1: 2012/01/14(土) 11:47:02.34
これが真実!

by太木カズコ

引用元: ・光秀は信長よりも遥に優れた武将

2: 2012/01/14(土) 14:49:39.38
光秀や幕末の公武合体派のような中途半端な連中は必ず潰される。

3: 2012/01/14(土) 14:57:57.01
光秀の死に様って、完全に捏造だと思うんだよね

逃げる最中、竹やぶの中で農民に殺され、首は放置された

なんてことは、普通に考えて戦国武将としてあり得ない

また、その後天下を取った秀吉が、いきなり猛スピードで
戻ってきて主君の仇を討った、、、とか言いながら結局
その後自分が信長派の人間を殺してしまった

総合して考えると、信長を殺したのも秀吉であり、
光秀を殺したのも秀吉であり、
そもそも、秀吉は猛スピードで京に戻ってきたのでなく
行ったことにして、実は京の近くに潜んでいて、
信長殺害がうまくいくかどうかの結果を待っていただけ

5: 2012/01/15(日) 12:03:28.23
信長に嫌われてたって俗説は本当なのかな
後づけって事は考えられない?

領民にとっては名君、朝廷の覚えもいい、細々した事に気配りが利いたみたいだし
急に主君を裏切ったりする人物とは思えないんだよね…
絶対光秀を唆した黒幕がいるはず

8: 2012/01/15(日) 19:00:21.29
>>5
> 領民にとっては名君、朝廷の覚えもいい、細々した事に気配りが利いたみたいだし
> 急に主君を裏切ったりする人物とは思えないんだよね…
> 絶対光秀を唆した黒幕がいるはず

おそらく、光秀は裏切っていない
秀吉が信長を暗殺し、信長暗殺の報を聞いてかけつけた光秀を
秀吉がまたも暗殺した
そして、すべて光秀が悪いかのように話をでっち上げ、天下を取った

こう考えるほうが、しっくりくるよ

38: 2012/01/26(木) 18:44:26.52
>>8
光秀の「信長やったったwww」って書簡が残ってるんだが

10: 2012/01/15(日) 22:34:40.01
>>5
浪人の身から拾い上げて大名・軍団長にまでしてるんだから嫌われてたってことはないんじゃね?
その器量も含めてむしろ気に入ってたとしか。

24: 2012/01/17(火) 11:21:55.39
>>5
信長殺しを明智光秀一人でやったとでも思ってるわけ?
実際に本能寺を襲撃したのは重臣の明智秀満・斉藤利三。
彼らが信長殺しを「絶対反対!」と主張したら本能寺の変は
起こらないんだが。
光秀だけでなく、重臣たちをどう説得したのか説明してくれ。

6: 2012/01/15(日) 16:51:15.84
信長を称えるほうが後付けの評価なんだけどな

13: 2012/01/16(月) 01:40:13.42
>>6
そんなもんだろうかね。

「歴史とロマン」派は本当に同時代的な視点を持ってないから。

7: 2012/01/15(日) 18:27:22.74
年齢的な焦りがあったんだろ
死んだら息子の年齢的に左遷される可能性大だし

9: 2012/01/15(日) 19:07:04.28
また、徳川家康だけど 家康=イエヤス=イエス

また、三代将軍家光なんだけど
「家」康と「光」秀から名前を取っているんではないか?という説がある

家光の育ての乳母というより、実の母である春日局は光秀と血縁関係があり、
そして春日局は家康と密会していたとされる

18: 2012/01/16(月) 11:17:23.19
>>9
江がようやく男子(家光)を産んだことを喜ぶ姉淀殿の消息が残っているから
春日局実母説は弱いだろう。
また、徳川家光は将軍就任後、故浅井長政に従二位中納言を贈位している。
いうまでもなく長政が江の父で、家光の外祖父に当たるからに他ならない。

22: 2012/01/16(月) 22:26:13.11
そもそも>>9は光秀と斉藤利三の区別が付いてるのか?

