1: 2013/05/26(日) 14:31:35.58
・最後の政権指導者
・次政権の指導者と義兄弟
・最後は奮戦して死亡
これだけドラマになる要素が揃っているのになぜかマイナーな赤橋守時さんのスレ。

引用元: ・【最後の】北条守時【執権】

3: 2013/05/27(月) 00:36:36.05
最後の将軍だった守邦親王も頼朝公より長い在職期間なのにマイナーだし、扱いがひどすぎる。

5: 2013/05/27(月) 22:52:16.30
結局、守邦親王は鎌倉幕府倒壊のあとどうなったの?

6: 2013/05/27(月) 23:41:43.06
>>5
出家して直後に病死。足利義昭や徳川慶喜と比べてもラストが悲惨。

7: 2013/05/27(月) 23:57:48.25
>>6 高時が死んで翌月出家し、翌月病死って暗殺されたっぽくね?

8: 2013/05/28(火) 10:44:31.85
陰謀論厨には悪いが理由がない

9: 2013/05/28(火) 10:50:21.91
>>8 英明で前将軍、後深草天皇直系という血筋から、旧勢力に利用される可能性があったから殺されたのです。

10: 2013/05/28(火) 22:32:37.31
妹と千寿王を逃がしたのはこの人?

15: 2013/05/29(水) 22:44:10.35
>>10
逆。逃げられて内通を疑われ謹慎処分になっている。
指導者が謹慎とか内通とか冗談みたいだがw
それで疑いを晴らすため新田軍を迎撃して戦死。

11: 2013/05/29(水) 18:39:18.83
武力で攻め滅ぼされた幕府って鎌倉幕府だけだな

12: 2013/05/29(水) 21:10:01.07
>>11
最高指導者が戦死したのも鎌倉幕府だけだね。軍事政権として考えると平氏政権・豊臣政権もだが。

13: 2013/05/29(水) 22:12:35.29
北条一族も、逃げずに戦っていたのを見ると勝算はあったん
でしょうね。

15: 2013/05/29(水) 22:44:10.35
>>13
追い詰められたので戦うしかなかった。
海から逃げようにも大した船もないので脱出不能。

14: 2013/05/29(水) 22:20:22.42
それは違う
日本全国に反北条勢力が蜂起して逃げ場所が無かった

86: 2013/06/08(土) 22:37:15.31
>>14
海の底に朝廷はあっても幕府はなかったのかw

16: 2013/05/29(水) 22:44:20.05
平家を滅ぼしてるのに、末路が平家と同じなんだよな
太平記では北条のこと、平家って呼んでたっけ

17: 2013/05/29(水) 23:07:48.09
最高指導者と言っても執権の他に得宗家やら内管領やらがいて
誰が実質トップだかわからん

18: 2013/05/29(水) 23:46:38.62
>>17
末期の鎌倉幕府は得宗だった高時が病弱で対立していた安達氏と長崎氏が手を組んで牛耳るようになっていた。
牛耳ってた勢力の大半がろくに戦わずに自殺して終了というのがまぬけだがw

19: 2013/05/31(金) 07:51:27.35
正五位下の高時の家臣の御内人が実質最高権力者って凄く歪だな。

21: 2013/05/31(金) 22:54:18.63
>>19
後北条で言えば玄庵とか大道寺家とかですらなくて風魔が仕切っていた状態だったからね。

20: 2013/05/31(金) 12:36:18.88
まあ、そんな役職の低いものが政治を回していたから、周りになめられて、反乱勃発

21: 2013/05/31(金) 22:54:18.63
>>20
鎌倉時代ってずっと反乱、というか内戦状態で運良く得宗家が生き残っていたようなものだったからな。
最後も守時の姻族で絶対裏切らないはずの足利がまさかの反乱で主力を失ったようなものだ。

