1: 2014/08/02(土) 23:22:15.26
なぜナンバー2が、権力を手中にし、世襲制で天下をとれたのか
さらになぜその異質な体制が維持できたのか
普通、将軍家がTOPで有力家臣団が補佐するのが普通だが
TOPを差し置いて完全世襲の家臣の家が前面に出て天下に号令を
かける・・・なんでこうなったの?

引用元: ・北条得宗家って日本の歴史の中でも異質だよね

2: 2014/08/02(土) 23:25:20.86
まさこさまがいたからじゃないの?

そいや今も…

3: 2014/08/03(日) 00:00:50.76
鎌倉末期はその得宗家すら傀儡化して内管領の長崎円喜・高資親子が実権を握る有様

4: 2014/08/03(日) 00:06:54.98
天皇家に対する摂関家のような関係が鎌倉でも真似をされたのかな?
主君の権力が実務担当の部下に移動してしまうことは世界でもよくあることだろうし。
ただその関係が何世代も世襲されたのは珍しいのかも、他国な主君にとって代わって
新王朝を建てるのが普通だろうし。
日本人は一度出来た体制を例え形骸化したとしても極力壊さずに維持しようとする傾向があるみたい。

5: 2014/08/03(日) 00:14:19.59
時政が将軍になれるだけの出目だったら将軍主権でまとまってたはずだが
自称平氏の怪しい家系だったからな

6: 2014/08/03(日) 06:46:24.30
聖徳太子が日本の価値基準を
1.話し合い(弁証法)
2.三宝(仏教)
3.儒教
と定め、大事は必ず合議によって決めろとしたため
大王(天皇)の行政的実権は事実上なくなった。

統治は行政官の役割であって、主権者の役割ではない。
主権者と行政官は社会的機能が全く違うことを理解していない人は多い。

7: 2014/08/03(日) 15:24:23.92
後の足利将軍や徳川将軍と比較するから異質に見えるけど、
それらは元々自前の軍事力があるところからスタートしていて、
自前の軍事力がないところからスタートした源頼朝とは決定的に違う。

鎌倉幕府は初めから御家人の方が立場が強くて、
その結果将軍は今でいえば、
何とか協会の名誉顧問とか相談役みたいなポジションになった。

御家人が将軍に求めているのは、
貴種であって中央政界に顔が利き、
内部には口を出さないこと。
それが理解できてないと、殺されたり京都に送還されたりする。

時代によって程度の差はあれ頼朝の時から基本は一緒。

8: 2014/08/03(日) 15:57:36.02
摂家将軍、宮将軍を推戴するなど京と隔離されつつも付かず離れずの関係を保っていた

9: 2014/08/03(日) 16:23:17.16
承久の乱後の北条義時や泰時は一応天下を支配できる勢力を持ってたのに
なぜ将門のように帝位を望まなかったんでしょう?
帝位と言わずともせめて将軍になってもよさそうなのに。
それともやはり当時は家格の縛りが強くて、北条ごときがそんな地位に就いたら周りから非難される状況だったのかな?
天下人なのに「相模守」の官位に甘んじてた北条さんがいじらしいれす

26: 2014/08/08(金) 20:11:25.30
>>9
天下人の官位が相模守というのもすごいな。
北条一門で武蔵守が補佐役と考えると、

現代風に言うと、神奈川県知事と東京都知事の職権を北条氏で独占したようなもの。


あれ? 現代にあてはめても実質的な権力強そうだぞ。

39: 2014/08/12(火) 11:18:31.09
>>26
感覚的は大阪府知事と兵庫県知事の連合くらいじゃないの。
政令指定都市制度がないと考えた上でだけど。

10: 2014/08/03(日) 16:24:00.90
足利氏も自前の軍事力なんかあったのか?