11: 2012/01/15(日) 22:42:39.21
信長は利用されただけなのさ

12: 2012/01/16(月) 00:49:36.86
武将としてはそうかもしれない。

ただ、信長の評価にもかかわるが、信長の治績は武将とは違う才能な気がしないでもない。
どこまでを信長の治績とするかという問題はあるが。捏造もあるだろうし

14: 2012/01/16(月) 01:43:08.55
まず信長が歴史上の偉人の一人って先入観があるから、明智が
信長を討つ気になった動機が謎になる。

15: 2012/01/16(月) 01:48:03.76
金ヶ崎で秀吉・家康・光秀の3人で「信長討伐」計画が立案され
山崎で討たれたと見せかけて(3人の計画通り)
天海として生き延びた光秀

17: 2012/01/16(月) 09:44:33.20
>>15
> 金ヶ崎で秀吉・家康・光秀の3人で「信長討伐」計画が立案され
> 山崎で討たれたと見せかけて(3人の計画通り)
> 天海として生き延びた光秀

その案だと、秀吉と家康のどっちが天下を取るのか、そして
光秀がなぜ天海にならねばならないのか?ってのところが弱いと思う

やっぱ、一度秀吉が天下を取った、ってことは、それだけ
汚いことをした、ってことだと思うので、
1)信長を秀吉が殺害し、光秀も殺害された
2)信長を秀吉が殺害し、光秀は殺害されたふりをして、家康の元へと逃亡した
のどっちかだと思うな。

39: 2012/01/26(木) 18:49:48.63
>>15
金ヶ崎ってことは1570年だから本能寺の10年以上前。

まだ浅井朝倉三好武田上杉本願寺延暦寺といった緒勢力が健在な時点で信長を殺すメリットはなんなのさ。

16: 2012/01/16(月) 01:53:53.71
武将としては天才的だったかも知れないが、天下統一は武勇だけで
できることじゃない。

19: 2012/01/16(月) 13:45:04.81
光秀は朝廷に踊らされて使い捨てにされたんじゃねえの?

20: 2012/01/16(月) 13:49:22.50
勝手に踊っただけかも知らんけど。
本能寺は京に攻め上る途中だろ。

21: 2012/01/16(月) 16:33:35.67
信長への忠誠心があるなら踊らされるこたあねえよ

23: 2012/01/17(火) 03:12:44.73
戦国時代ってのは黒船時代だからな。アングロサクソンがまだ
西海岸にたどり着いてなかったから、締め出しが出来ただけで。

26: 2012/01/17(火) 13:23:57.61
明智がいなかったら日本人はカトリックに改宗して五百年だったかも
知らんぞ。

皇族なんて遠の昔に滅ぼされてw

27: 2012/01/17(火) 13:32:07.47
>>26
明智の娘ガラシャはカトリックじゃん
むしろ明智のほうがキリスト教好きじゃ?

34: 2012/01/17(火) 16:24:04.37
>>26
信長はキリスト教に寛容だったが、自身がキリシタンになったことは
ないぞ。
領民にキリシタンになるよう迫ったりもしていない。

28: 2012/01/17(火) 13:40:30.85
それに26は明智が信長を殺害してしまったばっかりに、
その後の皇族が受難を迎えたことを知らないらしい。

29: 2012/01/17(火) 14:11:58.44
カトリック弾圧やったのは秀吉だろ。

30: 2012/01/17(火) 14:19:44.79
信長路線が続いたら鎖国もなかったかも知らないが、日本の風景も
随分と違ったものになってたかも。

歴史を変えたのは誰なのか?

