1: 2018/07/31(火) 18:05:41.68
年中生野菜を食べられる温暖な気候、
入れ墨やシャマニズムなどの文化習俗、
記録された距離、方向から想定される位置から考えて、
邪馬台国は沖縄に比定するのが妥当である。

邪馬台国の7つの国を統率した女王の墓域は北谷海底遺跡だった。
狗奴国はテイ[魚是]人が居住する先島諸島の21カ国の最果てにある与那国(海底遺跡)だろう。

侏儒国は小笠原諸島、
裸国、黒歯国はサイパン、グアムと推定される。

沖縄の邪馬台国はその後、地球のプレート活動により水没したが、
度重なる自然災害に危機感わ覚え始めていた邪馬台国はそれに先立って、
豊富な鉄器を持って九州・日向(宮崎)に侵攻して新王朝を建設したものと推測される。

引用元: ・邪馬台国沖縄(琉球)説 Part1

4: 2018/07/31(火) 18:27:58.43
倭人伝の工程表をすなおに読めば琉球になるんだっけ

5: 2018/07/31(火) 19:03:23.47
ただ、七万余戸とか言われると、沖縄はきついね

6: 2018/07/31(火) 21:17:17.40
>>5
邪馬台国は中国使節を自船に乗せ替えて自国までの正確な距離を把握させないようにし、
自国までの距離と自国のスケールを過大に認識させようとする偽装を行い、
侵略される危険回避を図っている

16: 2018/08/07(火) 03:33:27.91
沖縄説に対していまだ効果的な反論が出ないね

17: 2018/08/07(火) 03:38:35.00
琉球だったら琉球でいいんだけど、じゃあ九州や奈良にあるあの例の
膨大な遺跡群はいったい何なんだよという根本的な話しがな。まあ
琉球なら、じゃーん実は琉球でしたーでおしまいなんだけどさ。

18: 2018/08/07(火) 05:41:52.82
>>17
別物でしょ
スサノオの前には出雲には大国主命が繁栄してたし、
神武の前には大和には饒速日がれっきと存在してる
倭の五王は東へ西へと侵攻し交戦してる
そこには先住部族が集落や国を形成していた
他は無人の荒れ地だったと考える方が不自然だ

22: 2018/08/07(火) 09:43:39.27
琉球だと、七萬余戸が入る場所がないからな
あと、陸行一月もきついし

23: 2018/08/07(火) 09:47:58.17
陸行1月は日本のどこでも無理。

25: 2018/08/07(火) 12:36:16.77
>>23
>陸行1月は日本のどこでも無理。

隋書で東西5ヶ月南北3ヶ月って書いてあるから、大丈夫じゃない?
其國境東西五月行南北三月行
水行か陸行かは書いてないけど

26: 2018/08/07(火) 17:04:36.82
入墨の風習があるだの漁労がさかんだの、琉球とおもわせる記述自体はあるんだよな。
べつに琉球でしたでほんと構わないとはおもうんだよ。地政学的にもそのあたりになるんだし。
日本のおおくの部族のなかから、たまたま琉球の連中が九州経由、朝鮮経由で北魏に行った。
それで何も不思議はない。むしろ奈良の強大な権力がわざわざ北魏に出かけて権威を承認
してもらわなければいけない必然性がない。

27: 2018/08/07(火) 17:57:32.04
>>26
>むしろ奈良の強大な権力がわざわざ北魏に出かけて権威を承認
>してもらわなければいけない必然性がない。

鏡その他が欲しかったんじゃないの?

28: 2018/08/08(水) 01:30:08.54
一年通じて生野菜と言うんだから沖縄で決まりなんだよ
でも江戸時代から近畿か九州かと論争してきて実わ沖縄でしたではたまったものではないという心理的な抵抗が生じるのだろう
ゆえに沖縄など無視しようとなる
既成の認識では邪馬台国が直線的に大和になったという発想になってるから、
てんで離れた沖縄に邪馬台国など許せないという気持ちもあろう

30: 2018/08/08(水) 10:17:27.37
>>28
>一年通じて生野菜と言うんだから沖縄で決まりなんだよ

生野菜に関してだが、江戸時代は平均気温が低いとされていた時代ではあるが、
多くのものが生で食べられている事が、「料理物語」に記されている。
この本の料理は、料理名などから近畿~東海~関東地方の料理が書かれていると
推測できるようだ。

生野菜で沖縄に限るというのは無理のようだよ。

33: 2018/08/08(水) 13:12:28.22
大事なことはそこで[イ詹]耳・朱崖(=海南島)の地名を持ち出した点だ
あえて出してるからには海南島との酷似を意識している
気象や風土・風俗がまるで同じだと感じたからに相違ない
海南島を持ち出して語れば即座に邪馬台国の情景を理解できるのである
日本にあるそのような土地とは沖縄に他ならない

