1: 2013/04/21(日) 12:12:22.42
旧唐書日本伝
日本国は倭国の別種なり。その国日辺にあるを以て、故に日本を以て名となす。
あるいはいう、倭国自らその名の雅ならざるを悪み、改めて日本となすと。
あるいはいう、日本は旧小国、倭国の地を併せたりと。

この謎を考えてみよう。

引用元: ・日本国は倭国の別種なのか

2: 2013/04/21(日) 19:27:00.32
隋書倭国伝と日本書紀を読むと、同じ国とは思えない。

3: 2013/04/22(月) 06:43:05.05
倭国は「日本」に吸収された

4: 2013/04/22(月) 13:48:53.57
倭国は滅びたが倭人は残った。
そして中世の倭寇につながる。

5: 2013/04/23(火) 13:46:02.91
日本は倭国に附庸していた東の倭種。

8: 2013/04/24(水) 03:13:53.55
田母神俊雄「駅などの中国語、韓国語表示を止めろ!ここは日本だ!」

なんかおかしくない?

「駅などの中国語、韓国語表示を止めろ!ここは日本だ!」ではなくて
「駅などの中国語、韓国語表示を止めろ!ここは倭国だ!」でないと
意味が通じない。

もともと「日本」と云う言葉は半島の人が最初に云い始めた言葉。
日本列島には「倭国」と云う別の国の名前がありました。

田母神俊雄氏にはこれからは「日本」では無くて
「倭国」で発言して欲しい。

  なんでも鑑定団 愛のエメラルド

9: 2013/04/24(水) 06:17:10.53
倭国=近江王朝まで
日本=天武朝以降かなあ。

壬申の乱は実は明治維新以上の革命で、
日本書記つうのは、ほとんどその弁明のために
書かれているかも。

10: 2013/04/24(水) 08:49:56.76
白村江で九州倭国は滅びた。
天智の日本が後を継いだのだろう。

12: 2013/04/25(木) 08:36:04.57
7世紀後半から8世紀前半に国号、年号も含め、
大きな変化が起こっている。

ここで政権が変わった可能性は高い。

ちなみに、最古の木簡は太宰府の周辺で発見されている。

13: 2013/04/25(木) 11:51:21.22
最後の倭王は筑紫君薩夜麻。

14: 2013/04/25(木) 23:10:55.31
大倭国とはいわゆる出雲国デハ?

「日本」の語の初出は確か、、ニギハヤヒ大王(この時点では即位前でオオトシ?)が生駒信貴山系を越え奈良盆地に無血入城する際に云々。

ところで、大国主神/大己貴命の数多ある別称号に「所造天下大神」と言うのがありますが、
ここでイザナギ大神(尊)の別称号に確か、天下修理固成(あめがしたつくりかためなしし)大神

意味するところが殆ど同じなのが気になる年頃。

15: 2013/04/25(木) 23:44:52.74
わかりやすく言えば大和朝廷の「倭国」が、日本列島内の別の小国であった「日本国」を併合し
その名前が気に入った為、大和朝廷の「倭国」が改名して「日本国」を名乗ったって事でしょ。

16: 2013/04/26(金) 21:41:16.83
トンキンがまた変なことを言い始めた
歴史コンプレックスは創作で補うてか

17: 2013/04/27(土) 15:46:46.83
旧唐書日本伝の説明は混乱しているように見えるが、すべて正しいと言える。
九州の倭国と本州の日本(日下・天下)は本来は別の国だったが、唐初から
670年まで、日本が「倭国」を名乗って唐に遣使していた時期があった。
この時期だけで見れば、倭国が日本国と改名したという説明も正しい。
また白村江で旧倭国が滅びた後、その地を合併したという説明も正しい。
通訳がうまくいかずに断片的に伝わったため、説明が矛盾していると取られたと思われる。