31: 2012/01/17(火) 14:26:12.25
信長って海外侵略やる気まんまんだったろ。

36: 2012/01/18(水) 00:39:12.72
>>31
国内も統一できないのにw

32: 2012/01/17(火) 14:32:18.20
IFを言いながら言うのはどうかと思うが、歴史を読み解くには
結果論は排さないとな。

33: 2012/01/17(火) 14:53:17.28
そもそもさ、現代人の光秀過大評価ってどうなの?
当時の人は現代人に比べてずいぶん厳しい。 

細川忠興「光秀の忘恩は甚だしく大罪に値する」
多聞院英悛「光秀?誰それ」
細川ガラシャ「私の父は腹黒い。私はそれで苦労した」
ルイス・フロイス「彼は人を騙すのが上手で本人もそれを自慢している」
オルガンティーノ「光秀のような裏切り者には絶対味方してはいけない」

一見いい人そうに見えて、裏にはかなり毒を持ってた人物だったと思われる。
ただこういう人物を例えば中朝では高評価するんだよね。
あっちでは、嘘が上手くて騙しのテクニックが熟達してる人ほど優秀と見なす。

35: 2012/01/17(火) 20:17:40.40
キリスト教を利用しただけなんでそうね

仏教が、国を支配するための道具として、
日本にもたらされたのと一緒で

40: 2012/03/24(土) 00:56:58.43
とにかく明智ファンは思い上がりすぎ 馬鹿すぎ
勘違いししすぎ 強がりすぎ

41: 2012/03/24(土) 15:06:34.56
ファンタジー歴史が好きな方々ですから。
同じくファンタジー大好きなあちらの国とか、居心地いいかも知れません。

42: 2012/03/24(土) 21:35:24.31
秀吉黒幕説は有り得ないことではないが
もしそうなら家康が秀吉の犯罪を徹底的に暴いただろうし
勝家なども黙ってはいなかっただろう
そもそも光秀が暴露したはず
現実的にはかなり難しい

43: 2012/03/26(月) 11:37:35.15
明智光秀の馬鹿はどこまで自分勝手なんだ。
無能な役立たずが

44: 2012/03/26(月) 14:43:20.10
秀吉が暗殺し、その後取って返し、明智が殺した事にする。
明智軍は仰天し、大谷などに援護を乞うが、既に将来を見越した諸将は応じない。
律義者の光秀は信長の意思を継ぎ、(あわよくば後継者になるつもりで)秀吉と対決する事を決意するが
孤立無援、山崎で死に汚名をかぶる。

歴史は勝った方が都合よく塗り替えるものだから、こういう話だってありえそう。

45: 2012/03/26(月) 21:51:04.82
妄想が好きだなぁ~ 
「律義者の光秀」ってところでもうすでに残念なことに。

46: 2012/03/27(火) 14:19:20.29
恵瓊と秀吉は既に密約を結んでいた。
「城主清水宗治の切腹と引き換えに毛利は秀吉の目の黒いうちは領地は安堵しよう。
そのかわり、我を追うな、西の諸将を押さえよ」、と。
実際、その後毛利は秀吉政権で優遇されまくる。


47: 2012/03/27(火) 14:33:09.28
この際、最も秀吉が頼りにしたのは蒲生家だ。
秀吉はなにかシンパシーをを感じるのか半兵衛、勘兵衛など、頭脳明晰な人間が好きだ。
蒲生親子こそは彼が秘謀をともにするにふさわしい男たちではなかったか。

本能寺を襲ったのは近江に深い人脈を持ち、近畿の留守を預かって自領に兵が居た蒲生家だろう。
この一族もまた、秀吉が政権を取ると優遇され、家康の抑えとして力を発揮する。
しかし、家康が政権を取るとやがて謀略のうちに断絶。一国に減領された毛利共々、辛酸をなめる。

48: 2012/03/27(火) 14:42:04.23
同じ、大国であり西軍に加担した島津と毛利は明暗を分けた。
早くから秀吉の四国攻めで交流のあった長宗我部に至っては、取り潰されてしまう。
これらは決して偶然ではない。
我が兄とまで慕っていた信長を殺したものども、
そしてその際、自らも命を狙われた恨みを執念深い家康は終世忘れる事は無かった。
彼の後半生はまさに秀吉とその一味への復讐の人生であった。