34: 2018/08/08(水) 13:23:03.91
>>33
>あえて出してるからには海南島との酷似を意識している

逆なんだよ
倭人というのが、百越の一派という認識が中国側にあって、
それで倭人を勝手に「儋耳朱崖」の近く認定してるんだよ

36: 2018/08/08(水) 13:44:57.53
物は移動できるが気象は移動できない
何を産出してるからそれはここだとは言えないが、
こういう気候であるならここだと言ってよい
遺物から場所を特定するより、気象で特定する方が確実だ

39: 2018/08/09(木) 12:37:41.32
中国の使節は邪馬台国で一年を過ごしたわけじゃない
ある特定の一時期にすぎない
なのになぜ夏も冬も生野菜を食すると解せるのか?
倭人から聞いたのかも知れないが、
それは温暖という気候情報とセットにして語られてるのだから、
使節側での判断であり推測と感じる方が自然だ
そうすると来倭の時期がいずれであれ、
その時期の気温や自然、風土から察して冬も温暖であり、
ゆえに冬でも生野菜だと推測できたのだろう
皆裸足だという記述もまた同じである
冬も裸足で生野菜食の温暖な気候、
それは海南島と共通する南方島嶼の気象そのもの、
すなわち沖縄の気候を意味しているのである

40: 2018/08/09(木) 12:46:45.48
>>39
>中国の使節は邪馬台国で一年を過ごしたわけじゃない

対馬海峡を渡るのに、天候の安定した夏に渡ったんじゃないかって人は多いよ
行きも帰りも夏なら、一年は倭国にいることになる

まあ、人によっては、248年に来た張政が、266年の晋への朝貢まで18年
倭国にいたって考えてたりするけれど

41: 2018/08/09(木) 13:49:02.43
一年以上滞在したのなら、季節ごとに食事や服装、仕事(農業・漁業)や風習や風俗、文化の差違に関して叙述したはずだ
それがないのは季節の違いが小さいから、
つまり一年を通じて温暖だからだ

42: 2018/08/09(木) 13:50:48.71
魏志倭人伝の記述者は、実際には倭国を訪問してないというのが実情のはず
記述はあくまで伝聞にすぎないと理解してたが。

43: 2018/08/09(木) 14:16:52.74
少なくとも冬に郡使は伊都にいて生野菜を食べたんだよ。
何を食べたんだろうね?

44: 2018/08/09(木) 14:34:59.61
古代で生食できる植物なんてあったのかね。「生菜」は地面に生えてる艸(くさ)という
解釈のほうがただしいんじゃないのか。漬物とかは理論的には「なま」で、ダイコンは
弥生時代には日本に来てるみたいだから、そういうたぐいの漬物の可能性はあるけれ
ども。

49: 2018/08/09(木) 17:36:05.75
白菜や大根ならあったかもね。

50: 2018/08/09(木) 17:42:36.04
でも、逆に言うと「所有無與儋耳朱崖同」と「計其道里當在會稽東冶之東」以外には
沖縄だっていう理由なくね?

陸行一月もきついし、七萬余戸も無理

57: 2018/08/10(金) 10:24:40.57
>>50
女王國東 渡海千餘里 復有國皆倭種 又有侏儒國在其南 人長三四尺 去女王四千餘里 又有裸國黒齒國 復在其東南 船行一年可至

59: 2018/08/10(金) 10:44:32.94
>>57
まさか、侏儒國、裸國、黒齒國が、実在の国だとか思ってないだろうな?
山海経や、淮南子に載ってる、伝説の国だぞ?

61: 2018/08/10(金) 10:56:15.83
>>59
伝説だろうが何だろうが、
邪馬台国の東方、さらに東南海の地理的認識が示されてる
すなわち邪馬台国は絶海中にある島嶼国で、はるか遠くにまだいくつもの島国があると
その島々を何に紐付けるかで不確かな記述が紛れ込むこともあろう

63: 2018/08/10(金) 11:47:57.24
>>61
>東南海の地理的認識

>>61自身が書いているように、大陸中華の地理的「認識」が書かれているだけなんだよ
現実の地理と一致している訳でもない

51: 2018/08/09(木) 17:44:23.60
白菜は明治以降に日本に来てるので多分違う。なんらかの地場産の
野草は食用にしていたのは確実だけれども、なまで食べると言うのは
江戸時代ですら無かったのだから、漬物なり乾物なりとおもうんだがな。

60: 2018/08/10(金) 10:52:07.19
>>51
豆とかじゃね?
トマトやきゅうり的なものが当時に別種であるならそれなんだろうが

52: 2018/08/09(木) 17:44:59.20
短里と長里がごちゃまぜになって帯方郡からの南行を過大評価したっぽいな。
やはり邪馬台国は九州で落ち着くだろう。

