1: 2012/03/08(木) 01:09:47.65
大河スレが、王家の話で持ちきりなので
この時期に関する話題を話すスレとして建てました。

引用元: ・【貴族】保元・平治・治承の動乱【没落】

3: 2012/03/10(土) 16:04:38.61
保元の乱もし崇徳上皇側が勝利していたらどうなっていたんだろうか?
少なくとも後白河法皇を四国に追い出すマネはしないと思うから
日本を今後数百年呪縛する呪いは発生しないと思うのだが

30: 2012/04/16(月) 18:50:40.17
>>3
そもそも崇徳上皇が勝つという設定があり得ないのでは?
保元の乱は信西が頼長や崇徳上皇を計画的にハメた陰謀だから、崇徳上皇側は訳わからない間に敗者になってたわけで。

32: 2012/04/17(火) 17:58:15.01
>>30
崇徳天皇に政治への野望がなかったかどうかは分からないよ
重仁親王の立太子にあれほど賭けていたのだから父鳥羽上皇さえ死ねば
無能な弟後白河に代わって自分が治天の君に担がれたい期待は多少はあったろう
結果として後白河が勝ち崇徳が負けたという事実だけがある

4: 2012/03/10(土) 16:59:17.97
藤原頼長が武士の台頭を許さないから貴族政治の時代がもっと続いた。

5: 2012/03/11(日) 20:22:06.08
もし佐藤義清が出家しなかったら崇徳側に加わったのだろうか?

6: 2012/03/12(月) 02:48:32.26
だろうな、としかいえないね。墓参りも後日しているしさ

7: 2012/03/12(月) 05:24:24.14
天皇は誰が即位したかな?
武士は脳筋しか残って無いから、頼長中心の政治かもね。
でも治安悪そう

8: 2012/03/12(月) 08:54:48.90
そりゃ重ちゃん即位で崇徳上皇の院政開始できまりでしょ。

11: 2012/03/13(火) 01:42:16.03
為朝さんが勝った場合戦後どう動くかだね。
頼長とは対立しそうな気はする。

美福門院得子は島流しだろうから、
宮中の女性関係も大幅に変わりそう、

12: 2012/03/13(火) 09:10:54.47
鎮西八郎がなにをするってんだ?

13: 2012/03/13(火) 14:18:52.23
都で大暴れ。西遊記の天上編みたいな感じ。

14: 2012/03/13(火) 20:16:14.52
後、美福門院が権勢を失うことはかなり重要かも

後白河法皇が鳥羽上皇ほど権勢を手にすることができなかった理由に
美福門院が鳥羽上皇から上皇の所領する王家荘園のかなりの部分を受け継いでいて
天皇の実子である後白河法皇がそれに手を付けることができなかったためだし

崇徳上皇側が勝てば彼女が持つ鳥羽院領と美福門院領を奪うことができたから
後の南北朝まで影響を与える王家荘園の分離が起きなかった事になる。

15: 2012/03/14(水) 06:05:29.15
頼長は生きてたらどうなってた?
処刑?

18: 2012/03/20(火) 18:04:27.38
>>15
更に台記のホモ記述が充実してたろうなw

16: 2012/03/14(水) 08:49:01.12
王家荘園

19: 2012/03/24(土) 22:11:33.82
ユリとバラの摂関家姉弟

まともなのは忠通様だけね。

20: 2012/03/30(金) 19:32:44.90
>>19
当時マトモな性癖な摂関家や皇族居たのかよw

28: 2012/04/16(月) 18:04:44.31
>>19
忠通がまともだったかもわからない
忠通は日記も残せない無能だったために変な性癖が後世に残らなかっただけかも・・・
(弟の頼長のほうが学才はあったしね)
藤原泰子(姉)・・・無類の潔癖症で男嫌い。夫鳥羽上皇とのセックス拒否。
藤原頼長(弟)・・・有名な両刀使い。男との枕シーンを日記に書き記す。

36: 2012/04/17(火) 21:39:06.32
>>28
なんか頼長贔屓が増えたせいか忠通が無能扱いされるのをよく見かけるな

39: 2012/04/18(水) 10:07:06.43
>>36
あのまま忠通に男子が生まれず頼長が摂関を継いでいたら
頼長もそれなりに功績が残せただろ
結果的に忠通の運が強く頼長死亡
忠通は念願かなって晩年に作った息子を摂関の座に据えることができた
忠通の子慈円は「愚管抄」で父賛美
これが一次史料とされているため忠通有能説が出る

40: 2012/04/19(木) 21:58:51.32
>>39
『保元物語』で相当ディスられている部類だろ?>忠通

21: 2012/03/30(金) 19:50:45.16
そもそも当時ああ言う性癖はまともの範囲だ。

22: 2012/03/30(金) 19:53:19.93
>>21
藤原頼長はハードゲイプレイもできるタイプだからなぁ
ノンケ掘ったりするし

23: 2012/04/04(水) 00:51:34.39
熱田大宮司季範は京都の貴族だっつーけどさ
季範の父親って三河四郎大夫で官歴なくない?
季範本人の額田冠者も京の貴族らしからぬ号でね?
なんか「陸奥話記」の藤原範季からゲロの臭いがぷんぷんすんだけど

24: 2012/04/09(月) 13:45:32.29
昨日、大河見て思ったけど家盛が生きていたらどうなっていたでしょうか?
平家も分裂ですよね。

25: 2012/04/10(火) 21:34:16.36
>>24
家盛、頼盛は崇徳上皇方だっただろうね。少なくとも頼盛という不平分子が
いなかった分、平家はさらに安定していただろう。

26: 2012/04/15(日) 19:04:57.46
堀河がもう少し生きていたらどうなっていたか?

27: 2012/04/16(月) 05:15:07.87
忠盛が生きていたらどうなっていたでしょうか?
忠盛も来週で最後やね。
忠盛がいたからこの大河も締まったけどこれからどうなるの?

29: 2012/04/16(月) 18:22:17.91
>>27
前回は忠盛が常軌を逸していたがね。
前々回あたりから存在感がうすくなってるというか、今まで無理してきた分、感情が理性で抑えられなくなってきてる。
なかなかよい演出だと思うが。

31: 2012/04/17(火) 00:25:02.45
為朝の夜討ちが成功していたら?

