1: 2012/08/26(日) 16:51:52.99
大和朝廷未満の歴史を抹殺している日本書紀を
日本古代史の教科書として信じますか。

引用元: ・日本書記の記述を信じますか

2: 2012/08/26(日) 16:58:07.06
聖書の記述すら信じている人がいるからな

20: 2012/08/30(木) 08:56:14.08
>>2
> 聖書の記述すら信じている人がいるからな

今はキリスト教徒でも聖書の記述を信じている奴は少ないだろう

27: 2012/09/10(月) 15:31:48.76
>>20
天地創造や創世論を信じて進化論を学校の教科書から排除するように要求してる団体がアメリカにある
これが結構大きな勢力みたいだよ

4: 2012/08/26(日) 22:13:25.66
信じる信じないって宗教かよ

16: 2012/08/29(水) 21:03:23.32
日本書紀の編纂目的は藤原の絶対権力、権威を保持維持するために、
藤原不比等が自らの生い立ち(百済の血)を消し去る事を目的としたのでは
ないかとの推察がある。自らの過去に関連する、不都合な事柄を、例えば
ヤマト建国に大きい影響を与えたされる弥生から四世紀に渡る、出雲の存在を
抹殺したと思われる事実等々、不比等以前の歴史の事実を覆い隠すため、
年代無視の神話化に走ったと推測される事柄が多い。

17: 2012/08/29(水) 21:12:07.75
記紀を信じる奴は日本史勉強してない奴か苦手だった奴、それ以外なら天皇万歳カルト宗教の教えを信じてる奴
日本史を勉強した奴は記紀が日本史ではない事を知っている

25: 2012/09/01(土) 16:52:37.97
>>17
古事記はともかく日本書紀なしにどうやって日本の古代史を知るの?

19: 2012/08/29(水) 22:52:57.30
生長の家で勉強するべし

21: 2012/08/30(木) 16:38:06.83
アメリカでは進化論は「ひとつの考え方」として教えられていて絶対視することが禁じられているが
それすらも不満に思って子供を公立に通わせず、私立で天地創造説を徹底的に教え込む家庭も珍しくない

22: 2012/08/30(木) 16:52:14.64
記紀の記述程度ならともかく聖書の記述まで信じ込ませる教育とは恐ろしいことね。

26: 2012/09/09(日) 13:06:05.19
武内文書は、旧宮内庁にによって灰になった。

28: 2012/09/10(月) 19:37:42.04
いまだに聖書の記述を信じる人達がいるとは恐ろしいことだね

29: 2012/09/11(火) 06:29:30.02
何を今更

30: 2012/09/11(火) 07:41:53.00
大戦後のどさくさに紛れて聖書に書いてあることを理由にパレスチナを武力で強奪した民族までいるのだからな

31: 2012/09/27(木) 20:57:39.15
私、日本書紀の記述を絶対的に信頼しております。

32: 2012/09/27(木) 21:14:29.61
信じる者は助われるよぉ~ん

各地の言い伝えを広範に編集してるわけであって
おとぎ話なわけネぇーだろっ ぼぉあ~かめっ! www

33: 2012/09/28(金) 05:03:16.82
>鉄を求める求心力が、纒向を発展させる。
纒向あるいはその周辺に、鉄が集中したのかどうか?
例えば、方保田東原、諏訪原、西弥護免などと比して。

34: 2013/03/09(土) 14:48:02.91
私はこれまで九州王朝説に否定的だった。
倭の五王と歴代天皇の名前が次のように対応するからだ。

讃とホムタワケ(應神)ホム=誉める、賞賛する
珍とミヅハワケ(反正)ミヅ=見ず、珍しい
済とワクゴノスクネ(允恭)スクネ=救う、救済する
興とアナホ(安康)アナホは地名と思われるので不明だが
オシハ、又はオシハワケ(雄略のライバル)オキ=興
武とワカタケル(雄略)タケル=武

