとの説が強かった
・しかし最近はやっぱり国内流通用だったとの説も出ており、中間説も含め論争中
・日本で流通していた永楽通宝のうちかなりの比率が日本での私鋳
・特に東日本で流通していた質のよい永楽銭はほとんど日本製との説も
・金銭と銀銭は秀吉が作らせたプレミアムメダル

100: 2013/03/30(土) 08:16:18.76
そもそも皇朝十二銭だって、鋳銭施設があったのは長門とか遠国でそっから都に送られて都から支払い手段として各地に流通していった訳で、そのあたりのコスト計算抜きにした製造原価なんて話すだけ無意味。

102: 2013/03/30(土) 14:27:55.47
対日用というか朝貢貿易用、東南アジア各国からも大量に見つかってる
特にベトナムは日本と同じく輸入する以外にも大量に私鋳したよう

103: 2013/04/08(月) 03:17:17.55
なんだか地金型貨幣みたいな話だなそれ

105: 2013/04/08(月) 08:46:20.20
>>103
東洋の銭は、材質よりも円形方孔という製品の形状の方が重視される場合がある。
交易範囲が閉じている場合に見られる現象だけど。銭の重量などよりも枚数の方が
共通の価値を集団全体が認めやすいということだろう。

106: 2013/04/28(日) 11:42:54.74
同じ寛永通宝でも波銭は4文じゃないですか
これは江戸時代は後期になるに従ってインフレになっていったということですか?

109: 2013/04/30(火) 16:36:26.73
>>106
インフレというか、必要通貨量の増大に幕府の銅地金保有量が追いつかなくなって
改鋳→しまいに鉄銭や四文銭、天保銭(百文銭)が発行された。品位の低下→名目貨幣化だね。
地金価値が現金価値を裏書していた時代には、通貨発行量の増大だけにより
通貨価値が無限に低下するという今日的な意味での単純なインフレは存在できない。

江戸時代だけ見ると、銅銭は初期レートが慶長小判1枚=鐚銭→寛永銅銭4000枚、
明治初年の最終レートが万延小判1枚=寛永銅銭1000枚、
一見4倍に上がってるが万延小判の金含有量は慶長小判の1/8くらいしかないから
金地金ベースだと4倍×1/8=1/2となって、江戸時代を通じて大体銅銭1枚は半値くらいに
なったことになる。

ちなみにはじめ名目貨幣として銅銭と等価だった鉄銭は最後は銅銭の1/10以下になった。
4文銭や天保銭も同様の下落をしている。

穴銭一文は平安後半~鎌倉前半の貨幣流通のなかった時代にも仮想単位として
土地取引などに使われたりとか価値取引の単位としては完全には死んでなくて
和同開珎から昭和28年の銭厘廃止まで基本単位として通底してる部分があった。
これを総括すると当初の設定が高かったせいもあって1500年かけてゆるやかに
インフレが進行したとも言える。
和同開珎銅銭1枚(人夫の日当くらい)→昭和28年の寛永通宝(1厘=1000枚で飴玉1個くらい)

120: 2013/05/18(土) 02:31:10.15
>>109
面白い話だなあ
昭和28年まで1厘として寛永通宝使えたのも思い出したw

107: 2013/04/28(日) 13:17:01.75
皇朝銭、鉛多過ぎ。
平安貴族は経済感覚疎かっのか。

108: 2013/04/29(月) 08:10:23.45
流通させるために蓄銭叙位令なんか出したくらいだからな。余計流通せんわ

111: 2013/04/30(火) 19:21:31.60
新しい銭銘のを出すたびに、以前の銭の価値を十分の一にしてみせたりな。

112: 2013/05/06(月) 07:57:59.58
米でも物でも新しい物が出ると古いのは価値が下がる、それと同じ事だ問題ない。

113: 2013/05/06(月) 22:44:12.59
実は昔は、新米より、古米の方が高かった。

114: 2013/05/06(月) 23:48:18.22
>>113
宜しければ、詳しくお願いします。

115: 2013/05/07(火) 02:04:30.02
俺も何かで読んだ事あるけど理由忘れたは。何だっけ?w

116: 2013/05/07(火) 07:33:48.92
何だろうね、実利的に思いつくのは水分が抜けて同じ量ならカロリーが高いとか
一年間保存出来た実績があるとかだけど。

117: 2013/05/07(火) 10:29:02.83
新米は水分を多く含んでいるから、炊くとその分目減りするってのが理由。

118: 2013/05/08(水) 02:11:11.72
炊く以前に、保管しているうちに減るんじゃないか

121: 2013/08/04(日) NY:AN:NY.AN ID:iDV9Penx!
>>118
炊くという行為で減るという意味で書いたわけじゃない。
要はあんたが書いた通り、保管時に水分が抜けるってこと。

119: 2013/05/10(金) 17:41:04.97
籾なら百年もつけど、脱穀してしまうと数年じゃないの?

120: 2013/05/18(土) 02:31:10.15
>>119
籾ってそんな持つのかスゲー

123: 2014/07/13(日) 01:51:01.73
>二八蕎麦
語源は割合説、価格説、人名説があって、特に割合説と価格説は
実際に世間にそう解釈されていた時期があったが
どっちも言葉が出てきた時期の実態には合致せず、
結局論争に決着は付いていないそうな。

124: 2014/07/14(月) 19:04:39.68
蕎麦以外の物価から見ると1文は少なくとも100円以上、高ければ500円近い価値に相当するんだが。

1両10万円でも円高すぎる、1両20万円ぐらいでもいいぐらいだろ。


16文の蕎麦は8000円ぐらいなのか……そりゃ換算がおかしいと言いたくなるのもしかたがないが。

125: 2014/07/20(日) 20:11:52.89
さて、貨幣経済を廻す為の通貨の最低単位はどのくらいが必要だろうか?

129: 2015/05/13(水) 06:50:25.42
これからの通貨ってどうなるのかな
円・銭・厘ってのがインフレで最少コインが1円になったんだよな
日本の借金総額を考えるとインフレで最少コインが1万になるのかなあ?

130: 2015/05/13(水) 18:28:20.52
「日本の」借金総額はマイナス。世界最大の債権国だぞ。

131: 2015/05/13(水) 20:56:35.62
中国は華麗にスルー

132: 2015/10/18(日) 17:05:28.97
藩札とか羽書はここで語っていいのか?

133: 2017/05/07(日) 23:17:17.88
日銀の資料館に行って来た→複数言語の通貨が展示されてたんだが

日本では公共の掲示は4ヶ国語表記が基本だ
と言う事は紙幣の表記も遅かれ早かれ4ヶ国語表記になるのかな?

134: 2017/05/08(月) 19:13:43.12
紙幣は国の顔だから、どっかの植民地にでもならん限りは外国語は使わんだろ。
なにしろローマ字表記で"NIPPON GINKO"なんて書いてるくらいだし。
意地でも多国語を使うまいとするその気概は称賛されるべき。