11: 2014/08/03(日) 16:28:19.03
徳川も自前の軍事力などあまりなく関が原も外様の活躍に頼っていた

結局足利も徳川も他の有力大名との差はもともと非常に小さい
だから朝廷を担ぎ上げて天皇から征夷大将軍に任じられることで
他の大名との差別化を図った

朝廷がなくなったらそのお墨付きを得られなくなるということで
他大名が連合して朝敵足利・徳川に襲い掛かったら
いくら天下人でも簡単に滅ぶよ

16: 2014/08/03(日) 16:47:29.96
なぜ北条得宗家と藤原摂関家は似ている。どちらもTOPを傀儡化し
何世代も権力を掌握した

18: 2014/08/03(日) 16:59:06.35
>>16
藤原摂関家は摂関全盛期こそ外戚政策で外孫を即位させ天皇を傀儡化していたが
平安時代末期以降、摂関家を外戚とする天皇がほとんどでなくなって以降は
ほとんど天皇を超える権力は有していない
ただ鎌倉時代以降公家の家格が固定化したことで天皇との姻戚関係に関わらず
朝廷における天皇に次ぐナンバー2の立場を維持していたというだけ

北条が外戚関係のない摂家・親王将軍を傀儡にしていた状態とは全く違う

17: 2014/08/03(日) 16:58:37.12
北条氏はもともと頼朝の外戚

19: 2014/08/03(日) 17:26:39.15
源頼朝の外戚とはいえ家格は諸侯と同格の北条家が覇権を確立したのが権謀術数の凄さを物語っている

20: 2014/08/03(日) 17:34:37.44
まさに中世として
平安時代とは異なる流血の抗争だね

天皇家に対する摂関家よりも北条氏が将軍の首を簡単にすげ替えられたことや、外戚になる必要がない点は
摂関政治の運ゲーの側面を克服してるね

21: 2014/08/03(日) 19:14:31.64
北条家の家格は、諸侯以下だろう
坂東平氏に比べたら

22: 2014/08/03(日) 21:24:34.12
藤原氏ももともとの中臣氏は大連や大臣といった大王家に匹敵するような大豪族でなく
ヤマト王権でそれほどの家格があったわけでもない
しかし乙巳の変をやり遂げ天智天皇の永遠の忠臣となった中臣鎌足が出たことで
いっきにこの系統が他の諸豪族たちから突出した

北条の場合もやはり北条政子が凄かったんだよ
源氏3代の後長年の尼将軍時代に鎌倉幕府の基礎を固め
北条こそは鎌倉幕府の統治者であるということを御家人たちに認知させた

23: 2014/08/04(月) 00:52:40.44
北条義時が利害の一致していた三浦義村と連携を図り
源実朝を擁立した上で頼家一派を一掃出来たからな
対する梶原と比企は足並みが揃わず、比企が梶原景時追放に
加担する始末
梶原と比企が上手く連携していれば失脚したのは北条だったかも
知れない

24: 2014/08/04(月) 11:09:40.39
梶原景時は源頼朝の信任を受け5か国の守護となり
鎌倉幕府最大の守護国を持ち影響力を行使していた
北条にとっても比企にとっても梶原は目の上のたんこぶだった
比企が梶原に加担していれば梶原の天下取りを助けるだけで
いいことなしと思ったんだろ

27: 2014/08/09(土) 07:36:29.81
武蔵・相模は幕府の枢要国だから、この地域を制すれば圧倒的優位に立てる。
それにしても頼朝没年には、両国司は平賀義信・大内惟義父子だったのに
いつの間にか、北条義時・時房兄弟の手中に・・・。どうしてこうなった?

30: 2014/08/09(土) 19:16:26.63
>>27
比企の叛乱で比企能員に与していた児玉党が畠山重忠の与党となった関係で
武蔵国を巡る戦後処理で北条時政と畠山重忠が反目している
畠山が謀叛人として討たれ
平賀朝雅の後見人である北条時政が平賀の在京中に時政が武蔵国に於ける
実権を握ったが、牧氏事件で北条時政は失脚、平賀朝雅は殺されて
武蔵国は北条義時の手中に入った