22: 2013/06/01(土) 00:08:15.12
守時も足利の下につけばよかったのに

24: 2013/06/01(土) 00:22:21.54
>>22
守時って執権で、北条政権の総責任者だったんだよ…
尊氏が生かしておくはずないだろ

47: 2013/06/02(日) 23:22:24.96
>>24
あの優柔不断の尊氏が殺す確率は低いんじゃ?嫁の兄貴だぜ。

48: 2013/06/02(日) 23:49:13.31
>>47
尊氏自身はともかく、後醍醐天皇や新田義貞、足利直義が殺してもおかしくないと思う。

49: 2013/06/02(日) 23:55:06.45
>>47
尊氏は目的遂行のためなら仲の良かった実弟すら毒殺し
自分の実子とすら死闘を繰り広げているよ

後醍醐天皇の朝敵となった鎌倉幕府の執権である守時を殺さないことには
後醍醐天皇の望む建武の親政が実行できないことぐらいわかるはず

23: 2013/06/01(土) 00:18:10.44
姻戚だから絶対裏切らないというのはないわ

25: 2013/06/01(土) 00:34:13.21
千葉貞胤は何故裏切ったんだろう 

26: 2013/06/01(土) 01:14:07.78
泰家が執権になってたら鎌倉幕府は滅亡しなかったのに

29: 2013/06/01(土) 11:02:32.55
>>26
高時が存命で実子もいるのに泰家が後継者になったら争いの元になる。

31: 2013/06/01(土) 13:05:00.29
>>29
泰時は執権にはなれるだろ
高時のような得宗になれないだけで
傍系の守時でも執権になれるのに
高時の同母弟が執権になれない理由はない

27: 2013/06/01(土) 09:58:03.17
頼朝や足利家のように由緒正しい出目でもなく、
徳川幕府のように強固な政権基盤もなく、
官位的には公卿ですらないのに100年以上も天下人であり続けた北条氏って
よっぽど駆け引きが上手かったんだろう

28: 2013/06/01(土) 10:15:38.62
>>27
鎌倉幕府創業時の後見者だからな

あと一応北条氏は平氏を称していた
天皇の末裔といえども中央官僚から転落し国司クラスで地方へ下った連中は
由緒ある血が欲しい地方豪族たちに娘を差し出されるままに
そこらじゅうで抱きまくっていただろうから
地方に源氏や平氏の末裔は相当いただろうと思う
(実際北条が平氏だったかどうかということよりも、
ときの朝廷が北条を平氏だと認め平姓で官位を与えている=
朝廷が北条を平氏だと認めていることが重要)

30: 2013/06/01(土) 12:21:08.92
>>27
中盤までは御家人の支持を取り付けていたのが大きい。

32: 2013/06/01(土) 13:52:45.37
何故貞顕がダメで守時ならOKなのかわからない
泰家は自分が執権になりたかったら貞顕のあとの守時に対しても
殺すぞと脅して辞退させ自分が執権になるまでゴネつづければよかったのに。
あっさり出家して馬鹿みたい。

33: 2013/06/01(土) 14:53:45.97
>>32
別に貞顕でなく守時が執権でも泰家は出家してただろ
もともとは高時の庶子邦時か高時の同母弟泰家かという「得宗争い」であって
貞顕は両者の緩衝剤としてとりあえず執権になったに過ぎない
泰家は反対が多く執権にすらなれないなら得宗になるのは更に難しいと断念し出家した

34: 2013/06/01(土) 14:59:27.68
母親は高時の子(つまり孫)より泰家を可愛がっていたの?
ふつう子供より孫のほうが可愛いと言うがなあ

35: 2013/06/01(土) 15:51:10.14
>>34
高時の母山内禅尼は安達宗顕の娘で、自分の姪を高時の正室にしていた
山内禅尼はこの正室を盛り立てていたと思うが、高時正室には子がなく、
邦時は高時と妾(五大院氏)の間に誕生した
身分の低い妾の子を得宗とするには後見頼りなく、
それよりは有力御家人安達氏を外戚とする泰家を、ということだろう

ちなみに邦時は幕府滅亡の際、母の兄である五大院宗繁に託され逃がされたが
五大院宗繁が恩賞目当てに新田義貞に邦時を差し出し殺されている

36: 2013/06/01(土) 16:20:04.11
>>35

なるほど五代院はろくでもない奴だなあ
母親の予想は正しかったわけかあ
女の直感は当たるというが本当だね

37: 2013/06/01(土) 16:53:30.20
その宗繁も裏切り者として追討されて野垂れ死にしたらしい
河田次郎や小山田信茂と似たような末路だな

38: 2013/06/01(土) 17:09:36.94
五代院って鹿児島だっけ?
そんな遠くまで逃げるの無理でしょ
時行みたいに諏訪あたりがちょうどいいんじゃないの?
それに諏訪氏は信州じゃ大豪族だし。名門だし。
足利や新田でもうかつに手が出せないでしょ。