だが、足利高氏が後醍醐(尊治)天皇から「尊」の字をもらって尊氏になったように、
近畿の天皇が九州の倭王から名前をもらったと考えるほうがよい。

ホムタワケ=讃の分家
ミヅハワケ=珍の分家
ワクゴノスクネ=幼子の済
オシハワケ=興の分家
ワカタケル=若い武

すべて、倭王が上位で天皇が下位であることを示すように思われる。

35: 2013/03/09(土) 16:01:53.14
天皇の漢風シ号は、倭の五王の名を元に淡海三船らによってつくられたようですよ。

36: 2013/03/10(日) 08:44:09.53
面白いことに、
科学的な研究や考古学が発展すればするほど、
かつての逆皇国史観の古代史研究者の期待に反して、
記紀の記述の裏付けが取れていく。
稲荷山鉄剣銘だとかその他。
日本書紀の紀年については、すでに明治の学者によって、
だいたいの考え方の道筋がつけられている。
逆皇国史観論者なんて、
都合のよい部分だけ記紀を切り貼りしているだけだから、
たいした学者の生まれなかった。

37: 2013/03/10(日) 09:21:40.40
記紀では天皇は木花咲耶媛の子孫なので短命だとあるのに100歳までいきたとされる天皇が少なくない
これはつまり、記紀がそれ以前の言い伝えに忠実に記録されていることと、記紀成立あるいは言い伝えの伝えられる段階で複数の伝承が合わせられていることを示している

38: 2013/03/10(日) 09:27:45.32
書紀の記述からは正しい年代も導き出せる。

天皇   西暦     増し(1章=19年 空白年の差し込み) 
神武天皇 42年~63年  3章 手研耳による空白年を含む。弥生後期、Ⅴ式土器の始まり。近江伊勢遺跡の勃興。
途中省略
開化天皇 184年~188年 ≒3章-2年 2年の異常 開化崇神は同じ暦
崇神天皇 189年~216年 ≒2章+2年 五,六年の記事は、後漢193年=新羅192年~3年に対応。近江伊勢遺跡などの衰退。
崇神58年=新羅209年=三国遺事211年任那建国。
3世紀前半の大型建物=珠城宮
垂仁天皇 217年~239年 4章 邪馬台国官伊支馬=垂仁・都市牛利(たしうり)=田島守
ホケノ山 楽浪鏡・埴輪(穴あき壺)石囲い木槨、殉葬墓。
景行天皇 240年~261年 2章 
3世紀初めの大型建物を取り壊し、土盛りと整地をして、中期の大型建物=日代宮
250年ころ 庄内式土器(纒向3類)が北部九州へ持ち込まれる(九州遠征)
倭人伝 使大倭監之、 自女王國以北、特置一大率、檢察諸國、諸國畏憚之、常治伊都國、於國中有如刺史。
大和は伊都国に勅使の如きを置き、女王国(九州)の北に置いた1大卒を監督し諸国を検察する。
諸国はこれ(一大率)を畏れ憚る、(大倭)は常に伊都国に於いて(諸国を)治める。
箸墓(260±10年)最初の大王墓=景行墓
成務天皇 262年~265年 ≒3章 仲哀と同じ暦の可能性がある。
仲哀天皇 266年~274年 ≒0章 273年日食(神功元年に注入)一大率を渡海させる。
神功皇后 275年~343年 磐余稚桜宮は、桜井茶臼山。誉田御廟山までは110年。
326年 神功52年 七支刀 東晉明帝太寧4年5月16日丙午
応神天皇 344年~384年  百済本紀とは、46年の誤差がある。
仁徳天皇 313年~399年 神功三九年大歳を元年とする。

百済王家を支持しても、その記述が正しいとできない年代を捨てたのが今の考古学なのである。

39: 2013/03/10(日) 09:40:29.72
書紀は古記のいう暦で編纂されており、仲哀元年閏11月で数えられる暦と安閑天皇元年(甲寅五三四)◆閏十二月
から逆算できる仁徳紀以降の暦の二つに分けることができる。
そして仁徳紀の仁徳13年(閏12月の年)に狭義の朔旦冬至が来る。

『令集解』陰陽寮条の「古記」は 「暦数は、十九年を一章と為し、三年閏九月、六年閏六月、九年閏三月、
十一年閏十一月、十四年閏八月、十七年閏五月、十九年閏十二月とす」という。
この暦に書紀をあてがうと、安閑天皇元年(甲寅五三四)◆閏十二月己卯朔から仁徳まではさかのぼれる。
しかし、神功・応神紀は、仲哀天皇元年(壬申一九二)閏十一月乙卯朔の暦であり、仁徳以降とはつながらない。
しかも『神功・応神紀には百済王家が、仁徳紀には「廿餘年無事矣」と短くできない』という制約がある。
であるならば、暦を重ねて古事記のいう年数に合わせる。
仲哀天皇九年(庚辰二〇〇) =19年目=274年 古事記壬戌年、応神誕生。
神功皇后摂政元年(辛巳二〇一) =1年目=275年
神功皇后摂政三九年(己未二三九)大歳 =1年目=仁徳元年=313年=7年目 
仁徳天皇十三年(乙酉三二五) =19年目=325年 狭義の朔旦冬至。
仁徳天皇八七年(己亥三九九)春正月戊子朔 古事記=399年丁卯年
安閑天皇元年(甲寅五三四)◆閏十二月 =19年目=534年 ←ここから逆算。