18: 2013/04/27(土) 15:53:29.41
隋書倭国伝と推古紀の日中通交で共通するのは以下の2点のみ。
①通交の年代はともに607~608年
②隋使の名前は裴世清
(隋書で裴清とするのは唐の太宗李世民の名前を避けたもの)
しかし①は、書紀の年代は天智紀でも疑わしい記事があることを考慮する必要がある。
②も、裴世清が一度しか列島に来ていないという証拠は無い。
これに比べて、相違点はあまりにも多い。
①隋と唐
書紀では小野妹子は隋ではなく唐に派遣されている。
②倭王と倭皇
隋書は倭王とするが、書紀で唐帝は推古天皇を「倭皇」と呼んでいる。
③倭王の性別
隋書は倭王の字を「多利思北孤」とし、明らかに男性と見られる。
そこで推古女帝ではなく、聖徳太子や蘇我馬子を指すとする説があるが、
書紀の記事では皇太子でも大臣でもなく、推古天皇が前面に立っている。
また隋書では、倭王には太子が(別に)いたとある。
④裴世清の身分
隋書は文林郎、書紀は鴻臚寺の掌客とし、明らかに異なる。
⑤国書の有無
隋書の裴清は「宣諭」したのみだが、書紀の裴世清は国書を持参している。

19: 2013/04/27(土) 21:29:51.55
これは良スレ

20: 2013/05/10(金) 21:42:23.92
倭とは朝鮮半島の南の倭系部族国家の総称じゃないかと思う。

21: 2013/05/10(金) 21:44:53.11
>>20
魏志倭人伝を十回嫁アホ

22: 2013/05/10(金) 23:30:37.92
シナ人によれば倭人っていうのはチビで背骨の曲がった人間という意味らしい
倭なんて名乗るの止めてこれからは日本人って名乗ろうぜ

28: 2013/06/15(土) 00:34:35.47
>>22
ねーよw
倭人がちびなんてどこにも書いてない
倭とは曲がりくねって遠いとかスゴイとかの意味がある
朝鮮人は漢字無知の低脳なので理解出来ない

23: 2013/05/13(月) 11:53:33.73
九州王朝分派「倭国」(大海皇子)が、日本列島内の畿内の小国を支配し(671年)、
その名前が気に入った為、九州王朝分派畿内「倭国」が改名して「日本国」を名乗った。
その後畿内の「日本国」は、九州王朝本流「倭國」を695年から700年の
延べ7年がかりで征服支配した。

24: 2013/05/13(月) 16:01:52.98
>>23の訂正

九州王朝分派「倭國」(大海皇子)が、日本列島内の畿内の小国を支配し(671年)、
その名前が気に入った為、九州王朝分派畿内「倭國」を改名して「日本國」を名乗った。
その後畿内の「日本國」は、九州王朝本流「倭國」を695年から700年の
延べ6年がかりで征服支配した。

25: 2013/05/13(月) 17:04:51.27
日本、日の本(下)の国の謂われはたしか、、
曰わく、ニギハヤヒ(この時点ではオオトシ)が率いる軍団の強力無比な軍事力を背景にしたパワー外交(いきなり軍事侵攻はせず、先ずは外交官を派遣して利害得失を説いて恭順し服属するよう説いて、受け入れれば吉。もし反抗し防戦するなら完膚無きまでに殲滅する戦略)の結果、
奈良盆地の某勢力(王権)がニギハヤヒ側の折衝案を呑んで全面降伏。
それを承けて河内国から生駒信貴山系(斑鳩峰。場所不祥)を越え無血入城するさいに奈良盆地の素晴らしい光景を見て日の本の国云々と感嘆した事による。
とか、、

26: 2013/05/13(月) 20:38:05.85
上下エジプト合体で倭?

27: 2013/06/14(金) 21:17:30.98
旧唐書日本伝
① 日本国は倭国の別種なり。その国日辺にあるを以て、故に日本を以て名となす。
② あるいはいう、倭国自らその名の雅ならざるを悪み、改めて日本となすと。
③ あるいはいう、日本は旧小国、倭国の地を併せたりと。

①②③はすべて合理的に同時成立する。
謎は何も無い。
「倭国の別種」とは「倭国の分種」である。・・・説明終了

29: 2013/06/15(土) 00:35:33.55
大和朝廷の「倭国」が九州の小国「日本国(日の国)」を併合し
その名前を気に入って自ら「日本国」と名乗ったのでは。

30: 2013/06/15(土) 01:36:17.32
古い時代だと何をするにも人力になっちゃうんで、人口がほぼ国力なんですね。
だから百済とか新羅とか、いくつもの国々に分かれた状態の朝鮮から見たら、倭国は大国ってことに