33: 2012/04/17(火) 19:37:42.58
>>31
「夜討ちの成功」とはこの場合、後白河天皇の身柄確保か信西の逮捕又は殺害だが、多分それができる程の兵力がなかったのだろう。
上皇方は天皇方の夜討ちで警戒していたにもかかわらず防戦できなかったことから寡兵なのがわかる。
だからこそ頼長は南都からの僧兵の到着をまっていた。

為朝は小戦闘では勝利するだろうが戦略的な勝利はおさめられないだろうと頼長は踏んで夜討ち拒絶したのだろうし、
その判断は妥当だと思う。

34: 2012/04/17(火) 20:37:21.43
確かにあれは後白河が「はめ」たのだろうね。清盛も忠正、家弘など
反清盛派を上皇と共に葬ったが、頼盛も一緒に葬れなかったのは
痛恨だっただろう。家盛が生きていれば、間違いなく頼盛ごと葬れた
だろうが、家盛が死んでいたので頼盛にも選択肢があった。

35: 2012/04/17(火) 21:20:47.39
平安時代は(織田信長のちょっと前までそうだけど)主力は知行地に置いてあるから、
首都で戦闘する場合は準備のいい方が勝つ。
そういう意味で上皇側は乱を起こすには準備悪すぎるし、天皇側は逆に良すぎる。

37: 2012/04/18(水) 00:33:18.20
あの異母弟にとりあえず勝ってるし
無能なわけがないと結構マジで思う

38: 2012/04/18(水) 07:15:04.01
つーか総合点では明らかに兄が上

41: 2012/04/21(土) 00:17:41.67
性格に問題があって~とか書いているのも慈円だが
よく言われる日本一の大学生、とか書いてるのも慈円じゃなかったか
親父と対立はしたが一応叔父だし
褒めれる所は褒めとくか、みたいな

42: 2012/04/22(日) 17:22:42.05
>>41
>コノ頼長ノ公。日本第一大学生。和漢ノ才ニトミテ。ハラアシク
>ヨロヅニキハドキ人ナリケルガ。

慈円は頼長を、和漢の才能こそあったが、腹黒く、やることすべてが危うい人であった
(とても摂関の器ではなかった)と大批判してるよ。
忠通は「カレ(頼長)君ノ御ウシロミニナリ候テハ天下ノ損ジ候ヌベシ」と主張、
とにかく頼長が父忠通と対立する摂関候補であったことが許せなかった様子。

43: 2012/04/22(日) 22:49:15.57
>>42
なるほどね

人物評はどこまで信じていいのか難しい

44: 2012/04/23(月) 06:50:03.57
対立した兄貴の子が書いた文書で悪口部分が全面的には信用できないという話は理解できるが
日本一の大学生、の部分だけを抜きとって利用されているのはどうなんだろう
よくわかんね

45: 2012/04/23(月) 09:48:06.62
批判される部分は両者の立場やら何やらあるから慎重に考えるが、
肯定してあるところはだいたいそのまま受け取られることが多くないか?
褒めてるのが対立したりする方ならなおさら

46: 2012/04/23(月) 11:29:10.84
慈円は頼長と、直接話したことはないだろう。
ならば、
「日本一の大学生」てのは、慈円による頼長の評価ではなく、
「なんとなく、皆がそう言ってた」という程度のこと。

47: 2012/04/23(月) 12:11:13.97
慈円自身が対立したわけではないしなー
なんだかんだで身内だし
まあ人物の肯定的評価はよっぽど大袈裟なものでない限り受け入れる派だけど

48: 2012/04/23(月) 21:29:04.26
異母兄や甥をディスった時の酷さに比べれば、頼長はまだ好意的に書いているぞ>慈円

52: 2012/04/24(火) 15:26:54.03
>>48
会ったこともない叔父藤原頼長のことより、慈円が実際に対立した異母兄たちのほうが
書く際に熱が入るのは当たり前。

49: 2012/04/24(火) 02:34:26.26
甥って誰よ。近衛基通?

50: 2012/04/24(火) 07:34:49.25
>>49
うん、近衛親子

51: 2012/04/24(火) 07:46:16.72
慈円が自分が12歳の時に死んだ異母兄(近衛基実)を「無能」呼ばわりするのは、良く考えてみればドン引きもの。

52: 2012/04/24(火) 15:26:54.03
>>51
慈円には多くの異母兄たちがいたが、共に育った同母兄九条兼実と特に親しく、常に九条家に出入り。
兼実の子九条良経は慈円の和歌の弟子であり、九条家は大いに慈円の活動を援助していた。
良経早世後、慈円は道家や立子といった良経の遺児たちの後見を積極的にみている。
何が言いたいのかというと、慈円は同母兄の系統九条家の身内同然だったということ。
九条家が嫡流であることを世に知らしめたく、異母兄たちを貶めた。
承久の乱の際にも、九条家を外戚とする仲恭天皇の即位により天下はめでたく泰平になろうとしているので
乱を起こすべきではないと後鳥羽院に相対する内容のことを愚管抄で書いているのは有名。

53: 2012/04/24(火) 21:32:48.10
>>51
じゃあ何百年も前の歴史上の人物をにわか知識で無能無能と散々にけなす一部の歴オタたちは・・・・・もっとすごいな

54: 2012/04/24(火) 22:11:21.71
>>53
(俺も含めて)当然だ。

55: 2012/04/24(火) 23:18:33.92
熱狂的かつ偏執的なな芸能人やスポーツ選手のオタよりやってることえげつないかもな歴オタw

56: 2012/04/24(火) 23:34:18.74
死人に口なし
弁明もできないし
一方的に叩いてなぜか優越感を味わえる
正直祟られても文句言えねえ

57: 2012/04/25(水) 14:45:24.84
よくわからないことがあるから教えて下さい。

平時の乱って25日に二条天皇が六波羅行幸した段階で既に勝負は決まっていたのに
大儀も無くし、戦力に乏しく、敗色濃厚を悟った身内の裏切りにもあい、
勝算が限りなく無いに等しい義朝があえて六波羅に突撃したのは何か理由があるのでしょうか?