42: 2013/03/10(日) 16:11:32.11
遡れるって言っても、応神ぐらいまでだろ

43: 2013/03/10(日) 17:09:31.79
神武天皇的な大和朝廷の基礎を作った人物はいるんだろうが欠史十代は後世の脚色があると思うけどね~。


何にしても古代日本史は卑弥呼の正体が鍵を握ってるわな。色々と都合悪いことがあるんだろうけど宮内庁は少なくとも
箸墓古墳ぐらいは調査許可出してもいいと思うの。

現状のままじゃ何時までたっても決め手となる物が出てこない。

44: 2013/03/10(日) 17:15:07.73
纏向遺跡から桃の種出てきたんだっけ?

まあ畿内説が有力なんだろうけど、如何せん神武東征があるからまだ九州説もあるのか…
最も邪馬台国→大和朝廷とは限らないけども。

45: 2013/03/10(日) 18:22:54.49
日本書紀と古事記を信頼するのが当たり前。
ほかに信頼に値するものはないから。

考古学は記紀の記述をいじくっているだけ。
考古学で弥生時代の歴史を全部語ってくれるんだったら
信じてもいいが…。

有利な根拠なんてのは全然ないのに、
畿内説は有利、有利を念仏のように唱えている。

55: 2013/03/12(火) 15:45:47.99
>>45
>日本書紀と古事記を信頼するのが当たり前。

なら、神功の新羅の役が皇紀860年。建安五年(200)。九州の宮から戻り、若桜宮での崩御が皇紀929年。
こんなのが「信頼出来る記述だ」と言う主張に従えば、この神功こそが、倭人伝の女王。勿論、畿内大王家の一員。

>有利な根拠なんてのは全然ないのに、畿内説は有利、有利を念仏のように唱えている。

いや、君の主張に従えば、畿内大王家の女帝が、後漢末に九州経由で、半島を攻め内官家屯倉を定めている。
正に、広域倭国を君は主張している訳だ。(笑)

46: 2013/03/11(月) 11:02:00.91
>日本書紀と古事記を信頼するのが当たり前。
>ほかに信頼に値するものはないから。

実際には、3国志百済本紀を信じている。だから、七支刀16日丙午も「16日丙午の存在しない169年」をあてがう。
書記の記述では、神功49年の領土分与、翌年にその確認に百済から使者が訪れる。その確認後の52年が七支刀 である。
そうすると、記年できるのは、神功50年以降の年度にならなければならない。
372年神功52年に369年(神功49年)銘の七支刀。よって 大いに狂いがある。
つまり、これだからこの数字を捨てたのが考古学であり、現在の纏向年代なのである。

>考古学は記紀の記述をいじくっているだけ。

考古学の50年遡上は七支刀も50年遡上させなければ整合しない。
326年神功52年 七支刀 東晉明帝太寧4年5月16日丙午(東晋17日丙午)
書紀はこのように存在する日付をあてがっているのだよ。

47: 2013/03/11(月) 11:17:35.72
開化天皇 184年~188年 3章-2年(増55年) 開化、崇神は同じ暦
崇神天皇 189年~216年 2章+2年(増40年) 
垂仁天皇 217年~239年 4章
景行天皇 240年~261年 2章
成務天皇 262年~265年 3章 成務、仲哀は同じ暦の可能性が有る。 古事記267年乙卯
仲哀天皇 266年~274年 0章 古事記274年壬戌
神功皇后 275年~343年 ・・・+46年で百済本紀と整合する。
応神天皇 344年~384年 
 
仁徳天皇 313年~399年 神功三九年大歳を元年とする。・・・+46年を使用する場合は使えない。
履中天皇 400年~405年  古事記399年丁卯、古事記404年壬申
反正天皇 405年~411年 古事記409年丁丑
允恭天皇 412年~453年 同4年盟神探湯。 