39: 2013/06/01(土) 19:11:52.58
諏訪氏も、長いこと北条被官やってるよね、五代院は得宗裏切ったわけだし
諏訪からも恨まれてるでしょう。

43: 2013/06/02(日) 00:19:30.62
>>39
諏訪氏や海野氏は義仲党として鎌倉御家人の中でも相当身分低かった
北条氏の保護下で源氏将軍時代生き延びたようなものだし

40: 2013/06/01(土) 23:46:26.45
新田義貞を迎撃して壮絶な戦死を遂げた守時が最後の執権で良かったな。
邦時が最後の執権なら目も当てられない死に様で後世まで馬鹿にされていただろう。

41: 2013/06/02(日) 00:07:17.71
>>40
それは言い過ぎじゃ?

42: 2013/06/02(日) 00:14:21.56
そもそも邦時は鎌倉幕府滅亡時9歳だからどうしようもないだろ

44: 2013/06/02(日) 11:16:45.86
守時は従四位上で得宗の高時より官位が上なのに、力関係は得宗家の御内人の方が上って
官位は何の意味があったの?

45: 2013/06/02(日) 23:20:18.22
>>44
そもそも鎌倉幕府は合議制が基本で力関係といってもせいぜい会議を主導、という程度なんだよね。
北条高時:ウェリントン
北条貞顕:ハルデンベルク
北条守時:アレクサンドル1世
安達時顕:タレーラン
長崎円喜:メッテルニヒ
みたいな感じで突出して権限持ってる人がいない。

46: 2013/06/02(日) 23:22:11.07
>>44
江戸時代の親藩大名は官位が高いのに幕政にあまり口出しできず
それよりも将軍直近の側用人あたりが権力持っていたのと同じ構造

50: 2013/06/03(月) 12:10:14.79
鎌倉幕府で一番偉いのは守邦親王じゃ

51: 2013/06/03(月) 12:38:36.02
>>50
後醍醐天皇は守邦親王の追討令は出してない
しかも守邦親王だけが生き残っても
執権と得宗が死んでしまえば鎌倉幕府は終了した

52: 2013/06/03(月) 16:12:29.82
>>50
一応ね。傀儡だけど。
結局東勝寺で妻子を殺して自害して果てた。北条氏、御内人らと運命を共にした。
だから、綺麗に終わったけどね。生き残っていれば対処に困っただろうし。

54: 2013/06/03(月) 17:28:11.64
>>52

え?

55: 2013/06/03(月) 21:24:01.31
>>52
別の誰かと勘違いしてない?

53: 2013/06/03(月) 17:26:18.59
島流して、おしまいだろ

56: 2013/06/03(月) 21:24:16.09
九条頼経や宗尊親王は傀儡とはいえ反得宗家の神輿としての
利用価値はあったけど守邦親王にはそういった形跡すら無いし
本人も傀儡から脱却したいとは微塵も思ってなかったように見える。

57: 2013/06/03(月) 22:22:35.65
もう少し鎌倉幕府が長続きしたら守時も活躍の場があったのだろうな。
幕府の重鎮・赤橋流の当主として地位・実力はあったのに悔やまれる。

58: 2013/06/03(月) 22:25:30.87
守邦親王 1308年征夷大将軍宣下から1333年幕府が滅んだその日に職を辞し出家か。
長くやってるな、その年の9月に鎌倉で逝去になってる。
京に戻れなかったのだろうか。

59: 2013/06/03(月) 22:33:53.81
戻っても要らない子扱いだから戻らなかったんだろ。
人生の大半を鎌倉で過ごしたから故郷は鎌倉と思ってただろうし。

70: 2013/06/04(火) 20:47:09.10
>>59 生まれてから死ぬまでずっと鎌倉じゃないの?
でも24年も将軍にいながら一品になれなかったのは何でだろう?