あの段階で東国に落ち延びていればあんな無様な最期も迎えず
いつの日にか再起を期す日も来ただろうに・・・と思うのですが。

58: 2012/04/25(水) 17:03:56.82
>>57
平治物語では、義平が、
天皇は六波羅へ上皇は仁和寺に逃げたと報告するのに対して、
義朝は、
「とはいえ源氏のならいとして、心変りはもってのほかだ。」
と答えてる。臨機応変の対応ができない人だったのだろうか?(w

59: 2012/04/25(水) 17:12:17.73
>>58
軍記物は所詮物語だから。
義朝は保元の乱で一族のめぼしいところを斬られてしまった。
中央政界に源氏は自分しかいないんだから、落ちて再起は
無理だと踏んだと思う。

60: 2012/04/25(水) 18:13:04.79
>>57
あの時点ですでに東国までは逃げ切れないと思ったんじゃないかな。
逃げるなら最後に派手に戦ってからにしようと思ったとか。
やっぱり逃げ切れずにつかまり晒し首になったが。

61: 2012/04/25(水) 21:42:04.39
>>57
義朝は戦略判断が決して優れていたとはいえない。

63: 2012/04/26(木) 14:34:04.14
>>57
六波羅奇襲して天皇を奪い返そうとして失敗したのでは?
普通、そう考えると思うが。

64: 2012/04/26(木) 21:06:32.78
>>63
頼盛の立場は重盛と同じく、院近臣としての立場を重視するものだったから、
清盛と後白河の対立が無ければ、このまま平穏に行ったんじゃないの?

62: 2012/04/25(水) 23:23:25.15
義朝は保元で一族を失い過ぎたからね。保元で心ならず敵味方に分かれてしまった
からね。

一族の不平分子を悉く上皇方につくよう仕向け、にも関わらず頼盛の処分に失敗した
清盛とは逆の意味で対象的。

63: 2012/04/26(木) 14:34:04.14
>>62
そこまで清盛と頼盛とは仲悪くないだろう?
清盛死後に平家は池殿と小松家と宗家とに分裂するが、そこまでは清盛のあづかり知らぬこと。

81: 2012/05/03(木) 04:39:55.25
>>62
義朝と義賢は異母兄弟。
・父親の為義は「六条判官」とよばれ、義賢の母の六条の邸宅(里)を本拠地にしていた。
(義朝の母とは死別か?義朝と同腹の兄弟は居ない)
・義賢は義朝の庶長子、義平に討たれている。
・為義の子のうち、義朝に荷担したものはいない。
とすると、義朝は仕方なく、為義と対立したとは思えないのだが。
義朝が嫡子扱いだったのかも怪しい。

82: 2012/05/03(木) 14:46:45.61
>>81
勝てば官軍なんだろうね。
勝った奴の子孫が嫡流ってことになっちゃうのかな。

65: 2012/04/27(金) 08:01:43.70
清盛と頼盛って極めつけに仲が悪いよ。理由だが、清盛が側室の長男
なのに対し、家盛、頼盛は正室の弟だからね(このパターンで御家騒動
が起きるのは黄金パターン)。家盛は既に死んでいたから、清盛の敵対
勢力は頼盛、忠正、家弘だった。清盛はこの3者を結びつけ、上皇とともに
葬ろうとしたが、頼盛が載らなかったので、結局不平分子として残った。

ちなみに、池禅尼の嘆願で頼朝を助けることも、絶対にあり得ない。不仲
の義母の言うことなど、聞く必要など欠片もない。単に義朝が大した役割
ではなく、頼朝が死罪に値しなかったという理由だろう。

66: 2012/04/27(金) 11:31:47.31
>>65
頼朝の流罪を決定したのは、朝廷

助命するだけでなく、よりよって亡父の勢力圏の近くにさりげなく置いておく(w

69: 2012/04/27(金) 15:30:33.96
>>65
清盛は正室腹。
勿論、宗子(後室)の腹ではないが。
清盛の母かと思われる人物が清盛2歳の時に没しているが
「中右記」忠盛の「室」と書いてあって側室では無かった。
側室ならば妾と書く。

67: 2012/04/27(金) 14:23:23.00
確かに言える。何故よりによって東国に流した?

77: 2012/05/02(水) 11:01:39.65
>>67
伊豆は平時忠の知行国で、地勢的には国が小さくて海に囲まれた土地なので、そういう意味では監視しやすいと考えたのかも。
あと西国にはこの頃保元の乱の関係者が配流されていた(讃岐に崇徳院、土佐に藤原師長)のと、頼朝にとって叔父に当たる
源為朝が九州で合戦を繰り返してた過去があることを考慮したのかも。

78: 2012/05/02(水) 11:50:33.76
>>77
平時忠は監視者として信頼に足りる男だろうか?

頼朝は、義朝の嫡男であり、平治の乱にも実際に参戦していた。
決して、甘く扱うべき者ではなかったはずだ。

弟の希義が土佐なら、頼朝は佐渡とか隠岐あたりが適当ではなかっただろうか?
しかし、いずれにしても配流先を決めたのは、清盛じゃなくて朝廷でしょう。

68: 2012/04/27(金) 15:28:51.73
朝廷が何かの時に役立つと踏んであえて力を温存させてたとか?
義朝が何かの時にお役にたつので子孫の息の根をとめないでくれと朝廷に頼んだとか・・・
以仁王の令旨など最たるもの。
源氏が瀕死の状態だったのならば令旨出しても誰も来てくれない。

71: 2012/04/28(土) 23:06:38.41
むしろ陰気な貴一がいないほうがマシだろ
貴一の死ぬ貴一メインの回で視聴率11.3%だったわけで
初回はいつもいい大河が最初の回から視聴率が低かったのも貴一メインだったからだろ


72: 2012/04/28(土) 23:54:51.74
って言うか、保元の乱以前の時代って普通に関心が低いだろ?