纏向遺跡は崇神・垂仁・景行時代の遺跡である。
つまり、2世紀末に各地の土器が持ち込まれたのがその初めである。
崇神5、6年疫病・餓死・逃散から同10年異族多帰が2世紀末。
そして、「神功三九年大歳」は天皇即位の年になりその天皇は古事記のいう
仲哀の死(応神誕生)から仁徳の葬儀までと同じ時間となる

48: 2013/03/11(月) 14:29:20.29
われわれ日本人のご先祖が遺してくれたのだから、
四の五の言わずにありがたく信奉すべし

53: 2013/03/12(火) 12:20:48.20
もう古代史は電波説が多すぎてこれもうわかんねえなぁ

54: 2013/03/12(火) 14:16:01.40
どっかのテレビ局が移動手段再現して検証してくれれば良いのに

56: 2013/03/12(火) 16:01:43.58
戦中に日帝の学者が改ざんしたから今の日本書紀は偽者に決まってる。

58: 2013/03/12(火) 16:31:01.85
景行天皇はいたかもしれないが、景行天皇~神功皇后までの事跡は、
九州の豪族の話を付け加えたもの。

景行天皇に該当する天皇さえいなくて、まるまる九州の豪族の話を、
貼りこんだ可能性さえある。

59: 2013/03/12(火) 16:49:01.09
応神天皇 344年~384年←応神を仁徳の下に落ちるメルト・ダウンのイカサマ
仁徳天皇 313年~399年←仁徳を応神の上に浮かぶメルト・ダウンのデタラメ

60: 2013/03/12(火) 16:50:31.39
273年日食(神功元年に注入)←日食が数日間継続値は現代天文学否定の紀違い

61: 2013/03/12(火) 17:25:40.60
アメノイワフネ(天磐船)=四国説は難し過ぎますか?

63: 2013/03/12(火) 18:14:20.70
>景行天皇~神功皇后までの事跡は、九州の豪族の話を付け加えたもの。

さらに付け加えると 神功渡海。 是以。新羅王常以八十船之調。貢于日本國。
神功渡海はこの新羅の調で説明できなければならんのだよ。
つまり新羅の調とは、274年以降の対価として存在するのだ。
その対価とは
まず半島に軍を派遣する(大倭が九州北部に置いた1大卒)その仕事として、半島で警察軍として活用する。
当然駐留させる必要経費が発生するのであるからそれを辰国(新羅)が中心となって倭国へ上納する。
つまり、その調として大量の鉄器が考えられるのである。
その大量の鉄器を副葬した古墳が桜井茶臼山以後の古墳になる(メスリ山・黒塚・椿井大塚など)

64: 2013/03/14(木) 23:15:40.17
歴史を元にしてるが歴史書じゃないもの
生き方を示唆した書だからな

67: 2013/03/18(月) 09:25:12.03
日本書紀は聖武天皇によっても改竄され原本が焼き捨てられてるからなーw

68: 2013/03/18(月) 15:23:16.94
邪馬台国の所在地、記紀・風土記の虚実に関わらず、
天皇家の女系先祖が卑弥呼の姪である女王台与であることには、みんな異論ないよね?

つまり【天皇家の男系先祖は一体誰なのか?】が日本古代史最大の謎であることにいい加減気付くべき

71: 2013/03/18(月) 19:55:56.90
不比等が色々弄ったからなぁ。

蘇我氏を悪役にせねば!という大義名分がその根底にある。

72: 2013/03/18(月) 20:38:52.80
蘇我といっても蝦夷-入鹿系ね。ほかと一緒くたにしないほうがいい。
乙巳の変後も、石川麻呂・連子・赤兄と蘇我倉系は大臣を出している。
それに不比等の嫡妻・媼子は馬子の曾孫。南家武智麻呂や北家房前の母である。
御承知のとおり、持統・元明の母が石川麻呂の娘であることからすれば、
「不比等時代」の天皇たちは軒並み馬子の血を引いているわけだ。
またこの時代、蘇我一族の豪族からも多くの廷臣が出ている。
あと有名な石川年足墓誌が、藤原(中臣)氏との縁が深い摂津三島の地から出ているのも興味深い。
年足は蘇我の後裔・石川氏の宗家当主であり、武智麻呂・房前の従兄の子に当たる人物である。

73: 2013/03/18(月) 21:02:33.01
>>72
言葉足らずですまない

確かに蝦夷-入鹿を嫌ってる節があるのが、やはり何かしら藤原の思惑を感じてしまうんだよね。

結局、乙巳の変後に石川麻呂の首も塩付けにされちゃうしね。
これ、誰が塩付けにしたんだっけ?