34: 2014/08/11(月) 19:44:36.14
>>30
実際にはそうスムーズに掌握できた訳でもなさそうだけどね、武蔵国。
時房の武蔵守補任は、重忠滅亡から5年も経った承元4年(1210年)だし、
重忠未亡人を足利義純と再婚させて、畠山の名跡をわざわざ復活したり
結構ゴタゴタがあったと予想。

29: 2014/08/09(土) 16:47:13.60
生き残った奴が、時を経て新たに力強い一門形成し、リベンジしたなら北条一族も大したもんだが
源氏と違って、そのまま日本史からバイナラだからな
所詮はその程度よ

31: 2014/08/10(日) 20:35:04.99
登子経由で次の将軍家に血が流れているのが興味深い
鎌倉幕府が滅亡しても基氏などを産んでいるし
あ、尊氏自体北条の血が流れまくりか

32: 2014/08/10(日) 20:48:49.12
>>31
そうだよ。
足利は源氏門葉の中でもっとも北条べったりだったから最後まで生き残ったんだから。
北条の血が濃い人間に後継がせ続けたから当然北条の血流れまくり。

34: 2014/08/11(月) 19:44:36.14
>>32
北条にすれば足利を同族化することで、源氏の血統が他勢力に担がれるのを
未然に防ごうという意図があったのかも。場合によっては神輿にもできる。
結果的にコントロールは破綻したけど。

33: 2014/08/11(月) 08:36:15.02
陪臣北条

35: 2014/08/12(火) 03:14:57.11
北条家と足利家の間に緊張が走ったのは
足利泰氏の自由出家騒動かな
泰氏がどこまで九条頼経の陰謀に関わっていたのかは
あやふやだが

36: 2014/08/12(火) 10:14:56.98
源氏と違って、そのまま日本史からバイナラだから
所詮はその程度よ

37: 2014/08/12(火) 10:37:37.62
足利家には相当北条の血が入ってるがな

38: 2014/08/12(火) 11:00:22.78
足利もや泰氏までは得宗家から正室を迎えてたけどそれ以降は庶流からだからな
焦っていたのは足利の方だろうな

40: 2014/08/12(火) 13:55:40.52
>>38
足利は泰氏以降も頼氏・貞氏・尊氏と正室は皆北条氏
ただし家時・貞氏・尊氏はいずれも側室腹の庶子で
義詮まで正室北条氏所生の子が跡を継いでないってだけだろ

41: 2014/08/12(火) 14:31:18.10
ああ、得宗家の娘が足利に嫁いでないってことね
そもそも鎌倉時代後半は得宗自体若死にが多いために娘の数が少なく
その数少ない娘も北条傍系にやっている
足利だけでなく他の氏族に嫁いだ娘もいないので別に焦ってはいないだろう

その足利は室町時代になぜか娘を皆出家させてたよね
有力守護大名や公家と縁組など一切しなかった

42: 2014/08/12(火) 18:57:31.67
足利って日野家とばかり結びついて
鎌倉や江戸のような公武合体の動きないよね

43: 2014/08/12(火) 22:17:40.95
そういえば得宗家は安達とばかり結びついてるな。霜月騒動で安達が壊滅したにも関わらず
安達氏の覚海円成が貞時に嫁いで、高時・泰家を産んでいる。

44: 2014/08/13(水) 03:07:24.82
覚海円成じゃなくて貞時正室である宗政の娘が嫡男を生んでいたら安達も復活できなかったろうに
高時の側室になってる御内人の娘が嫡男邦時を生んでいるけど、あのまま幕府が続いていたらいずれ
長崎氏が室町時代の日野家みたいに代々得宗家の外戚になったんだろうな

45: 2014/08/13(水) 06:05:08.27
高時の正室も安達時顕の娘だし、得宗家の婚姻相手は安達氏という不文律でも
あったのかな、後期の幕府には。外戚の家を一つに絞っておけば余計な争いを
防ぐことにもなるし。

46: 2014/08/13(水) 07:20:58.10
得宗家に嫁がせることができる御家人って安達くらいしか残ってないからな。
小山、千葉、宇都宮は政局にノータッチだし。

47: 2014/08/13(水) 10:33:36.68
室町幕府の場合は摂関家から嫁を迎えることはなかったけど歴代の当主は将軍から偏諱を貰ってるし徐々に侵食してるイメージ

48: 2014/08/13(水) 10:34:43.80
>>47
その割に中流公家の外戚・日野家ごときに幕政かきまわされまくってたがなw

49: 2014/08/13(水) 11:48:45.12
近衛家出身で将軍を2人も産んだ慶寿院をお忘れですか?