73: 2012/04/29(日) 06:56:47.42
一般に前期院政と呼ばれる白河鳥羽院政だけど、
今回ドラマを見ただけでも、白河院と鳥羽院の
政治手腕の差が理解できた。政治手腕は圧倒的に
白河の方が上。個人的には前期院政で後白河か
後鳥羽を見てみたかった。

74: 2012/04/29(日) 15:40:05.51
ドラマは平家一族の団欒が糞つまらない
辛気臭いし。忠盛も宗子も暗い。

75: 2012/05/01(火) 17:58:17.52
為朝がどのように描かれるか楽しみ。義賢の頼長のホモ相手ってのが出てこんかった。

76: 2012/05/01(火) 22:39:59.13
藤原信頼の後白河のホモ相手ってのが出てくるかどうかが楽しみ。

79: 2012/05/02(水) 14:14:33.46
監視し易いにしては北条の娘に伊東の娘と好き放題してるじゃね。

80: 2012/05/02(水) 14:29:07.47
頼朝配流の地が「蛭ヶ小島」という名前だったから、
絶海の孤島+蛭の這う地のように見えて、清盛も油断したのだと思う。
実際は川の中州の地に過ぎなかったらしい。

83: 2012/05/03(木) 14:53:19.63
為義が棟梁だったのかどうか自体疑われている。幕府を開いた頼朝が嫡流である事になるように、
遡って棟梁だった事にされていると。

『源義親の四男として生まれる。 『尊卑分脈』の為義傍注によれば、父の義親が西国で乱行を起こしたため、
祖父・源義家は四男・義忠を継嗣に定めると同時に、孫の為義を次代の嫡子にするよう命じたという。』
何故義忠の実子が継嗣じゃないのか?変な話である。

84: 2012/05/03(木) 16:53:39.83
>>83
>孫の為義を次代の嫡子にするよう命じたという。

義家は、為義を引きとって育てていたらしい。溺愛で目がくらんでいたのでは?

また、義忠が暗殺されたとき、嫡男の経国がまだ幼かったからだとも考えられる。

85: 2012/05/03(木) 17:21:32.50
>>84
wikipediaによると義家が死んだのは1106年で義忠は1109年。
そもそも義忠を暗殺したのは義家の弟の義光で、義家亡き後の実権を握るのが目的だ。
尊卑分脈の記事を信じるならば義家が為義を継嗣と定めたのは義忠の暗殺より前で
経国の立場を考えない不自然な行為。
義忠暗殺の時点で経国が幼少故に為義が実力で奪ったならあり得る。

86: 2012/05/03(木) 20:22:03.01
為義の「為」って誰からもらったの?
偉い人?

87: 2012/05/03(木) 22:54:39.32
それも不思議。兄弟は義信、義俊、義泰、為義、義行、宗清で為義と宗清だけ仲間外れ。保元の乱/
平治の乱も他の兄弟は為義と行動を共にしていない。
『角田文衛は、義信(長男)・義俊(次男)・義泰(三男)・義行(五男)がそれぞれ対馬太郎・対馬次郎・
対馬三郎・対馬四郎の呼び名を持つことから、この4人が正室所生の同母兄弟で、為義は庶子だった
のではないかと推測している』という話も有る。

88: 2012/05/03(木) 23:39:52.49
子供の頃は義光って官位を投げうって義家の元に駆けつけたり
笙の秘曲の話なんかのイメージだったけど
ネットで調べてビックリした。
まあ源氏は腕力で平家は財力で一族を束ねたって事やね。

90: 2012/05/04(金) 01:15:56.75
>>88
義光が後三年の役で義家のもとに駆けつけたのは、兄に恩賞が集中するのを嫌って、我も我もと駆けつけたとしか思えない。
史料によれば、義家生存中も、三兄弟は(特に義家と義綱)、家人同士の争いから、京中で合戦になりそうになるほど仲が悪かった。

義綱が義忠暗殺の首謀者と見られた下地は、それ以前からあったようだし。

89: 2012/05/04(金) 01:08:32.80
源義忠が源義光から暗殺されたのは、財産家の伊勢平氏の正盛の婿になって、頼義流の源氏のなかで、抜きん出るのを阻止するためだろう。
で、義光の弟の義綱一族は、特に朝廷での失点もせず、受領、警護役で栄達しており義光には邪魔だった。だから濡れ衣着せて為義に捕縛、処罰させて漁夫の利を得ようとしたのかなと想像。

92: 2012/05/07(月) 00:24:03.47
1084年 義忠生まれる(母は藤原有綱女)
1091年 義国生まれる(母は藤原有綱女)
1096年 為義生まれる(母は藤原有綱女?)
1102年 義親配流される
1106年 義家没す
1108年 義親討たれる(子に対馬太郎義信・対馬次郎義俊・対馬三郎義泰・陸奥四郎為義・宗清・対馬四郎義行)
1109年 義忠討たれる(子に河内源太経国・義高・飯富源太忠宗・義清・義雄)
1109年 義明ら為義に討たれる
1114年 為義・義国が相論

95: 2012/05/07(月) 01:43:16.21
>>92
その3人が同じ母親ってことは、
義親、まさか父親の女に手を出して、為義を種付けしたのか?www

>1114年 為義・義国が相論
何を論じ合ったのかな?

96: 2012/05/08(火) 00:24:06.50
>>95
上野で国司に濫妨を訴えられた家綱という武士について
為義・義国双方が自分の郎党じゃないと責任逃れした

頼朝って義朝の嫡男なの?
義朝って為義の嫡男なの?
為義って義親の男子なの?
義国って義家の三男なの?っていう

93: 2012/05/07(月) 00:39:35.18
26歳で没した義忠は右兵衛権佐で前?河内守ということになるが
遅くとも22,3で受領に任ぜられているというのは中々だよねえ
また、同母の義国の極官が加賀介だと、義忠・義国の兄弟順は尊卑分脈の没年齢で正しそうだ

94: 2012/05/07(月) 01:42:39.59
対馬四郎義行が義親の四男だと思うのだけど
為義はちょっと違和感ある

97: 2012/05/08(火) 15:13:28.58
この間の為朝は個人的には好感が持てた。
短い期間だけど楽しみにしている。
義平も同じく。
二人とも保元平治の主人公なのに今までみたいに
ちょい役じゃあ寂しい
短い間だけど楽しみにしている。

98: 2012/05/08(火) 19:17:33.28
さすがに主人公じゃないと思う

99: 2012/05/08(火) 22:26:38.14
スターではあるけど、話を動かす役ではないな

100: 2012/05/08(火) 22:54:07.10
ただの鉄砲玉かと

101: 2012/05/09(水) 11:48:37.48
97です書き方が悪かったです。二人とも脳筋ですから
ただ合戦では目立ってましたから格好よく演出して欲しい