53: 2018/08/09(木) 18:27:47.33
>>52
>短里と長里がごちゃまぜになって帯方郡からの南行を過大評価したっぽいな。

「當」在會稽東冶之東で、「まさに」と書いてあるから、倭国が
會稽東冶之東にあるという知識が、その道里を計る前から存在してるんだよ

で。距離を計算してみてもやっぱり(=まさに)會稽東冶之東だった、という認識

58: 2018/08/10(金) 10:41:51.29
黒潮に乗れば東に室戸岬なり房総なり本州のどこかにたどり着く
四国や武蔵野平野はまだ閑散としてたろうそれも倭種だ
南方に出れば伊豆諸島、小笠原諸島がある
そのはるか南方にも有人島があるとの知見は、
漁中島民の漂流体験から不確かな情報として共有されてたはずだ
なにしろ縄文人ですら太平洋をまたいだ推論すらあるのだから
こうした推測は史書の記述の説明になる
だが九州や大和では無理である
なぜ帯方郡から対馬を経ての頭からの行程を事細かに検証しながら、
尻の部分の記述は一切が無視されてしまってるのだろうか?
あまりに整合性がとれない事実は、
人は無視し去ることに平穏を求めてしまいがちでそれは日常にもよくあることだ。「これは夢に違いない」
だが前提に置かれた認識の方こそを捨て去るならば、整合性の取れる別の解釈が浮上するものである
必要なことは固定観念に囚われず、
新しい考えを受け入れる勇気を持つことである
だが往々にして最も得難いものがその勇気なのだ

68: 2018/08/10(金) 14:42:01.93
例えば韓国は、不当に竹島(韓国名・独島、リアンクール島)の領有権を主張する際に、
過去の文献に記録された、時に鬱陵島の異名であったり、
もしくは附属する小島である竹嶼(チュクト)の呼称である于山島が竹島のことだと偽証したり、
あるいは附属する観音島であろう石島という、後年に出された政令に記された島名を竹島の別称だと強弁していたりする。
韓国の主張はともあれ、竹島(独島)自体が存在していることは確かな事実だ。
存在してるからこそ争いになっているし、文献上の記述が捜索されているのだ。
侏儒國以下の話もまた同じことである

70: 2018/08/10(金) 15:48:17.42
侏儒國なんてねーよ!

72: 2018/08/10(金) 16:52:27.15
沃沮人は東海上に海東(倭国)という女人国があって、奇妙な習俗と宗教を奉じていると語っている
語られた内容は怪しげなものだが、倭国がそこに位置していたことは確かな事実ではあった。

78: 2018/08/10(金) 19:56:51.39
そして帯方郡からの距離方向が沖縄を示している
これでなぜ沖縄を否定できるのか、その方が不思議だ

84: 2018/08/10(金) 22:06:10.88
そういうこともあったかもしれないが、邪馬台国ではない。

85: 2018/08/11(土) 01:25:50.67
有史以降に地震の津波まるかぶりで島民全滅した島もあるものな。とはいえ沖縄本島より
巨大な島が「水没」してしまったというのは海底地形図から考えても想定しなくていいレベルの
トンデモ説

86: 2018/08/11(土) 01:28:18.40
素直に読めば琉球だし、おれも琉球説がなぜ有力でないのかが不思議でしょうがないんだが
「海底にしずんだ巨大文明」を主張するのなら、まず見つけてから言えと。トロイアは見つけて
ようやく科学の遡上に上ったんだよ。くちさきだけでペラペラ証明しようとせず先ず見つけろと。

90: 2018/08/11(土) 14:06:22.12
沈んだ云々が琉球説を台無しにしてるんだよ
沈んだっつーなら見つけてから言え

「みつけられなかったので存在しなかったとはいえない。よって存在した」
これがトンデモの標準理論。みつけられなかったのなら何も言うな。

93: 2018/08/11(土) 15:49:50.96
沖縄は沈下して台湾は隆起してるそうだ
沖縄は昔は今よりもっと大きかったのかもしれない

99: 2018/08/12(日) 15:02:09.82
 締めくくり的にまとめるなら、 この琉球弧が、2~3千年くらい昔に今よりもっと隆起していたとしたら、
歴史が、そして地学が改められなくてはいけなくなるでしょう。

  しかし、先史時代の巨石文明は世界各地に点在していて、学者たちを困らせています。
ポナペ島のナンマタール遺跡、グアムのラットストーン、そして、沖縄海底の遺跡。
きっと元は同じ文明のものだったのでは無いでしょうか。

 太平洋岸に有る各島々の石造遺跡との関連性も、それらの神話の共通性と共に研究されるべき課題ではないかなーと思うのですが…。