広開土王碑など海外の史料に出てくる「倭」を、倭寇的なものだとか九州あたりの地方勢力とか見るのも、違うと思うんです。
高句麗の正規軍に対抗する兵力を動員できるのは、巨大古墳を継続的に造営する動員力が証明されている、ヤマトを中心とした王権と見るのが一番いい

34: 2013/06/16(日) 11:45:09.70
>>30
普通に考えれば そういう結論しかないんだけど
いまだに九州王朝とか言う人がいるからねw

36: 2013/06/16(日) 17:32:54.12
>>34
広開土王と九州王朝とは時代が異なる。
九州王朝の時代は、517年~700年である。

35: 2013/06/16(日) 16:18:02.53
>>30
国力がものを言うのはむしろ国民国家が総力戦を行う近代のこと。
古い時代においては総人口よりも戦闘技術がものを言う。
満洲族の一群が明国を倒した例を見ればわかる。

広開土王戦争のときは徒歩戦から騎馬戦に変わる変革期にあったから
そのことがあてはまる。

37: 2013/06/16(日) 20:50:14.69
>>35
清が中原へ入ったのは明が滅亡した後
それくらい常識

38: 2013/06/16(日) 22:35:21.83
>>37
厳密に言えばそうだな。では「明国を倒した」を「中国を征服した」と
言い換えよう。

その他にもいくらでも例はある。モンゴルの征服事業だって巨大な人口によって
なされたわけではない。

39: 2013/06/16(日) 22:42:37.16
>>38
厳密?何処が?凄く大雑把な話だよww
清は、明の復興を掲げて、明から独立した軍閥と戦った

モンゴルなどの遊牧民は人口の1/3が兵士で
兵力は人口に比して巨大
モンゴル帝国の動員数は分裂していた中東諸王国や
欧州の雑魚国家群と比べ文字通り桁が違う程巨大

31: 2013/06/15(土) 01:56:41.92
日本中央って国が東北にあったという伝説。

32: 2013/06/15(土) 02:17:29.49
今も日本国という山が山形と新潟の県境に
日本国という地名が山形の鶴岡に有るぞ

33: 2013/06/15(土) 21:56:51.05
小国とは金官加羅のこと。
小国金官加羅が倭国を併合した。

ただし金官加羅が日本なのではない。
「現在日本と称している国は小さな金官加羅がもとになっている」の意。

40: 2013/06/17(月) 01:59:22.01
モンゴル兵力の強力さは、その移動速度と兵站能力に負う所にある。
一千のモンゴル兵は五万の他国兵に匹敵する。

又、モンゴル兵は、武器(弓)も強力で接近戦を必要としなかった。
現代戦で言えば、砂漠の戦車と誘導ミサイルの戦い。モンゴルがミサイル。

女性子供を除く男性は全員兵士であるから人口の40%は兵士である。

45: 2013/06/17(月) 10:16:19.48
>>40
>モンゴルなどの遊牧民は人口の1/3が兵士で兵力は人口に比して巨大

全くその通り。モンゴルは国民皆兵制度に近かったから、人口に比して戦力が
大きかった。
戦力は人口のみによらない、という私の主張に賛成してくれて有り難う。

48: 2013/06/17(月) 18:43:59.94
>>45
蒙古族の重装騎兵は鮮卑以来の伝統だよww

41: 2013/06/17(月) 03:04:58.15
モンゴル帝国は中核部族や身分の高い兵士が
槍や刀を持つ重装備の突撃騎兵だったのだがw

42: 2013/06/17(月) 08:13:59.31
実際、あんなでかい古墳をポコポコ作れるのって、すごい動員力

43: 2013/06/17(月) 08:56:28.75
槍や刀を持ち甲冑に身を固めた重装備の突撃騎兵はヨーロッパの騎兵。
モンゴル騎兵は軽量軽装備に強力な短弓。

44: 2013/06/17(月) 09:33:46.24
モンゴル帝国の重騎兵は案外知られてませんね
学校教育で元寇のときに短弓を強調されるきらいがあるからかな
軽騎兵で釣って、伏兵の重騎兵で突撃するのがモンゴル帝国の戦術