71: 2013/06/04(火) 21:03:35.69
>>70
守邦親王が一品になれなかったのは天皇の孫だからじゃないの?
親王将軍4人中、一品に叙されたのは天皇の子だけ
後嵯峨天皇皇子・宗尊親王と
後深草天皇皇子・久明親王の2人が一品
惟康親王(宗尊親王の子・後嵯峨天皇の孫)と
守邦親王(久明親王の子・後深草天皇の孫)は二品どまり

72: 2013/06/04(火) 21:16:15.16
>>71
なるほど

60: 2013/06/03(月) 22:58:16.31
前までは成人した途端に難癖つけられて京に送り返されてたのにな。

61: 2013/06/03(月) 23:24:33.09
守時は子供いたの?
戦死したの四十歳くらいだっけ?
だったら子供いてもおかしくないよなあ

63: 2013/06/03(月) 23:57:06.75
>>61
北条益時という息子の存在は知られている
益時は守時と一緒に鎌倉を防戦して新田義貞軍と戦い、敗れて守時と共に自刃した
一説には益時は守時の兄弟の子で養子という説もあるがよくわからん

64: 2013/06/04(火) 00:22:36.58
>>63
北条時益というのもいたな。こっちは六波羅探題にいて落ち武者狩りで死亡。
政村の末裔なのに非業の最期とは。

62: 2013/06/03(月) 23:39:51.07
守邦親王は鎌倉幕府歴代将軍中、一番在任期間が長かったらしい。
在位24年。
守邦親王は後深草天皇の孫だからいくらなんでも
生きていれば都に帰れた可能性はあるが鎌倉で暗殺された説もある
ちなみに鎌倉幕府将軍は9代続いた
(源氏将軍→摂家将軍→親王将軍と血縁や氏姓は変わっている)

65: 2013/06/04(火) 09:36:01.88
北条氏は女系を通じて次世代政権の足利氏にも血引き継がれてるせいか
滅亡しても、それほど悲壮感かんじないな
平家とかには哀愁感じるんだけどね、

67: 2013/06/04(火) 19:02:47.97
>>65
平家も女系は残ってるんだがな
大河では清盛の娘は盛子と徳子しか出てこずこの血は残らなかったが清盛は他にも娘が多く公家の妻などになっている
清盛の女系の血は天皇家にもつながっている
平清盛ー女(冷泉隆房室)ー四条隆衡ー四条貞子(西園寺実氏室)ー西園寺女吉子(後嵯峨天皇中宮)ー後深草天皇→現在の天皇家

76: 2013/06/06(木) 08:21:00.03
>>65
平氏は全滅したどころか現代まで末裔が多数いるのに壇ノ浦で全員死んだかのような誤解があるからな。
つーか、北条とか、長崎とかおもいっきり平氏一門を自称してるやんw

78: 2013/06/06(木) 17:45:14.05
>>76
平家=平清盛一門
平氏=平姓全般

なので北条や長崎は平氏を称したというだけで「平家」ではないよ
家系図が確かかどうかも分からんけどね

66: 2013/06/04(火) 16:31:08.47
足利義兼 正室は北条時政の娘
足利義氏 正室は北条泰時の娘
足利泰氏 正室は北条時頼の妹
足利頼氏 正室は佐介流北条時盛の娘
足利貞氏 正室は金沢流北条貞顕の妹
足利尊氏 正室は赤橋流北条守時の妹

こんだけ何重にも婚姻関係結べばそりゃ裏切るなんて思わないよな

68: 2013/06/04(火) 19:47:24.32
家が滅びる時に一族の男子は殺されても女子は余程の事がない限り殺されないから、
女系まで完全に絶たれるってことはほとんどない。
源頼朝と豊臣秀吉は女系も絶たれたけど、
頼朝の同母妹の坊門姫と秀吉の甥の娘の豊臣完子がそれぞれ血を残してる。

69: 2013/06/04(火) 20:34:16.94
>>68
源氏は一応戦で一門全滅というわけではないので…
頼朝の直系は男系・女系ともに孫の代で途絶えたが
同母妹、異母弟などの血は残る

豊臣宗家は戦で滅亡
秀吉の孫娘(秀頼の娘)・奈阿姫は徳川家に許されず出家を命じられ
嫁ぐことを禁じられたので処分は重いほうか
千姫の助命嘆願のお蔭で助かり尼となることを条件に助命というが
助命嘆願がなければ家康は女子の奈阿姫を斬るつもりだったのかな?
秀吉も実姉の血は残っている

73: 2013/06/04(火) 21:46:15.49
>>68
その昔、ブルボン家(と言うかカペー家以来のフランス王家全部)がカール大帝の血を引いていると聞いて血筋とは余程のことがない限り絶えないものだと思った。

74: 2013/06/05(水) 19:14:21.36
カペー家は今でもスペイン国王として君臨してるからな

77: 2013/06/06(木) 12:34:04.97
まあ、清盛の弟の頼盛の家系は普通に生き延びたわけだし。
でも北条は平氏を名乗ってはいるけど時政の父親の素性すら曖昧で
家康が源氏を名乗ってるくらい信憑性がない。