102: 2012/05/09(水) 13:23:07.71
>>101
その二人は、15~18歳くらいの若さで活躍し、
花が散るように滅亡していったことが、人気の秘訣だと思う。

ドラマでは、無名でもいいフレッシュな若手の起用を期待していたが、45歳と聞いてがっくりしている。

103: 2012/05/09(水) 14:28:08.01
>>102
源為朝は保元の乱後も生き残っているがな

104: 2012/05/09(水) 14:47:17.76
>>103
他は斬首なのに一番危ないのが島流しってのもどうなのか。

105: 2012/05/09(水) 15:17:21.30
>>104
あの時代は10代って殺されてないな
元服も済み合戦に出て行ってるというのに
今でいう「少年法」みたいなもので守られてたのか?

106: 2012/05/09(水) 16:45:43.13
>>105
一の谷では10代がガンガン死ぬのが見どころというか泣かせどころになってるじゃないか

108: 2012/05/09(水) 16:50:25.08
>>106
戦闘中に殺すのは正当防衛だろ。
六代が斬られたあたりから武家の男子は幼くても
助命されないようになったが。

109: 2012/05/09(水) 17:00:35.45
>>108
全ては九郎義経のせいです。あいつさえ大人しくしていれば、
後の世の結城の遺児も助かったはず。

110: 2012/05/09(水) 17:31:53.04
>>104
為朝は戦闘にも参加し、大勢殺傷しているのに、島流し

為義の末子4兄弟、鶴若、亀若らは10歳になるかならずで、戦闘にも参加してないのに死罪

保元の戦後処理は不条理が目立つ

111: 2012/05/09(水) 17:39:40.83
>>110
義朝が自分が嫡子になるために兄弟甥たちを残らず処分しようとしたが
為朝だけは評判が高かったために院が許さなかったんだろ
源氏内部の闘争に近い

112: 2012/05/09(水) 21:01:36.72
>>111
それはぜんぜん違う。
為義は、保元の戦いの前に、義朝を嫡男に戻し、源家重代の鎧や太刀を送っている。
義朝は、実際に父や弟たちの助命嘆願に奔走したと記録にも残ってる。
天皇家、摂関家は兄弟間の権力争奪の争いだったが、
源氏は、たまたま双方の陣営の主と主従関係を結んでいて、浮世のしがらみで分かれて戦っただけ。

114: 2012/05/10(木) 14:36:31.36
>>112
保元物語は平清盛悪、源義朝善で書かれてるからなあ。
身内をさっさと殺して為義も斬ってしまおうとする清盛に対して、
たとえ敵とはいえ父弟を助けようとする義朝。
平家悪の精神は平家物語にも受け継がれているが。

一次史料では確認できない。

116: 2012/05/12(土) 08:07:43.34
>>114
平氏の場合は清盛が保元の乱で最初から不平分子(池禅尼、頼盛、忠正、
家弘)を除く気でいた。清盛が後白河方についたのも、不仲な池禅尼が重仁
親王の乳母で、頼盛が上皇方につかざるを得ない点まで計算してのこと。
ところが池禅尼が上皇方の敗北を予想し、その意向で頼盛が後白河方に
つくというあり得ないサプライズをやらかし、頼盛を除く機会をフイにした。

義朝は敵味方こそ分かれたが、清盛のように、明確に池禅尼、頼盛、忠正、
家弘の系譜を根絶やしにしようとした意思はなかった。

120: 2012/05/12(土) 17:25:33.44
>>116 >>117
だから、それが一次史料で確認できないんだよ。
清盛が池禅尼と異母弟たちを排除しようとしていたのならば、
なぜ平氏全盛期池禅尼を清盛たちが住む六波羅の平氏政権中心部に住まわせて影響力を温存し、
池禅尼の意見で頼朝助命までする?
それこそ政権を取った暁には異母弟たちを流罪にして池禅尼を洛中追放することも可能だったのに。
保元物語は平家を悪にするために家族を切り殺す残酷な清盛、
家族重いな義朝を際立たせて描いたと思っている。
実際に内部抗争が酷かったのは源氏。

121: 2012/05/12(土) 17:33:50.63
>>116
池禅尼は重仁親王の乳母だから頼盛は崇徳側につくというのも違うだろう。
そもそも、池禅尼は藤原家成のいとこ。
家成は美福門院のいとこでその側近として活躍していたため、
池禅尼も鳥羽院亡き後の政に深くかかわった美福門院と意思疎通をすることは可能であった。
美福門院が推していたのは後白河の皇子である後の二条天皇だったのだから。
ちなみに平清盛・時子もまた二条天皇の乳父・乳母であったにもかかわらず必ずしも二条天皇に味方してない。
ちなみに家盛は保元の乱の前に死んでいる。

104: 2012/05/09(水) 14:47:17.76
>>102
迫力は感じたけど10代か、せめて二十歳前後くらいにして欲しかった。

107: 2012/05/09(水) 16:50:07.55
為朝の弟の為仲は殺されてるね当時15歳かな

113: 2012/05/10(木) 01:42:35.52
源氏の内紛は事実だろうが、
皇室や摂関家まで巻き込んだ戦いでしかも穢を気にする京都市中の戦いだけに、武士の処分も流罪くらいまでだと思っていたんじゃないか?>義朝

115: 2012/05/12(土) 00:23:42.64
『吾妻鏡』は朝長の母を波多野義経叔母としているけど
『尊卑分脈』が朝長の外祖父としている修理大夫範兼、又は大膳大夫則兼って誰?