不比等のやった事は、大伴、物部、蘇我のポジションを謀事でやすやすと手に入れ、それを手離さないための地盤固めをしたわけだね。
そして、鎌足の業績を正当化し、出自をぼやかすための工作をしてるように思えてしまう。

天武が完成を目指した日本書記の内容と、とれだけかけ離れているのだろうな。

74: 2013/03/18(月) 22:36:03.66
>>73
日本書紀に、中臣蓮遠祖大鹿島って書いてあるが
しかも春日大社を造営してるし
ぼやかすので無くて、逆に語りたかった気がするが

76: 2013/03/20(水) 21:55:18.28
馬子-蝦夷-入鹿の挙げた功績を、聖徳太子の功績に当て嵌め聖人君子とし、その子孫山背皇子を抹殺したという事に仕立てあげ、蘇我は悪の存在へとする事で、勧善懲悪のストーリーを仕立てたのは不比等ですか?

79: 2013/03/22(金) 01:51:56.30
出雲って結局、何なの?

製鉄技術と独自文化を持つ部族だったけど、大和政権にまあ無理矢理組み入れる(国譲り)代わりに
祭祀権あげてでっかい神社を作り、神無月に出雲に神が集まるってコトにしたってコト?

逃げた人も見逃してあげた…と。

でも朝鮮の影響もあるって気がするんだけどなあ。製鉄技術だし。スサノオだし。

80: 2013/03/22(金) 10:51:52.80
「国譲り」とは何なのか?これだね。
「国譲り」とはたとえば 半島の辰国は自ら王を立てられず馬韓人を王とした。
そして 自らが王となったのは、奈勿聖帝2年にその決定をしている。
我が国においては 馬韓王の代わりに大物主が居り辰国の代わりに天照大神がいた。
天照大神の弟のスサノオが出雲に入った時点を「国譲り」としているのであるが
崇神6年に大物主の初子タタネコが崇神に使える。
その崇神60年に出雲の振根が殺される。つまり、この時点で大物主がこの地上から消えるのである。
つまり 崇神に譲位した大物主の正体は、出雲の振根となって九州にまで影響力のある人物であったが
その振根が殺されたことにより九州王朝は瓦解するのである。
新羅 192年 4月大雪。(後漢 193年 6月寒風冬の如し。)=崇神5年。
新羅 193年 6月倭人飢餓の為渡来する。=弥生後期末の出来事である。=崇神6年
新羅 209年 伽耶に援軍。三国遺事 加羅 541年 建国330年で新羅に身を寄せる。=崇神58年

振根が殺されたのはAD210年ころになる。それは九州が「無主歴年」と書かれた時代と重なる。
共立卑弥呼は238年のできごと。
「歴年」とは、19年7閏を1章とする時空がその基準である。

87: 2013/03/24(日) 13:07:49.34
不比等がどうとか、まんま陰謀論

88: 2013/03/24(日) 14:51:31.04
各家の史紀が違っているから、
まとものものを作る、って言う記紀の序文の意図は、
まんま陰謀論やね

90: 2013/03/24(日) 18:24:47.41
日本書記ってこれ聖書ってより封印書だもん
人間の心の持ちようを綴ったりしてな

91: 2013/03/24(日) 18:26:54.11
自分たちで好きなように想像して遊ぶのが正解なんだよ

92: 2013/03/24(日) 18:33:23.09
まあもともと聖書の正体ってのはほとんどが封印書だろ
真実を知ればほとんど絶望しか残らないからそれを書き残すとき
あえて真実を分からないようにして過去から未来への警告みたいな
感じでな、それを解いた人はそっと胸に秘める

 これが本当の意味

97: 2013/03/24(日) 19:11:09.41
ニニギが空から舞い降りた事を認めろ
ニギハヤヒが空から舞い降りた事を認めろ

98: 2013/03/24(日) 19:11:45.14
認めてますけど

99: 2013/03/24(日) 19:13:18.37
だって月は空に浮かんでますもん
日本人の宇宙への帰還願望ってのはこれ

100: 2013/03/24(日) 19:16:06.59
ムーが流行るわけやねw