49: 2012/03/27(火) 15:17:56.25
蒲生家伝によれば、本能寺の際、城には信長の一族が居た。
にもかかわらず、兵は居なかったという。
その兵はいったいどこに居たのか。
その後、光秀は謎の行動をとっている。
俗説にあるよう、将軍家、天皇家の擁護のためならば絶対に死守せねばならないはずの京を離れ
一直線に蒲生家の日野城を目指している。
もちろん、天皇も将軍ゆかりの人間も捨て置いて、だ。
それは何故だったか。
光秀は蒲生家の非道に気がついていたのではないか。


50: 2012/03/27(火) 15:23:32.17
蒲生家は、やがて会津の大領を与えられる。
小大名ゆえさして武功も無く、六角氏の陪臣上がりの男には似つかわしくない大出世だった。
秀吉が天下を取る青写真を引いた勘兵衛が熊本に追いやられた事と不気味なほどにかぶるのだ。

51: 2012/03/28(水) 13:16:03.96
明智ファンは「光秀が名将」とか本気で思い込んでる
のが何とも言えず恥ずかしい
馬鹿としか言いようがない

65: 2012/05/07(月) 04:16:35.95
>>51
そうかな
普通に優秀な武将でしょ

52: 2012/03/28(水) 13:18:35.27
勘違いしすぎ

53: 2012/04/03(火) 18:12:52.35
光秀は線の細い文人タイプで気の小さいサラリーマン型、こんな男が
思いあまるととんでもない行動にでるんだ、多分丹後丹波の領地を信長に
取り上げられ秀吉の中国征伐の与力を命ぜられて寵臣からはづされたと
思ったのだろう、佐久間信盛の例も身近に知っており前途を絶望したのに
違いないとおもう。戦国では生きにくい律儀な正直者、光秀君。

54: 2012/04/03(火) 19:07:00.29
>>53
気の小さい会社にしがみつくだけのサラリーマンタイプの弟が
斎藤道三→武田元明→朝倉義景→織田信長
と次々主君を代えてのし上がれないよw
土岐源氏であることを誇りにしたみたいだし

101: 2017/01/17(火) 23:03:58.75
>>53
>多分丹後丹波の領地を信長に
取り上げられ秀吉の中国征伐の与力を命ぜられて

それ後付けの作り話でしょ

55: 2012/04/05(木) 23:08:53.58
明智光秀が信長の下で「坊主殺し」しまくってた悪人だと
歴史の教科書にしっかり記載するべきだ

81: 2012/08/20(月) 20:50:38.46
>>55
坊主殺したのは、信長軍団の善行の一つ。
宗教が政治に口出す国はろくな事にならない。
信長から徳川幕府までの宗教弾圧はすばらしい。

82: 2012/08/23(木) 02:13:24.69
>>81
徳川は宗教弾圧じゃないだろ
寺社は荘園や門前町という経済基盤と門徒という人的基盤を持っていて
戦国もなかば以降の大勢力の大名の出現までは守護などよりよほど大きな勢力を持っている世俗の権力の一つだった
信長はそれを自らの権力の下に治めただけだし
秀吉も家康もそれにならった

97: 2014/11/27(木) 17:45:33.48
>>81
信長は天台宗比叡山延暦寺や浄土真宗石山本願寺と敵対してたというだけで
仲良くしていた仏教の宗派もある
臨済宗は織田家の宗派で信長自身安土城内に臨済宗の総見寺を建てるほどだったし
臨済宗大徳寺にも父親の菩提を弔う寺を建てている
天台宗と敵対していた日蓮宗とも仲良し
信長が定宿にしていた本能寺も妙覚寺(本能寺の変の時に信忠が宿泊)も日蓮宗の寺

56: 2012/04/10(火) 08:51:54.95
信長は光秀を虐待していた
楽しいだろうな 光秀をこき使って苛めて殴って

57: 2012/04/13(金) 19:00:17.74
>>56
光秀は信長家臣の中では一番最初に城持ちになっているし
娘も信長の命令で細川みたいな大名に嫁がせることができてるし
十分厚遇されてるだろ

64: 2012/05/06(日) 19:37:05.60
明智三日天下。裏切り者は裏切られるのだ。要領の良い
天下には果てしなく汚名が残るのみ。

66: 2012/05/07(月) 15:43:42.69
光秀はどうして信長に目の敵にされたの?