117: 2012/05/12(土) 08:12:05.50
清盛と義朝は、弟たちに気を使っていたかどうかも違う。清盛は池禅尼、
家盛、頼盛を孤立させるために、他の弟に気を使って、弟たちは全部計算
通り後白河方についた。頼盛まで後白河方についたのは計算外だったが。

義朝は、弟に気を使わなかったので、全部敵方にしてしまったのも興味深い。

118: 2012/05/12(土) 08:43:25.76
>>117
義朝は正直言ってあんまり頭が良くなかったんだと思う
平治の乱まで一貫して後手後手で軍事的優位を全部ふいにした。
失敗したとはいえ戦略的には為義の方がまだ上だった。

119: 2012/05/12(土) 11:32:21.23
>>118
義朝は、坂東武士団を服属させるだけでなく、
足利、新田、佐竹などの独立系源氏と同盟を結び自己の傘下に入れている。
その手腕はなかなかのものだと思う。
たしかに、平治の乱では、信頼との繋がりを最後まで断ち切ることが出来なかった点に弱みが露呈している。

けど、軍事的優位は常に清盛が握っていたと思うが?
それと、為義が戦略的に優れてるって、どんな点が?

122: 2012/05/12(土) 18:36:37.27
>>119
戦略云々って言うのは、対中央政治に関する話なのだが。
保元の乱では最大の目的だった崇徳院と藤原頼長の捕縛に結局絡めなかったためにマイナス評価。

123: 2012/05/13(日) 10:53:02.12
>>122
為義の対中央政治に関する戦略って、
藤原摂関家の犬として、
盗賊の真似事をすることですか?(www

128: 2012/05/14(月) 00:37:59.20
>>119
義朝と佐竹って相馬御厨をめぐって対立していない?

124: 2012/05/13(日) 21:33:24.79
40年近く前の(新平家)に比べると役者が随分落ちるし配役がおかしい。
ただ時代が変わったのか
教科書みたいじゃなくなって自分としては好感が持てる。
義経絡みじゃないと視聴率は上がらんでしょうね。
個人的には為朝をやって欲しいなぁ~

126: 2012/05/13(日) 22:49:08.87
>>124
全体的にもっとベテランの役者を使ってたよな。

132: 2012/05/15(火) 07:07:13.96
>>124
新平家は主役が40代
ゴッドファーザー的な仕上がりになっている
今回のは清盛の若いころに焦点を当てると言って主役は20代
しかし20代の清盛は特別な功績がないために
王家のごたごたばかりに時間を割いた
保元の乱時点で清盛は39歳だからな

125: 2012/05/13(日) 21:38:19.36
為朝といえば、先週の兜姿がなんだかローマ帝国の兵士みたいな感じだったなw

為朝百人長って感じだった^^;

127: 2012/05/13(日) 22:54:54.50
為朝に比べたら義平の配役は未だ納得出来たような気がする。
為朝の兜、あれは無いなぁ。

129: 2012/05/14(月) 20:45:59.15
義朝と清盛、役者入れ替えれば良さそうな感じがしてきました。
個人的には以前の新平家に比べて内容も良いと思う。
義平や為朝もわりと長く出そうだし。

130: 2012/05/14(月) 21:23:17.39
為朝はテポドン

131: 2012/05/14(月) 21:56:45.21
清盛はルーピー
重森は管チョクト
胸森は泥鰌

133: 2012/05/15(火) 12:35:33.81
王家って言い方減ったね。

134: 2012/05/15(火) 22:03:34.13
後白河の即位の式典で崇徳が「あなにくし」の和歌を贈ったというのは史実なの?

135: 2012/05/15(火) 23:21:54.67
>>134
史実じゃない
和歌も含めて脚本家の捏造

136: 2012/05/15(火) 23:30:09.29
だが、よく出来てた。

137: 2012/05/15(火) 23:34:37.46
イロハ歌と同じやね。

138: 2012/05/16(水) 01:57:47.44
平家を描くなら絶頂期~壇ノ浦までに焦点を当てれば
華やかさも泣き所も出せるんだが、大河として主役にできる人物がなかなかいないんだよな
時子なら高齢の女性になるし
宗盛はさすがにイメージが悪すぎるし
徳子は何もしないし

141: 2012/05/16(水) 07:40:36.14
>>138
「義経」をやったときは松坂慶子が時子で壇ノ浦まで
結構長いことやってたな。
20代の松ケンが清盛64歳までやるんだから
別に時子役は高齢じゃなくてもいいんじゃないか。
壇ノ浦時点で時子は60歳。

139: 2012/05/16(水) 02:08:52.60
あのいろは唄は創作のなかでもよく出来ていたと珍しく感心した。
あの手の創作って兼続の時だかもそうだったけど大概非常に萎える。
けど専用スレあるからスレタイの話題に繋がらないような
大河の話題は今期の大河専用スレでやろうな

140: 2012/05/16(水) 02:30:00.35
吉田兼好かなんかでこんなのもあった

上5文字 よねたもれ
下5文字 ぜにもほし


返歌
上5文字 よねはなし
下5文字 ぜにすこし

142: 2012/05/16(水) 08:48:09.32
清盛の子、甥、孫世代は結構一人一人面白いんだが
義経の人気に対抗できるような特に一人こいつ!ってのがいない
重盛が長生きしていたら、維盛に根性があったら、
知盛が戦乱期以前からもっと目立てていたら、重衡が一の谷でとっ捕まらなければ…
色々惜しい人ばかり

143: 2012/05/16(水) 08:56:10.18
重盛の存命中から嫡子は宗盛だったし
重盛ってもう転落してただろ

155: 2012/05/17(木) 01:45:02.40
>>143
実質はね
だが、清盛も小松系を完全に切り捨てる腹積もりは出来ていなかったんじゃないかな。多分、死ぬまで。

156: 2012/05/17(木) 08:35:58.69
>>155
清盛が生きている間は子に違いはない重盛を完全に見捨てるつもりはなかっただろうが
あのまま安徳天皇の治世が続いて居ればどのみち小松系失脚は仕方なかったんじゃね?
建礼門院平徳子は従二位平時子の娘で同母兄弟が勢いを増してくるし
たとえ鹿ケ谷の陰謀で義兄をかばって重盛失脚ということがなくても

144: 2012/05/16(水) 09:11:08.75
壇ノ浦での宗盛がもう少し格好良ければ
他の様々な残念エピソードはごまかせても最期が駄目だと主役には難しい
周囲が潔すぎるのもあるが

145: 2012/05/16(水) 09:41:32.79
壇ノ浦での宗盛、むっちゃかっこよかったやん。
水を得たかのごとくにスイスイ泳ぎまくって天下無双の河童ぶり。
流石は平氏の武士。