45: 2013/06/17(月) 10:16:19.48
>>44
>軽騎兵で釣って、伏兵の重騎兵で突撃するのがモンゴル帝国の戦術

そうだね。カルカ川の戦いもそのように戦われた。
ただし最初からそうだったのではない。遠征の途中で他民族から学んで
重騎兵を取り入れた。

48: 2013/06/17(月) 18:43:59.94
>>45
蒙古族の重装騎兵は鮮卑以来の伝統だよww

46: 2013/06/17(月) 12:07:53.12
モンゴル騎兵一名につき、兵站部には馬5~6頭いた。
兵站部ぐるみの全部隊の移動速度は一日千里(70km)。
モンゴル騎兵は数十kmも離れた所から波状攻撃を何回も繰り返すことをしたのである。
強大な敵にたいしては、軽装騎兵の波状攻撃による敵の疲弊をまって、
彼ら自身が重装騎兵と変身し、敵の陣営に止めをさしたのである。

ここで重要なのは、波状攻撃用の代え馬と打撃エネルギーの大きな弓矢。

48: 2013/06/17(月) 18:43:59.94
>>46
軽騎兵は1人3頭、重騎兵は1人5頭が定め

49: 2013/06/18(火) 11:49:52.96
兵站の馬が3頭では長距離遠征は不可能。
馬3頭体制は本拠地近隣の部族(邑)との戦闘体制だ。

本拠地(遠征先放牧地域等)から千里(70km)を超える遠征では、馬3頭の兵站では無理。

50: 2013/06/18(火) 13:55:03.74
>>49
誰もオマエの低劣浅薄な思い込みなぞ聞いて無い
事実は事実として受け容れろ

51: 2013/06/18(火) 19:28:30.00
>>50
>軽騎兵は1人3頭、重騎兵は1人5頭が定め
>蒙古族の重装騎兵は鮮卑以来の伝統だよ

上記は資料の間違い解釈

近距離弱小敵に対して侵略の場合では兵站体制が馬3頭
遠距離巨大敵に対して遠征の場合では兵站体制が馬5頭

53: 2013/06/19(水) 00:17:21.55
>>50
重騎兵への軍令は、替え2頭を加えた5頭でそれ以外は3頭
3頭が基本で馬の損傷が激しい突撃重騎兵は2頭加えて5頭

52: 2013/06/18(火) 22:51:25.93
× 巨大
○ 強大

56: 2013/06/20(木) 12:41:37.21
信頼度は0だよwww
遥か以前の柔然時代に騎兵は鋼鉄製小札鎧を着て馬には馬鎧を施している

これへと繋がったのは鋼鉄製小札鎧を着て馬には馬鎧を施していた
4世紀の鮮卑であり、後のモンゴルへと直接繋がっている

58: 2013/06/20(木) 18:46:27.42
いや、無い。
唐の軍制でも重騎兵と軽騎兵は混在していたし
突厥も重装騎兵による突撃を得意としていた
しかも、そのブログにも書かれている通り
一般的に鉄騎は軍戸の負担が重い為に減ったと知られている
しかも唐も統制を回復し生産力が増すに連れ重騎兵が増えた

柔然は蒙古族で、匈奴以降清朝蒙旗に至るまで
その兵制や武具防具は連綿として継続している

59: 2013/06/20(木) 21:48:43.76
>>58
>唐の軍制でも重騎兵と軽騎兵は混在していたし

どこの軍隊にも軽騎兵と重騎兵はいる。高句麗壁画にも両方が描かれている。
偵察・遊撃用の兵種と打撃用の兵種は両方必要なのだから当たり前だ。

>その兵制や武具防具は連綿として継続している

私はモンゴル西征軍の重騎兵の装甲が当初からのものではなく、ペルシャなどから取り入れた
ものである(二つ目の資料では『西方」)という資料を示した。
それが鮮卑、柔然以来連綿として続く形式のものであるというのなら、お題目だけでなく、そのように
述べている資料を示さなきゃね。

なお、私が示した中国語の資料によれば、古代の重騎兵の人馬合わせた装甲が最大130kgにも
達し(人間の体重は入っていない)、あまりの重さに馬は並足か、せいぜいだく足(トロット)でしか
突撃できなかった、とある。
こんなものがカルカ川やリーグニッツで突撃したとは到底思えないね。