50: 2014/08/13(水) 11:56:29.62
得宗家の寿命の短さは遺伝?

51: 2014/08/13(水) 19:03:41.94
30代で死ぬのは当時としては普通では

52: 2014/08/13(水) 19:50:41.02
平均寿命が低いのは幼児死亡率が高いからであって大人になった者は
昔でも50くらいまでは生きるよ。

53: 2014/08/13(水) 22:22:19.87
一族の寿命を調べてこいつらは呪われてるんだとか決めつけるのかなり好きやで

54: 2014/08/13(水) 22:42:05.85
泰時までは普通だな。
経時以下が異様に短命。
まあ高時はあんな事がなけりゃ長生きしたかもしれんが。

55: 2014/08/13(水) 22:48:25.04
大阪の歴史って蹂躙されまくりの歴史だもんな、、、

56: 2014/08/13(水) 23:42:04.51
官位にさして興味がないってのは、ある意味異常。
その点ではむしろ内管領平一族の方が常人だな。
よほど合理主義者だったのか、ひねくれ者だったのか?

57: 2014/08/13(水) 23:51:28.11
泰時子孫は、嫡流だけでなく兄弟や従兄弟も多くが短命なんだよね。
まっ、殺されたのも何人かいるんだけど。
自然死でも30代以下がごろごろ。
あまり健康的な一族でなかったのは否めないようだ。

58: 2014/08/14(木) 00:07:22.20
ここまで短命揃いだと食生活に問題があったとしか思えんね。

74: 2014/08/16(土) 08:52:38.62
>>58
みそを肴に酒を飲む、なんてのが事実だったら、
あまり体に良さそうな食生活じゃなさそうだ。

59: 2014/08/14(木) 00:09:20.57
官位に積極的に忌避したのは、得宗家と、右大臣返上後の信長くらいのもんだな。

60: 2014/08/14(木) 02:03:10.55
将軍でもない武家で4位なるのって得宗と北条庶流くらいだろ?
足利だって得宗専制以後は5位止まり官位は武家としては高い部類じゃないか?

61: 2014/08/14(木) 02:36:41.93
北条は承久の乱で朝廷を事実上滅ぼしたわけじゃん。
大臣にしろとか将軍にしろとか言って断れる状況じゃないんだよ。
現に北条からどんな官位を希望されてもそれに応える気だったって記録がある。
でもしなかったんだよ。四位とか、当時の北条家の力からしたら悪い冗談といえるくらいの低い位だよw

68: 2014/08/15(金) 16:53:52.19
>>61
政子が従二位になってるけど、義時・泰時が四位止まりだったから
時頼以降の得宗は、恐れ多くて官位を遠慮してしまったのかな?

62: 2014/08/14(木) 02:48:38.92
官位は関係ないからな

64: 2014/08/14(木) 08:00:45.08
北条氏は凄い一族だけどね。
皇室に朝敵にされたのに、朝廷に勝利できたし。
蒙古襲来を撃退したり。

65: 2014/08/14(木) 08:47:51.77
>>64
北条氏は日本史上最強の武家だな。

その実績を考えれば、
関東なら徳川氏より有名であるべき。

66: 2014/08/14(木) 21:55:21.63
将軍とか大臣になったら他の御家人が黙っていないんじゃないか?
北条って軍事力で圧倒していたわけではなく陰謀で成り上がっただけだし
三浦や安達が没落した後でも君主にまではなれない家だと思う