146: 2012/05/16(水) 10:09:15.50
割と本気で不思議なんだけど、宗盛はいつ水練を習得したんだ
創作かと思えば愚管抄にも書いてあるし
鎧のまま着衣泳ってかなりのレベルだろ

147: 2012/05/16(水) 10:25:28.48
へー、そうなんだ。意外な特技だな。

148: 2012/05/16(水) 11:05:08.23
生け捕ったやつが捏造して吹聴してまわったんじゃない?
おぼれてるやつ捕まえるより、泳ぎまわってるやつ捕まえた方が
格好いいし

149: 2012/05/16(水) 11:50:37.06
源氏といえば馬
平家といえば船
船といえば子供の頃から水練は必須だろうjk

150: 2012/05/16(水) 12:27:01.78
>>149
それシナの「南船北馬」のパクリな。
基本京都住まいの平家の連中がそんな船乗るわけないだろjk

151: 2012/05/16(水) 12:52:17.03
船遊びのお船しか乗ったことがない方々だったでしょうな

そんな平家坊ちゃんの中で唯一強かったという能登殿無双も創作だし
後に平家物語中でそういう役割を与えられるような何かが実際にあったのかもしれないけど
ただ壇ノ浦まで生きてて都合の良いポジションがこの人だけだったとしか思えない

152: 2012/05/16(水) 13:16:07.71
清盛は10年間も安芸国司を勤めて
栄華を極めた後も何度も一門引き連れて厳島神社参拝してるんだから
瀬戸内海を渡る船には乗ったことあるだろ

153: 2012/05/16(水) 13:23:29.18
しかし宗盛がせっせと泳ぎの練習してる姿は想像できない
他の一門も指揮官としての訓練や実践で使える武芸はちゃんと磨いてたんだろうか

154: 2012/05/16(水) 14:20:32.43
皆よく宗盛に付いていったね。
分裂しなかったし暗殺って事もなかったし
ただ人に取り入るのは上手かったみたいだけど。
知盛が一門を率いていたら?

157: 2012/05/17(木) 09:11:32.53
重盛がアホみたいに成親を庇いまくったのは
もう嫡流が時子腹の宗盛の方に移って来てることを察して
妻の一族の方に寄ろうと考えていたってことでいいの?

162: 2012/05/17(木) 20:13:01.80
>>157
成親は重盛の描く次の平氏政権像では重要な役割を果たす筈だったんだろう。

164: 2012/05/18(金) 08:14:09.41
>>162
鹿ケ谷があってもなくても重盛は次の平家棟梁になれたかどうか怪しいぞ?
重盛の正室は成親の妹だが、重盛が跡取りとしていた維盛はこの正室の子ではないなど
矛盾も多い。

168: 2012/05/19(土) 01:11:45.90
>>164
当初は清経(重盛と成親妹の子)が嫡子扱いだったようだけどね。
小松家の場合、家全体で見ると確実に平家一門の主流から外れて行ってるけど、
その中でも嫡子の地位は維盛、資盛、清経の間で移り変わっていたみたいだな。
小松家の場合は成親と近い以上に後白河院とのつながりが深いので、清盛と院が
対立する以上は、どっちにせよ苦しい立場に追い込まれるのは間違いないけれど。

そういえば、とかく成親と重盛の近さがクローズアップされるけど、冷泉隆季・隆房や
花山院忠雅・兼雅などと重盛の関係はどうだったんだろう。

165: 2012/05/18(金) 08:43:51.03
>>162
反平氏の成親が平氏政権に加わる可能性はなかったと思うが。
それでも重盛が説得すれば平家打倒の志を捨てて、平家を主君として仕えるとでも?
むしろ、157が言うように重盛が藤原氏化していた(成親の一族のようにふるまっていた)
可能性のほうが高いと思うが。

158: 2012/05/17(木) 10:48:13.77
宗盛に比べれば重盛の方が優秀じゃあないですか?
清盛も一目置いていた感じがするけど

159: 2012/05/17(木) 10:53:39.28
>>158
嫡庶と個人の能力は関係がない
宗盛は平家滅亡時の平家棟梁だったから叩かれまくってるけど
清盛存命中は目立った失策もなかったんでは?
重盛のことは鹿ケ谷のあたりからは清盛も持て余していた

160: 2012/05/17(木) 11:05:40.27
たしかに、名前は宗盛のほうが嫡子っぽいと思う。

161: 2012/05/17(木) 19:29:11.06
源氏だったらどうなっていた?
跡目争いで義平が大暴れ。

163: 2012/05/17(木) 23:18:54.70
吉屋信子の「女人平家」では宗盛は優れた人物として描かれ、重盛は悪辣な人物として描かれている。
当時、宗盛のほうを高く評価する見方はあったのだろうか?

また、平家が窮地に立つことなく、平穏に権力を維持することができていたなら、
宗盛は公卿として高い評価を得て天寿をまっとうしたのだろうか。

168: 2012/05/19(土) 01:11:45.90
>>163
九条兼実いわく「天性大食の人」だそうだけど、平家物語以外でも
宗盛の評価や逸話は、家族関係の話を除けばろくなものがない感がある。
当時の人たちの評価も高いということはないだろうなあ。
武家の棟梁のくせに馬にもまともに乗れないというのはあんまりだよなあ。

166: 2012/05/18(金) 08:55:49.26
成経を教盛の娘婿にしたのは成親としては何の目的だったんだろう
重盛が失脚した時の保険?

167: 2012/05/18(金) 15:04:34.43
建春門院死亡までは後白河と清盛の仲は順調だったので、
むしろ成親のほうでも平氏政権との癒着を望んでいたのだろう
建春門院死の翌年が鹿ヶ谷なので、ここで成親は平氏ではなく後白河を取った
重盛室が自分の甥の結婚を支援したことも考えられる
維盛の正室も成親の娘だ

169: 2012/05/19(土) 14:10:20.71
清経って地味だよな…
なぜか能やら小説にはなってるけど

172: 2012/05/22(火) 12:25:10.31
>>169
殿下乗合事件の時点では重盛の嫡子は次男の資盛(「玉葉」)、
その後長男の維盛が資盛の官位を追い抜いて嫡子になったようだが
清経が嫡男だった時期ってあったっけ?