74: 2013/06/23(日) 23:34:01.71
>>59では、馬は並足か精々速足とあったが、自ら速足で駆け駆足で突撃すると修正したようだ
何にせよ見解が事実に近づいた事は喜ばしく思う

百済の件は例外で大半は王統ではなく民族や部族に対して使われている

75: 2013/06/24(月) 10:26:10.75
>>74
>馮素弗の墓から見つかった特注の馬甲ですら40㌔

私が聞いているのは40kgではなくて25~30kgのほうだ。
古代北方民族の馬甲が25~30kg、すなわち人間用なみだったという説の根拠はなにか?
資料で示してね。 

>「至少」の意味は下記URLにあるから読んでね。最大小的限度即ち「最小」と書いてる

その同じ資料で英訳を見れば
"at (the) least; at lowest; to the least extent; anyhow; at any rate; in any case"
すなわち「少なくとも」と書いてある。中国語はある意味不正確だから英語の方があてになる。

まあ「少なくとも」と「最小」は通底するが、それをもって「少なくとも」を誤訳として
斥ける理由にはならない。
いわんや君の場合は「最小~平均~最大」という「誤訳」にもとづいているのだからね。

>何にせよ見解が事実に近づいた事は喜ばしく思う

ということは「慢跑=キャンター」と、訳文中の慢跑の欠落を認めたということだな?
「小跑慢跑=トロット」なる珍解釈は引っ込めるのか?

>百済の件は例外で大半は王統ではなく民族や部族に対して使われている

「大半」と統計がとれるほど資料があるのならまずそれを示せ。

77: 2013/06/24(月) 20:31:21.84
>>75
上古至五代軍事工程技術史は、周りに相手されない電波教授とは
比較にならない程信憑性に富む書籍だ

意味不明な言い逃れをしない様にw
中国語を説明するのに「中国語はある意味不正確だから英語の方があてになる」とは
詭弁と言わずして何と言おうか、諦めて訂正と謝罪をしなさい

82: 2013/06/25(火) 09:01:59.18
>>77
>上古至五代軍事工程技術史は、周りに相手されない電波教授とは比較にならない程信憑性に
富む書籍だ

宣伝文句はいいから、「25~30kgの馬甲」に関する文章を引用してくれ。

>中国語を説明するのに「中国語はある意味不正確だから英語の方があてになる」とは詭弁

あほらし。「中国語の意味を中国語で説明するのは不正確だ」ということを言ったのだ。
現に「至少」の意味を説明する「最大小的限度」という中国語は君を誤解させたではないか。

>馬は並足か、せいぜいだく足(トロット)でしか突撃できなかったという妄言を訂正しなければ

これはうろ覚えで書いたから「並足」は間違いだった。しかし「だく足(トロット)」は正しいし、
ちゃんとソースを提示しているからこそ君が反論できたことを認識すべきである。

>あと小跑慢跑とはトロットの事

原文の「コンマ」は無視するのか? 原文を飜訳してくれた人に、「コンマ」をどう解釈するのか
聞いて見たらどうか?

>ほら大半だ

このなかにも王統らしいのはいくつもある。まあ両方あるらしいことはわかったよ。

84: 2013/06/25(火) 18:27:30.62
>>82
頁480至483参照、見つかった鉄片から類推して30㌔前後と推定している

中国語の意味は中国語で説明するのが最も端的
至少が最小を意味する現実を受け容れたく無くからと屁理屈捏ねるのは止めたまへ

85: 2013/06/26(水) 09:23:00.04
>>84
>頁480至483参照、見つかった鉄片から類推して30㌔前後と推定している

それはどこの出土品か? 馮素弗墓馬甲の40㌔との関係は?
小さい方の25kgのソースは? それから前にも言ったが文章で引用してくれ。

>中国語の意味は中国語で説明するのが最も端的/至少が最小を意味する現実を受け容れたく無く

84: 2013/06/25(火) 18:27:30.62
>>75で自分が何を書いたか思い出そう。小跑慢跑=トロットなる珍解釈とある
而し、小跑慢跑はトロットを指す、複数の話を混ぜて誤誘導しては駄目だよ