67: 2012/05/07(月) 21:27:19.18
小説家がそういう設定にした方がオモロいかなぁ~と思ったから。

70: 2012/05/11(金) 21:38:05.43
明智光秀は清潔で、身なりも上品で身分も
高い武士であった。
中途採用の明智は義昭の下で働いていたが
見限り信長の部下として働くようになったが

71: 2012/05/11(金) 21:42:55.82
信長は本能寺でどこにいるか分からなくなり、
光秀は本能寺に秀吉によってさらし首にされました。
秀吉は死ぬ間際に「お許しください」と寝言で申しておりました。
500年近くたった今でも、信長は見つかっていません。

72: 2012/05/11(金) 21:59:05.86
江戸時代の幕末、ペリーが来航し、危うく日本分断しそうになりましたが、
大政奉還により、なんとか日本統一のまま維持できました。
この時、一番日本に貢献した男「日本をなんとかせないかんじゃけ!!」
の元土佐の脱藩浪士は、幕府側の人間により、暗殺されてしまいました。

73: 2012/05/11(金) 22:05:08.86
徳川は、幕府がピンチになると暴れん坊将軍が現れて
財政を立て直すのに、日本統一をして自由貿易が
盛んになり始める頃、貢献した人物は炎の海へと入っていくのです…
それは、未だに信長が見つかっていないがゆえに起こる怪奇現象なのかもしれません

75: 2012/05/11(金) 23:14:11.44
3日説と11日説があったと思う。何しろ早い秀吉は仇うちに
萌えたのか 信長の後釜を意識していたのか。どちらにせよ
士気が勝敗を決める。

76: 2012/05/17(木) 22:59:31.25
秀吉>>>光秀
馬鹿の光秀

77: 2012/06/05(火) 08:34:20.33
明智光秀は百姓に戦で負け殺され(ダサっwwwwwww)死んでしまった名門明智氏
を代表する武将です。

78: 2012/06/06(水) 17:13:53.62
百姓>>>光秀>>>信長

79: 2012/08/15(水) 23:08:40.32
名門なのに信長につかえる前は何してたかわからん人

80: 2012/08/16(木) 08:39:22.28
明智光秀は武将としては各方面軍のお手伝いばっか
対上杉の柴田、対毛利の秀吉、対本願寺の佐久間、対北条の滝川とくらべたら
地味で小さな丹波が担当
戦争が特別うまいという話しもない
にもかかわらず一に光秀とか褒められてるし常に信長の側で行動してるし
天皇にたいする馬揃の奉行をまかされたり
信長によっぽど気に入られてる感じ
信長に口答えして打擲されたという話しも
信長相手に意見を言える立場だったとも考えられる

85: 2013/06/13(木) 13:36:46.49
>>80
明智光秀って石田三成とかぶるんだよな。大した軍功はないが、裏方で功績があった。
明智光秀はルイス・フロイスの「日本史」によれば細川藤孝の家臣出身で
藤孝が室町幕府の官僚だから光秀も幕府の人脈に明るく都言葉を話すことができた
言葉の壁というのはなかなか曲者でテレビと義務教育が普及した現在は
日本全国どこへ行っても言葉が通じないということはないが当時の方言差は著しい
織田信長・豊臣秀吉・徳川家康皆酷いお国言葉で都の人と通訳を介さないと会話ができない
信長の通訳を務めたのが明智光秀であり信長の評価は高かった。
ただし生死をかけて武功を競った他の家臣たちからの批判は強い。
結局光秀につく者は信長家臣団で現れず。