68: 2014/08/15(金) 16:53:52.19
>>66
所詮は「伊豆国在庁時政之子孫」(by 護良親王)だしな。
まあ、三浦も在庁官人上がりだし、安達は北条よりもっと
得体が知れないけど。御家人にすれば、得宗家が面倒な実務を
引き受けてくれるのは「はいはい、ご苦労さん」だろうけど
得宗家が神輿・看板に成り下がり、下っ端の御内人が
好き勝手やり始めると、「命令なんか聞いてられるか」と
なるのもしょうがない。

69: 2014/08/15(金) 23:44:10.41
承久の乱が起きる前までの北条家なら確かにそうだろうけど、
承久の乱で朝廷を事実上滅ぼしたことで北条義時の権威は頼朝に匹敵するくらい絶大なものになった。
その義時や後継者が高い官位を望んでも他の御家人は別に反発なんてしなかったと思うよ。
高い官位なんて欲しくなかったんだろ。

71: 2014/08/16(土) 07:14:45.97
義時・泰時は執権として幕府の主導権を握ったけど、
他の御家人にすれば同輩だから絶対的権威はないのでは?
下文・下知状・御教書といった幕府公文書はいずれも
「鎌倉殿の仰せ」という形式になってるし、執権はあくまで
鎌倉殿の代行・補佐に過ぎない。だからただの飾り物であっても
将軍を必要とした。

72: 2014/08/16(土) 08:45:45.17
>>71
だからそれは高い官位を希望しなかったのと同じで、
幕府内でも御家人の同輩という地位以上のもんを望まなかったというだけの話でしかないだろ。
政子死後の北条家は形式的には将軍となんの関係もない。
でもその地位は全然揺るがなかったわけで、それは指導力の源泉が北条家という存在そのものにあったからだよ。

73: 2014/08/16(土) 08:52:28.89
ねえねえ
皆殺しにされたのなんで?

78: 2014/08/16(土) 09:47:02.73
>>73
皆殺しじゃなくて自刃だろ
北条時行などは落ち延びている

北条高時の母は北条が滅亡した後も12年間生きてるし
北条一門の女性は足利から韮山を安堵されて生き延びてたはず

87: 2014/08/17(日) 14:24:33.40
>>78
女性の存命者が多かったということはやはり登子の存在が大きかった?

92: 2014/08/17(日) 14:53:57.35
>>87
登子は京都暮らしだし関係ないだろ
北条一門の女性の生活のために伊豆の土地を寄進したのは
関東に下向した足利直義のようだから直義からの庇護は会ったと思う

75: 2014/08/16(土) 08:55:37.86
北条は最後は皆殺しの目にあってるね、なんで?

76: 2014/08/16(土) 08:56:12.59
なんで皆殺し!にされたの?

77: 2014/08/16(土) 09:31:47.81
北条氏はすごいと思うよ。なんでここまで特権化できたんだろうね

79: 2014/08/16(土) 10:47:00.77
北条の場合、最高官位の低さ自体も変なんだけど、
庶流の方が官位が高いことが多いってのが異常なんだな。
なんで嫡流が大概五位どまりで、庶流が四位なんだろう。
あれほどまでの官位への執着のなさは日本人離れしてる。

80: 2014/08/16(土) 10:56:53.83
>>79
ローマ帝国でいうなら皇帝以上に権力集中しときながらあくまで世襲の元老院議員の立場維持したような感じで。
貴族共和政みたいな関東武家共和政みたいな。

82: 2014/08/16(土) 11:15:56.77
>>79>>80
時代が逆だけど西関東の党制度や東日本の洞中制度ってプチ鎌倉幕府制度なんだろうな。
後北条氏も鎌倉幕府の再来を期していた決意表明の自称で。

西日本の単なる平等な「一揆」よりも内部構造が複雑なリアル幕府ごっことして。

83: 2014/08/16(土) 12:26:59.38
>>79
得宗家嫡流で長生きした奴がいない、長生きしても早い時期に出家してるからだろ?
庶流よりも官位昇進速度が遅いということはない。