79: 2013/06/06(木) 22:39:07.55
平家が滅んだ跡の貞盛流の嫡流て伊勢氏になるのかね?
頼盛の流れもいつの間にか行方不明になってるみたいだし

81: 2013/06/06(木) 23:16:35.37
>>79
嫡流の定義そのものが曖昧だから特定できない

94: 2013/06/11(火) 23:58:34.47
>>79
伊勢氏が戦国時代に北条氏を名乗ったのは、
北条氏が平氏を称してたのと関係してるのかも

98: 2013/06/12(水) 17:37:38.83
>>94
伊勢氏が北条名乗ったは関東制圧に正当性持たせるためだと言われてるが
意外に同族意識あったのかもな。

80: 2013/06/06(木) 23:09:50.91
最後の戦いで北鎌倉からわざわざ大船の近くまで出撃したんだよな。
ホーム戦とはいえ、よく少数兵力で打って出る気になったもんだ。

82: 2013/06/07(金) 23:33:00.65
赤橋流当主は長時から代々六波羅探題北方に就いてるんだけど守時はそれを経ずにに評定衆に就いてるな

83: 2013/06/08(土) 15:25:16.20
>>82
貞顕が突如執権辞任したから六波羅に行かずにすぐ執権についたんじゃね?

84: 2013/06/08(土) 17:00:37.26
妹が足利高氏に嫁いだばかりに、最後のほうは鎌倉に居るのも
嫌であったろうな、周りからは疑いの目も・・・。

87: 2013/06/09(日) 18:09:23.96
>>84
守時は尊氏正室の妹と妹の産んだ尊氏の嫡男を鎌倉から落としている
北条家に対する裏切りと取られても仕方がない
尊氏は鎌倉に残した妻子が斬られることを承知の上で六波羅探題を攻めたし
守時は大事な人質を逃がしたわけだから

91: 2013/06/10(月) 23:19:52.52
>>87
妹を助けるにはその方法しかなかった、とか?

85: 2013/06/08(土) 18:38:45.93
明の時代の武将・徐輝祖みたいだ
似たような歴史てどこにでもあるんだな

88: 2013/06/09(日) 18:52:51.68
尊氏も正室と離縁するどころか義詮に家督を継がせてるし、その後も子供作ってるな
何で側室の子とはいえ長男の直冬じゃなくて
前政権の血を引く義詮に継がせたりしたんだか

89: 2013/06/09(日) 19:11:21.33
>>88
武士の政権ということで前政権の事実上の指導者・北条氏の血を入れたかったんじゃないのかな?

90: 2013/06/10(月) 22:25:25.51
やっぱ側室越前局ってのがあまり身分高くないからだろうね。直冬は
守時が、義詮を逃がさずに始末していた場合は直冬が継いだかもしれんけど。

92: 2013/06/11(火) 00:53:12.17
嫡男は仕方ないとして嫁まで斬るかなあ。それに裏切った段階で処刑しても無益な殺生だと思われる可能性も…
高氏もそこまで見越してたりして。

93: 2013/06/11(火) 08:00:09.38
>>92
女性が斬られた例は少ないとはいえ戦国時代には実際にある
嫡男が人質にされることはよくあるが
妻や母が人質にされたこともよくあったよね
女性は絶対に斬らないのであれば妻や母が人質になる意味は全くないのに

96: 2013/06/12(水) 07:51:54.15
>>92
保元の乱では上皇方についた貴族、武士は藤原頼長、平忠正、平家弘、
源為義など、悉く女子供老人も含め悉く三族皆殺しになっている。
(もちろん後白河法皇方についた者及びその直系を除く)

97: 2013/06/12(水) 12:34:01.40
日曜日に鎌倉の浄光明寺近くにある守時屋敷跡に行ってきた。
ここに北条氏の屋形が立ち並んでいたんだなあと思いながら散策してきた。
とてもよい日曜日であった。

99: 2013/06/12(水) 20:27:38.97
そう言えば大江の末裔の方の北条さんは北条に使えていたときは毛利を自称していたな。

100: 2013/06/15(土) 09:51:32.30
最後の執権なのに中高の歴史でもろくに教えないね。
教育指導要領にちゃんと教えるよう記載しろよ。