88: 2013/06/13(木) 21:31:33.95
流れ戻っちゃうけど>>85
光秀過大評価しすぎ。
信長って驚くけど尾張時代から京に知り合い結構居るよ。
上洛目指したのも京の人に呼ばれたからだよ。
意外と光秀は存在薄いです、史実だとね。

89: 2013/06/13(木) 22:34:58.30
>>88
それならますますなぜ光秀が信長家臣で城持ちになったか、
それも信長の安土城から京へ向かうのに舟で対岸にあたる坂本という重要地だったのか、
という説明がつかないじゃん。
全然重要でなくて影の薄い家臣になぜ信長がそこまでしたの?

91: 2013/06/14(金) 21:38:15.76
>>89
信長の光秀重用は奥さんの親戚だったからって言ってる人もいたな。
「優秀な人物は誰でも登用」ってアメちゃんのプロパガンダに縛られちゃいかん。
そうだったかも知れないしそうじゃなかったかも知れないし。

92: 2013/06/14(金) 22:55:49.81
>>91
濃姫はいつまで生きていたか分からんし実家の斎藤家滅亡で
光秀が仕官した頃には大して権力なかったんでしょ

そもそも「明智軍記」は江戸時代編纂で信憑性が薄いそうなので
光秀の出自は不明、濃姫との血縁も不明。

村井貞勝は京出身じゃない。
幕府官僚とも関係なし。

90: 2013/06/13(木) 22:37:40.09
>>88
知り合いは居ても信長の意思を信長の側に立って
幕府や朝廷に伝えてくれる腹心の家臣はいないでしょ。
そりゃ信長は朝廷に寄進もしていたし、
都の公家を尾張に招いたこともある。
でもそれはお客様であって信長の持ち駒として
朝廷に信長の要求を的確に伝達してくれる人ではないでしょ。

91: 2013/06/14(金) 21:38:15.76
>>90
何かというと存在消される村井貞勝チャンかわいそす。
で何故か決まってそのポジションに光秀ねじ込む人何かがおかしい。

83: 2012/08/23(木) 18:08:12.23

さしもの信長も本願寺の一応の決着で疲れがどっと出たんだな。
ようやく茶器三昧でうつつを抜かせると思ったんだろう。
たしかに毛利とか上杉なんか家来や息子で十分に間に合う。
それだけ信長の”宗教戦争“は激烈だったんだ。
自分に御褒美。
さっそく利休を呼び出し本能寺で茶会を催す。
狙いは島井宗室の名器。
信長「いいじゃん。坊主どもにさんざん苦労したんだ。これくらいのご褒美♪」
こんな具合かな。

84: 2012/11/14(水) 20:22:47.35
お寺も神社も戦の拠点っていうのがまた熱いよね。信長の野望はそのへんどう?

86: 2013/06/13(木) 13:54:29.64
すれ違いだけど、藤堂高虎は、なに弁を使ってる職人集団を扱ってたんだ?

87: 2013/06/13(木) 14:17:31.18
>>86
藤堂高虎はもともと近江出身の土豪
近江の石組集団・穴太衆や、近江の築城集団・甲良大工を駆使して
依頼を受けては全国に築城したんじゃなかったっけ

93: 2013/06/15(土) 00:29:30.20
(#`д´)時は今 雨が滴る 五月かな

96: 2014/06/11(水) 03:00:51.10
信長が明智ごときに利用される訳
ないだろwww

99: 2015/10/20(火) 23:22:35.59
信長が信頼していた家臣が光秀
光秀は時々嘘をついて佐久間などをうまく追い出した
だが最後はボケてその嘘もばれて度々怒られるようになる

光秀が信長より優れていたことなどない
ただ光秀は信長のご機嫌取りで出世できただけだ
嘘の達人光秀も最後はボケて信長に度々怒られていただけだ

だから信長は地方に送り光秀には穏やかな余生を過ごさせるつもりでいた
信長自身もこの時には既に息子の信忠に大半の業務を任せていた