95: 2014/08/17(日) 22:06:54.70
>>79
同じくらい官位に執着がなかったのが後北条氏
後北条氏は早雲以来、中央の政治のゴタゴタに煩わされない
独立王国を関東に築こうという意思があってのことだけど
鎌倉北条氏も根っこは似たようなもんだったんじゃないかなと
要するに朝廷の官位にそれほどの価値を見出してなかっただけのこと

99: 2014/08/19(火) 14:14:22.92
>>95
四位でも従五位下でも授爵される武士はかなりのエリートだよ。
金で官位買えるようになった戦国時代においても国持大名で五位というのは
珍しくない。

将軍以外で
管領とかスーパー上級武士の極官が四位でノーマルな地方国持大名は名門でも五位が普通。

81: 2014/08/16(土) 10:57:45.86
内管領の内管領の内管領の内管領の内管領の内管領の内管領の・・・・・

84: 2014/08/16(土) 22:32:42.53
北条家の官位が低いのは、
あくまで征夷大将軍の家来という建前だから。

鎌倉幕府はだいたい
将軍が二位(二品)ぐらいで執権が四位ぐらい。

室町幕府立ち上げ当初、
尊氏が正二位で直義が従四位だったのは
鎌倉幕府の前例に倣ったものと思われる。

85: 2014/08/17(日) 00:50:24.14
室町幕府の管領や江戸の大老も四位。
執権は君主じゃなくて将軍家の家老扱いだから官位が四位は妥当。
上級公家の諸大夫が四位五位なのと同じ事。

86: 2014/08/17(日) 13:24:11.90
藤原摂関家と似たような感じじゃないか?
外戚になったり主君の代理人の体を成して全体を統治するやり方とか
日本に古くからある支配方法だと思うよ。

88: 2014/08/17(日) 14:37:06.13
だからその殿上人の官位任官である従五位下の地位がそのまま武家の格として
機能していたのが平安時代までじゃないのか?
鎌倉幕府以降は独自の統治法で機能は失っている

90: 2014/08/17(日) 14:42:14.22
一人の大将を立ててその家臣として認められたものがいわゆる御家人
制度的には一家を中心とする家裁制度的なものの発展

後世のヤクザなどがやってるのはそれに憧れたやつらが真似しただけ
ヤクザ自体は江戸時代の博徒からの発生だからな

91: 2014/08/17(日) 14:45:12.18
事実、武家社会初期においては家裁的なものだから当主の婦人などはかなり地位が高かったりする

93: 2014/08/17(日) 14:56:04.12
鎌倉武士などの地位低下は所領分割相続で総体的な力が低下したため
頼朝などは同じ源氏でもこの総体的な力を恐れ難癖つけてはこれの力
を削ぐ政策をやってる
北条が継承したのもこれだろ、何とか騒動なんてのははなから仕掛けあり
御内人の専横だの後期は自分らでもコントロールができなくなってるがな

94: 2014/08/17(日) 21:29:34.23
鎌倉時代
天皇-将軍-北条(得宗家)-内管領(長崎)

室町時代
天皇-将軍-管領(細川)-守護代(三好)-執事(松永)

江戸時代
天皇-将軍-大老、老中

96: 2014/08/18(月) 15:12:10.44
若死には毒殺という話、因縁つけて他家を殺しまくったから、恨みも相当だと思う。

97: 2014/08/18(月) 17:10:54.68
暗殺誅殺謀殺を平気で表だってやる死穢も怨霊も恐れない武家の藤原氏が北条氏。

98: 2014/08/18(月) 17:15:18.69
他家どころか同族すら二月騒動、嘉元の乱で殺してる。

100: 2014/08/19(火) 15:28:28.35
天下人以外に大臣、納言をゴロゴロ出した秀吉時代が異例なだけで、
あとは概ね武家の官位は安定しているよね。
秀吉の時代は武家のトップが関白という公家のトップでもあったからだろうな。
その後、家康が左大臣、秀頼が右大臣、秀忠が内大臣と、大坂の陣が終わるまではややインフレ傾向が続く。