184: 2012/05/24(木) 21:05:17.73
>>172
鹿ケ谷事件までは清経のほうが昇進速度が維盛や資盛に比べても
早く、禁色を許されたのも維盛よりも早かったそうな。

185: 2012/05/25(金) 08:14:31.93
>>184
1173年 惟盛、従四位下
1174年 清経、正五位下
(1177年 鹿ヶ谷の陰謀)
1178年 清経、従四位下
同年  惟盛、正四位上・禁色許される・東宮権亮
1179年 清経、禁色を許される
1181年 惟盛、従三位・右中将
(1183年 平家都落ちにより解官)

惟盛と清経を比べたものだが、清経が惟盛の官位を追い抜いたことは一度もなく
禁色も惟盛が先に許されている。
清経が禁色を許されたのは鹿ヶ谷の後。

189: 2012/05/28(月) 01:27:00.02
>>185
年齢に対する昇進の速度という意味だな。

193: 2012/05/29(火) 08:45:35.83
>>189
父親の清盛が出世しているのだから下の子ほど同じ年齢での出世が速いのは仕方がない。
嫡男ならば、庶兄を超えて出世するのに、清経にはそれが見られない。

194: 2012/05/29(火) 08:48:17.36
>>189
資盛は「玉葉」に嫡男とある通り、兄の維盛を超えて出世していた。
(途中で維盛が嫡男に変わったとみられ、資盛を追い抜いている)
しかし、清経は一度も兄の官位を追い抜いていないのが問題。

170: 2012/05/22(火) 00:22:18.97
『尊卑分脈』が朝長の母を範兼女としているのは吉見氏か高倉家周辺の系図にそうあったってことだよね?

171: 2012/05/22(火) 12:19:54.75
為義が髭切りを持っていたって事は
河内源氏の棟梁って認められていたって事ですか?

173: 2012/05/22(火) 12:57:06.36
>>171
義忠暗殺事件のあと、
為義は義家の六条の屋敷と河内の領土を相続してる。
兄の義信は、為義より官位は上だけど、貴族化していく。
為義が家督を継ぐのに不満を持つものは大勢いたけど、
棟梁として努力してたのは為義だけ。

175: 2012/05/22(火) 17:56:20.94
為朝参陣で意気あがる
為義陣営ですが
当時からそんなに武名を
はせていたんですね。

176: 2012/05/22(火) 17:57:33.71
義朝陣営には名のある
武将はいなかったのでしょうか?

182: 2012/05/22(火) 23:04:00.72
>>176
坂東の名のある武士が義朝陣営にくわわっているんじゃないの。

183: 2012/05/24(木) 01:58:05.67
>>182
鎌倉党の大庭景義が参加してて、為朝に片脚を矢撃たれて後遺症が残るケガを負ってる。
後遺症のせいで、合戦の最前線に立てなくなった大庭景義は、のちに弟の大庭景親に家督を取られてる。

177: 2012/05/22(火) 18:10:14.85
鎮西八郎の名の通り九州で大暴れして悪名を轟かせていました。

178: 2012/05/22(火) 18:13:46.43
義親と為朝どっちが悪いの?
頼長と義平どっちが悪いの?

180: 2012/05/22(火) 19:16:12.75
>>178
>義親と為朝どっちが悪いの?
wikipediaによると為朝は九州を平らげたそうだから為朝の勝ちかな。

>頼長と義平どっちが悪いの?
義平は関東で暴れて叔父さん殺しただけだけど頼長は京の公卿たちを震え上がらせたから頼長かな。

179: 2012/05/22(火) 18:38:28.91
信西入道はすばらしい

181: 2012/05/22(火) 22:44:45.15
掘り掘られまくった頼長様♥
そりゃ、公卿たちも穴(ケツ)を押さえて震撼したに違いない

186: 2012/05/25(金) 08:18:28.61
惟盛→維盛
変換が上手く行かなかった

187: 2012/05/26(土) 12:24:35.00
清盛勢三百騎、義朝勢2百騎、足利勢百騎と言ってもこれは騎馬武者だけで、
徒歩武者、雑兵、それに騎馬武者の従者は入っていないよね。

190: 2012/05/28(月) 01:43:06.16
義朝と為朝の勝負が見たかった。

196: 2012/05/30(水) 00:37:06.71
 明治以来中国の属国だった朝鮮を独立させて(日清戦争)やり、大国ロシア
からの侵略をタダで守ってやり(日露戦争)、日本の国家予算の40パーセントも
使って鉄道、港湾、発電所などのインフラ整備を行い、近代的教育制度を教え
お金をあげて近代産業を興し、技術を無償移転(普通なら有償)してなんとか
近代国家に生まれ変わって豊かに暮らせることができるようになったことが
朝鮮人にはもっとも有難くないことだったらしい、明治以前のようにヤンバン
が威張り、草を乗っけた小屋のなかでトンスル(人糞酒)を味わい、ホンタク
(エイの人糞漬け)の香りにうっとりと酔う、さめればボシンタン(犬肉の煮込み)
をたべて身体を温める、この朝鮮古来の麗しき風俗と習慣からわかれ、米をたき
肉、魚、野菜を十分に食べるという悪習をつけたのはチョッパリのせいだ。
と朝鮮人は怒っているのだ。

197: 2012/05/31(木) 11:26:16.08
>>196
日本は韓国に技術供与する決まりになっている。半導体なんかがそうだな。

198: 2012/06/01(金) 23:34:52.16
>>196
まあ、威張り腐ってた連中からしたら頭にくるだろうな

199: 2012/06/03(日) 23:42:11.25
この時代の合戦って本当に名乗りあって一騎打ちしてたの?
これより100年前の後三年の役は普通に集団戦やってたし
逆に100年後の元寇も近年では一騎打ちやってたという説は否定されてるけど。

200: 2012/06/04(月) 00:01:37.16
>>199
一騎討ち「も」やった、ではないかと。
矢合わせと呼ばれる行為は、単なる開戦儀式じゃなく射撃戦だろうし
当然集団での撃ち合いに一騎討ちもへったくれもない。
で、互いの矢を突破した者同士は時に乱戦し、たまには一騎討ちになるってとこじゃないかと。