別種が王統ではなく部族や民族を指すソースを提示しているのだから
君は具体的な文言を挙げて反論しなければならない

85: 2013/06/26(水) 09:23:00.04
>>84
>頁480至483参照、見つかった鉄片から類推して30㌔前後と推定している

それはどこの出土品か? 馮素弗墓馬甲の40㌔との関係は?
小さい方の25kgのソースは? それから前にも言ったが文章で引用してくれ。

>中国語の意味は中国語で説明するのが最も端的/至少が最小を意味する現実を受け容れたく無く

85: 2013/06/26(水) 09:23:00.04
>>84
>頁480至483参照、見つかった鉄片から類推して30㌔前後と推定している

それはどこの出土品か? 馮素弗墓馬甲の40㌔との関係は?
小さい方の25kgのソースは? それから前にも言ったが文章で引用してくれ。

>中国語の意味は中国語で説明するのが最も端的/至少が最小を意味する現実を受け容れたく無く

63: 2013/06/21(金) 22:16:15.60
古代中国の斤て223gじゃないのか?

64: 2013/06/21(金) 23:30:45.60
宋代だと約600㌘

70: 2013/06/22(土) 23:26:27.99
倭と日本が別種ってのは「統治者の血族が変わった」ってことなんじゃないの
で、その交代のときに「倭じゃなくて日本にしようぜ」ってなり、
旧血族の土地も全部併合し終えた、と

71: 2013/06/23(日) 00:37:04.89
古代中国の別種って、同民族別部族くらいの間隔でしょ

73: 2013/06/23(日) 22:32:50.02
>>71
>古代中国の別種って、同民族別部族くらいの間隔でしょ

『唐会要』百済伝. 百濟者、本扶餘之別種 (百済はもと扶余の別種なり)

この場合は別種は王統の分れのことだな。
中国の概念では国とは民族より王統のことなんじゃないか?

78: 2013/06/24(月) 21:15:51.35
モンゴル馬は小型である。
鉄甲重装騎兵の馬としては体力不足である。
モンゴル馬は、長距離走行の耐久性はあるが重量物は運べない。

モンゴル騎兵が重装騎兵となりうるのは、
ペルシャで大型のアラビア馬を手に入れてからとなる。
ペルシャ戦以前の重装騎兵は短弓に長剣か槍の装備が精々である。

85: 2013/06/26(水) 09:23:00.04
>>84
>頁480至483参照、見つかった鉄片から類推して30㌔前後と推定している

それはどこの出土品か? 馮素弗墓馬甲の40㌔との関係は?
小さい方の25kgのソースは? それから前にも言ったが文章で引用してくれ。

>中国語の意味は中国語で説明するのが最も端的/至少が最小を意味する現実を受け容れたく無く

81: 2013/06/25(火) 02:11:44.46
モンゴル軽騎兵の伝統は今でも残っている。
モンゴル競馬だ。

数十kmの距離の競馬だ。
モンゴル馬は千里馬なのである。

一日に千里(70~80km)を駆け続けられる馬、それがモンゴル騎兵の馬なのである。

88: 2013/06/26(水) 20:21:38.91
蒙古馬の様な小型馬では、いずれにせよ重騎兵は無理だよ。

蒙古軍の強さは、その機動速度と小型で強力な弓にある。
長距離高速移動ができる馬、弩のように強力で飛距離のある短弓。

90: 2013/06/27(木) 09:25:09.55
モンゴルの優位は武装の優位ではないよw
短弓(笑)

91: 2013/06/27(木) 09:31:07.11
短弓もってウホウホやってたのは、北ユーラシアに腐るほどいたわけで、
そのなかでチンギスハンが優位に立てたのは、強運と重軽織り交ぜた釣り戦術

96: 2013/07/01(月) NY:AN:NY.AN
その通り、突厥は国号。

97: 2013/07/06(土) NY:AN:NY.AN
天智系が倭で、天武系が日本で、壬申の乱が易姓革命という風に認識されて混乱がおきたのではないだろうか?

98: 2013/07/16(火) NY:AN:NY.AN
それだと
>あるいはいう、日本は旧小国、倭国の地を併せたりと

を説明できない。

99: 2013/07/17(水) NY:AN:NY.AN
日本(旧小国)=やまと
倭国の地=近江宮の支配が及ぶ範囲

100: 2013/07/17(水) NY:AN:NY.AN
やまとってのは律令制の大和国の範囲